好きな街豊岡(便利さと引き換えに失ったもの) | 情けは人の為ならず、巡り巡って我が身に還る。

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虚偽DV,子の連れ去り、打倒離婚ビジネスなどの解決に向けわずかながら取り組んでいます。
1月30日に,TEAM「愛のある家族」は「子の連れ去り問題、面会交流及び親権」について、日本初の全面勝利を得ました。この判例により今後は家庭裁判所も変わりつつあると思います。

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1月24日、今の季節の山陰地方には珍しく、青空が広がった空模様。


冬の豊岡といえば、鉛色の空が定番だから
この時期の陽射しと青空に気持ちも晴れやかになる。

海に行けば波乗りが気持ちよく出来たかもしれない。

日曜の午後、子供二人を連れて駅前のスーパーの屋上から市内を眺めた…

この街で生まれ、この街で育った。
一時は東京や大阪で暮らしたこともあるが、この街が好きで帰ってきた。


しかし…時代は大きく変わり、この街も都会と変わらなくなった…。

何処にでもあるコンビニが乱立し。

何処にでもあるファーストフード店に数々のチェーン店。

何処にでもある家電量販店。

この街の町並みは20年前とは大きく変わり…。

‘何処にでもある街の風景と変わらなくなった’

街を歩く若者も、みな同じファッションで‘個性やアイデンティティのかけらもない’スボンずらして半ケツ流行れば、みな半ケツ。

携帯やネットで情報は都会も地方もタイムラグなく伝わり、流行りには地方でも敏感だ。


便利さと引き換えに、失ったものは…個性と感性?

もっと大切なもの…人との絆も失いつつあるのかもしれない。


豊岡市はほんの20年前までは、道徃人達が普通に笑顔で「おはよう」「こんにちは」と挨拶を笑顔で交わしていたし、犯罪も滅多に起きなかった。
しかし、ここ最近はそうではない。
「あいさつ運動」なる運動もあったが効果なし…ってゆーか、挨拶なんて道徳的に普通するでしょ。
そんな人としての基本的な事さえ、行政の力を借りて‘挨拶運動’なるものをしなきゃいけないこと自体、なんか悲しい。


俺の子供は屈託のない笑顔で挨拶したり、レジで買い物を済ませた時「ありがとう」と言うが、応えない大人も多い。

そんな大人の多くは、腐った魚の目をしてる。

疲れ…諦め…混沌としたネガティブなオーラ。


今日のような青空はいい。街並や人は変われども、いつか見た昔の青空と変わらない。


疲れて下ばかり見てちゃダメだと思う。
上を向いてみる…広がる青空。

鉛色の空ばかりではないし、止まない雨もない。
明けない夜もない。


たまには空を眺め、青空を仰ぎ、爽快な気分を味わってみるのもいいかも。

青空のもと海で波乗りすると、もっとサイコーだけどね!人生かわるよ!


この街は、大々的に世界に向けて【天然記念物コウノトリの街・豊岡市】を発信しているが、大切な事を忘れてはいけない!
一度はコウノトリを高度成長期の波と共に利便性や生産性向上の犠牲で農薬や土地改良で‘絶滅に追いやった事実’を…。

自分達本位でコウノトリを犠牲にしておきながら、巨額の投資と時間をかけて再生したことは素晴らしいが、過ちを犯さなければ、巨額の血税や時間も必要無かったのだから。

現在(いま)だけを見て満悦してはいけないと思う。
現在は過去の未来でもあり、明日には過去となる。

昨日は今日へとつながり明日へと続く。ならば今を大切にしないとね。


コウノトリが再生したように、この街の人を取り巻く環境も再生できる。


皆が笑顔で挨拶を交わし、隣近所が支え合い。格差も少なく。外出時も家にカギをかけなくても普通だった頃。犯罪も全くといっていいほど無く。祭も機動隊が来ることも無かった平和で心が豊かだった豊岡市。

今は何処にでもある街と変わらないかもしれないけど、コウノトリが再生したように、素晴らしい人や街も再生すると信じてる。

何故なら、心は人をつくり、人は社会をつくる…。
糞ダメにいるよりは、感動あるある街の方がいいっしょ。
今日のような青空にコウノトリが翔んだように…。


コウノトリが再生できたんだから、コウノトリよりも大切な‘この街に住む広がる未来を持つ子供達はじめこの街の人達’の心にも希望の持てる街づくりを…。
この街もきっと素晴らしい街になる。


この街が好きだから。