日本人は「道徳的である」と私は思っていた。
昨年くらいまでは・・・。
今は違う、世の中には「美徳」のかわりに「あさましい我欲」で生きる者が蔓延り、法に触れなければ 人道的に道を外れようが利己的に生きる(いわゆる外道)恥知らずな馬鹿が多くなった。
悪貨は良貨を駆逐する・・まさにその言葉のとうり、日本の世の中は狂いはじめた。
昭和53年以降からそれまで皆無にひとしかった事件が、今では毎日何十件と起きている。
警官・教師いわゆる聖職者の自己中心的犯罪、イジメで自殺、虐待殺人、政治腐敗、離婚・・・全て「道徳の欠如」と「物欲主義の蔓延」による弊害だ。
何故、人を騙してはいけないか
何故、痴漢をしてはいけないか
駅で見かけるポスターに「痴漢は犯罪です」と馬鹿丸出しのポスターがある、罰せられから止めておけとは、なんとも幼稚で野蛮なポスターだ。
モーセの十戒
釈迦の十戒律
などの戒律は当然のことであり、罰則もなかった。
その頃は、皆が戒律を当たり前に守っていたのであるから罰則もあるはずがない。
罰せられなければ道徳的に罪を犯す輩こそ「悪」の根源だ。
法を利用するのは「悪魔」そのものだ。
禁止する法律がなくても、痴漢も、万引きも飲酒運転もしない精神が『道徳』だ。
そんな道徳を持たず、目に見える現実ばかりに魂を奪われていては、目に見えない「愛」や「希望」などあるはずもなく尽きぬ快楽を求め、霊的には死んでも永遠に救われない。
人間五十年、下天の内をくらぶれば
夢まぼろしの如くなり
ひとたび生をうけ
滅せぬ者のあるべきか
所詮この世で永遠に生きられるはずもなく、必ず死のゲートをくぐり永遠の苦しみに悶えるであろうに・・・道徳的に生きることが救いの道だ。
しかし「悪」はどんどん蔓延っている
キレイごと無用!
裁判無用!
DV法やら使って嘘でつくりあげた被害者面して子供や周囲の人生狂わせた「自己中な極悪人」どもに告ぐ・・・知る限りの「非人道的、道徳観念ゼロの悪人を一人づつ駆逐する」
周知街宣もデモもやりますよ!
今迄の「大人しい、優しい」貴方がたの敵とは違うから。
何年もかけて裁判するほど暢気でもないし、これ以上悪の犠牲者出せんからな。
まぁ、当事者にも問題はある・・。
司法を責めたり、裁判で闘う以前に「まず悪を叩け」
自分の立場や利益にこだわってるうちは「運」も「天」も味方にならんよ。
まずは、正義を選択すべき
イエスが「求めよ、されば与えられる」と言った。それは希望であり力だ。
悪を潰してやることこそ「愛」だ。
自分の悪行にすらきづいてないのだから・・外道には気づくはずもない
ならばこそ、一日も早く潰して悔い改めさせてやる事で少しは「人らしく」生きれるだろうから。
悪は交渉すべき相手ではない!
潰すべき相手なのだ!