世の中には「自分の存在価値」を見出す為に「敵」だ「味方」だと区別するものがいる。
大概が自分の利益にならない者を「敵」とするようだ。
私にとって「敵」なる存在は人物でも組織でもない。
「敵」なるものを敢えて言うならば、それは「邪心」。
たとえ酷い犯罪者であろうがその者を愛する者や、その者が愛した人物もいるだろう。
悪魔でない限り「人間」なるものは100%悪人でもなければ、神のような善人でもない。
欲望からくる邪心に魂を支配されるが故に、悪人に変貌するのではないか・・。
罪を憎んで人を憎まず・・という言葉があるが、それに近い。
だが自分の立ち位置基準で、やたらと敵だ味方だと区別して、自分の存在価値を見出す事をする愚か者も少なくない。
自分の立ち位置は、自分と反する者を理解しようとする姿勢、そして認めるべきところを認め互いを理解し合う事で、より最善の結果を追求できるのではないだろうか。