ボヘミアン・ラプソディー | かりんとうのつれづれ日記

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日々のことを 思うままに 書いていきたい…と 思っています。

  今さらですが、ついに ブルーレイをレンタルして 観ました。




  学生時代に アパートのテレビで ライブ・エイドを 観た世代の私としては、好き嫌いは 別にして、クィーンは 特別な存在です。


  フレディ・マーキュリーと言えば、同性愛者で エイズで死亡した 悲劇のアーティスト。そんなイメージが強く、きっと マイノリティとして 苦しんだ人生だったのだろう 想像しながら、観始めました。


  気になるワードとして、「パールシー(ペルシア人の意)」と「ゾロアスター教」が登場します。確かに、マイノリティとして 苦しい人生を 歩んだフレディでしたが、ゾロアスター教徒としての苦しい人生だった、と思います。


  というのは、ゾロアスター教はゾロアスター教徒の両親、または父親がゾロアスター教徒の場合のみ、教徒になることができる(母親が教徒であっても子供は教徒として認められない)という血統制限があるからです。


   ゾロアスター教徒にとって、同性愛者であることは、自分が悪魔の使いであると認め、信仰を自分の代で途絶えさせることを意味しているのです。


  映画の冒頭の 父子の確執のシーンの中で、父が発する 「善を思い」「善を語り」「善を行う」という言葉(ゾロアスター教の三徳)は、ラストシーンで フレディが ライブ・エイドに向かう前に 唱えます。


  それは、フレディがある ゾロアスター教徒としての人生を まっとうしようとする覚悟のように 聞こえてきます。


  実際、死ぬ前に フレディが ゾロアスター教に のっとった葬儀を 望んだと言われています。