みんなもがいている。

 

モラハラカウンセラーのブログは
受け容れられないこともあるけど、
どうしてここまでわかってくれるのだろう、
そして、わかってくれる人の言葉だからこそ勇気づけられる。
 

それは同じモラハラ支配下を潜り抜けた人の言葉だから。

 

 

私はいつまでも被害者でいてはいけない。
ワークでもみんなに責められてる気がしてしまう。

 

そんなことだから、ワークもいまいちうまくいかないんだよ、と。
(誰もそんなこと言ってないのは100も承知です。)

 

私はいつまでも被害者でいてはいけない。
でも、被害者であった事実は譲らない。
そこから、スタートできないだろうか。

 

 

旦那のことだけじゃない。
助けてくれそうな人に、すがっているのに・もしくはすがりたいのに
すがっちゃいけないと自分に言い聞かせてる。

 

希望は持っても良い。
すがらなければ。

 

私を軽んじる人など相手にしなければ良い。
だけど、そうしたら一体誰が残るというのだろう?

 

以下転載。一部編集。

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このブログには

離婚や母子家庭も
簡単じゃないし、

「離婚をしないこと」も
簡単じゃない

という人が
集まっています。


その上で、
その人たちは
そのどれかを選ぶことを迫られて
もがいているのです。


過酷な状況で
自分の尊厳を守る覚悟をすることは
そんなに綺麗なことでは無いのです。

正解の選択肢が乏しい中で
何かしらの覚悟をすることを
迫られている人たちが

その覚悟をする為に
自分を変えようとしている姿です。


「高級品になる覚悟」
が必要です。


あなたは、
虐待をしてくる相手に、
土下座をしてでも
大切にされたいですか?


もしあなたが、そうなら、

あなたは、
自分のことを
ゴミの様に無価値だと
思っているということになります。


そして、
そうなると、

夫から見てあなたは
ゴミに見えます。

それは自然なことです。

だって、
あなたが自分のことを、

「私はゴミです」

と言っているようなものだから。
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私は自分をそう思ってる。
私のままでは相手にしてもらえないと。

高級品になる覚悟。
あんたなんかに相手にされなくても結構よ。

 

そのあんたがいなくなったら
私には誰がいるのだろう?

 

私?
私なんていらない。
 

私なんかいてくれても私には何の役にもたたない。
私自身が、私を助けようとしてる私を、そう思っている。

なのに、誰が他にそう思わないでいてくれる人がいるというのか。
という話は耳にタコができるほど聞いた。

 

私には、私しかいなくなったら困る。
私なんてみじめな人間に寄り添われる私を、私自身が恥ずかしく思う。
私は、残念賞だ。
誰も降り向いてくれない、だから仕方なく私に頼るしかない。

 

私ではない誰かに、
そばにいてほしい。

 

頼れる人が私しかいないなんて惨めだ。嫌だ。

 

こんなもうすぐバツのつく、残念賞の私に価値を見出してくれる人なら。
たとえ暇つぶしだろうと
遊びだろうと。