以前、国営放送で 庵野秀明さんのドキュメンタリーをみました。番組の冒頭、撮影をしている番組のスタッフに、撮影について 細かく 注文をつける庵野さん。しばらくした後、その理由を尋ねられて、庵野さんは こんな風に答えました。
テレビって編集する以上 すべて作りもの。それは、この取材だって同じ。編集の仕方でどんな風にも作ることができる。それは、ドキュメンタリーだって同じ。この番組が、今作成している映画の良い宣伝になるような絵を撮ってもらわないと困るからね。
確かにそうだと思いました。数年前に 日韓のガールズ・グループのメンバーを人気投票で決める…とされていたのに、作成側が 投票数を操作していたことが、後で分かりました。それは、シナリオ通りになるように 調整した…と考えれば、合点がいきます。
テレビ番組は作りもの。それを分かった上で、楽しむことは 間違っていないと思います。ですが、困ったものは、ドキュメント風の番組。特に、恋愛をモチーフにしたものであれば、感情移入がしやすいもの。
しかし、何台ものカメラが 撮っている中で、普段通りの姿であるはずはありません。誰しも カメラの前では 言えることと 言えないことがあるのが 当然のことです。
プロレスラーの女性が自殺をしたことで、SNSの使い方について、違法行為と認められたことが 以前 報じられました。当然のことと思います。
ですが、問題の本質は SNSの使い方ではない…と思います。テレビの番組は、基本的に 創作されたものである、ということを前提に 楽しむものである、ということです。
テラハが見たい。自殺した人のせいで、テラハが見られなくなった。
こんなことを 未だに つぶやいている奴がいます。信じられない。一人の生命を奪った…というのに。もう ドキュメンタリー性を語るフェイク番組は 二度と 作られては ならない。そう考えます。
しかし、残念ながら 後を絶ちませんね。