情けは人の為ならず、巡り巡って我が身に還る。 -3ページ目

情けは人の為ならず、巡り巡って我が身に還る。

虚偽DV,子の連れ去り、打倒離婚ビジネスなどの解決に向けわずかながら取り組んでいます。
1月30日に,TEAM「愛のある家族」は「子の連れ去り問題、面会交流及び親権」について、日本初の全面勝利を得ました。この判例により今後は家庭裁判所も変わりつつあると思います。


今日のニュースでまたかよと思う事があった。

小5の児童が刺されて死亡・・犯人が悪いのは当然だが、それについてツィッターとかSNSで言葉発してる人達の多くが、頭ん中はお花畑だよね。

犯人・・こうした鬼畜を作り上げたのは「世の中」でしょ。

戦後教育でこの国の価値観は変わり、やれ個人主義だの人権などと・・・。

明治から昭和23年までの長い間で大人が子供を殺害した事件が4件しかないのか。

なぜ虐待で子供を殺した親が2人しかいないのか。

なぜ離婚率が今の100分の1だったか。

江戸時代にいたっては、あの大江戸を北と南のたった2カ所の奉行所で治安が維持できていたのはなぜか。

社会が「まとも」だったからに他ならない

社会が「まとも」ってことは、そこで生きている、生活している人間がまともってことだ。

金が欲しいから人を騙す、人を殺し奪う、好きな相手が既婚者だろうが奪いとる、嫌になったら即離婚、だれでもいいから人を殺したかったと殺人を犯す、仕事を誇り思い育児は保育園任せの母親、幼い子供を虐待、そして殺す・・・まともって思えない

尋常ではない・・日本の歴史のなかで平成が最悪。

世の中がこんなだから・・明日は我が身と思う覚悟がいるかもね。

今日も女子大生殺人事件の再審があって死刑が無期懲役にかわって、それを「先例重視の裁判はおかしい」とか「裁判員裁判制度が機能してない」とか抗議してたけど、そんな司法のおかしい事は指摘する声もあがってた、芸能ニュースには耳かたむけても、こうしたことに耳貸さなかったんだから当然の結果だよね。

まぁこの犯人は無期懲役になったから12年ほどで仮釈放で自由の身だな。

人権とか個人主義とかもいいけどさ、正義とか以前のはなしで「まともな世の中」にもどって欲しいもんだわ。

このままだと、そのうち児童に護身用のブザーでなく銃をもたせるようになるぜ

そうなるまでに、昔の様に防犯ブザーの必要がない、まともな世の中をとりもどしたいもんだ。





今回の裁判の結果は「日本初の快挙」

異例も異例大勝利。

愛ある家族は批判もされてきたが

代表として嬉しい。


太田弁護士も驚きの結果となった。




内容も日本初の大快挙。

媚びたわけでも、主張を曲げたわけでもない。

過激な言動もそのままに。

その上でこちらの言い分100%通った完全勝利。


勝てば官軍、と云う言い方はヘンかもしれんが


事実、日本初の大快挙。

内容が今までとは違う、この判決を突破口に次から次と

解決する者が出てくる事を願う。

判例は大きく変わる!



仲間から嬉しい知らせが届いた。



取り組んでた問題に、裁判の上で「勝った」

一緒に歩んできた仲間。

完全勝利

面会交流も、その他全てこちらの言い分は受諾された。


が、自分の中では「勝った」という気持ちは無い。

勝ったのでなく、これが「当たり前」「当然」「常識」なのだから。



今の世中には「当然」も「道理」も「常識」も線引きが薄くなった世の中だ。


常識では「警官の犯す犯罪」も「親が子供を殺す事」も「教師が生徒を犯す」事も

ないからだ。

しかし現状は常識や道理のない事が頻繁にある。


法は正義でも人の幸せの為にあるものではない


法はあくまで「人を縛る為」にある。


「道理」や「常識」は人が社会で暮らし営んで行く為には

必要不可欠な要素で、それに対し怪訝な表情で「個人主義」や

民主主義の十と権利を振りかざし「私利」の為に裁判やらで闘っても

勝てるはずなど無い。

日本の家庭裁判所は歪んでいる。

おかしい・・・などの声はいくつも、多く聞いた。

弁護士が金儲けで無茶してるのも事実だ。


だが、やり方はいくらでもある。

一昨年からブログでも何度も書いた事だ。

勝つには・・勝つべくして勝つ手段を取らねばいけない。

政治家に委ねる、署名を集めるのも手段かもしれない。

だが「他力本願」では勝てるはずがない。


最後の積木を積み上げた時、勝ちは確信していた。


だが、救えたのは共に歩んできた仲間のみ。


世の中は何も変わらない・・・。

悲観しているわけではない、自分が健在でなければ仲間を救えるはずなど

ないから。


取りくんできたここ数年の間に、仲間の死もあった。

逮捕もされた、犠牲も少なくない。


この問題で皆が一日も早く解決と幸せな日々を過ごしながら生きれる
事を願うばかりだ。



争う事を止め、自身の幸せを願うかの如く自分以外の者の幸せを

願える様になれば解決は近い。