人もモノも色んな角度捉え方をすることで、「いい人だったり、悪い人に見えたり、好きなモノ・嫌いなモノ」に分かれます。
けれど、前にもブログで書きましたが、どんな人やモノでも、「表と裏」「光と影」の部分があるわけで、それがないと成立しない。
光があるから影ができるし、表があるから裏がある。傷みが分かるから優しくなれて、悲しみがあり悦びがある。
どちらか一方に偏った状態の時をみて、その人やモノに安易に判断をくだすと、誤解などとよろしくない事が多々ある。
怒ってる者は笑顔で優しい言葉で怒りを表現するわけではなく、当然少なからず恐い雰囲気はあるが、その人物が万事「怒り」ではなく、けっして本質が恐い人でもないはずだ。
逆に、優しく愛に溢れ笑顔を絶やさない人物であっても、悲しみにくれたり怒りで鬼の形相に変わる時も当然あるのだから。
聖書にあるように神様でさえ怒り、人間に怒りのいかずちをくだされたではないですか。
でも怒る時も「愛情」がないとダメ!
表裏、光・闇のバランスをくずしたら、怒りの先は悲しみしかないと思うから。
愛をもって怒り訴える先には解決と平安があるんじゃないかなと思うから。
思春期の頃、友達と派手なドツキ合いの喧嘩をしたした事がある、友達だから当然好きな奴だからその時は怒りで殴りあっても、「拳で語り合う」みたいなかんじで喧嘩が終われば仲直りして、より友情が深まるみたいな、ベタだけどそんな経験もした。
友達として「友情」があったから喧嘩の暴力も「拳で語り合う」という結果になったが、憎しみや怒りだけなら「ただの暴力」で悲しい結果しか残らなかったと思う。
表裏一体のバランスを崩さない様に日々過ごしたいもんです。
悲しみにくれていてばかりの時は気分転換したりが大切ですわ。
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