これ、

海外に行こう、と決めた時の私だ。

怖いことを否定しなかった。

小心者だからできない、ではなく

小心者なのにやったんだ

と。


それは普通の人が海外に行こうと決めることより

ずっとずっと大変な事だった、と

自分でも

”小心者なのに飛び込むと決めた自分・飛び込んだ自分”は褒めてあげたい、と

思ってたし、今でも思ってる。

例え、何かを成し遂げられなかったとしても

チャレンジした自分を。


実際、カウンセラーさんにも

失敗したらどうするの!と挑戦を禁じられてきた私のような育ち方をした人間には

ものすごい恐怖であり、ものすごいエネルギーが必要だったはずで、

普通はこんな育ち方をしていたらできない選択肢だと言われた。


あの時の自分は

まさにこのメルマガの言う

”怖いけれど立ち向かう事もできる人”だった。


唯一、”失敗したらどうするの?!”から自由だった2年間。

失敗も成功も、全部自分のものだった2年間。

私が失敗したって、誰も母が責められると言う心配をしなくて済んだ2年間。

私が失敗したって、誰からも責められる心配を母に与えないで済む2年間(それよりもっと強い心配を与えただろうけど。私がいなくなってしまったらどうしよう、という、強い不安をね)。


負け癖をつけちゃいけない、という言い訳。

何でもバカみたいにチャレンジすればいいわけじゃない。

チャンスを待つ事・辛抱も必要。


確かにそれも学んだ。

だけど、

チャンスを逃していいの?

実際、全て無謀だったけど、あの時の自分にとっては最後のチャンスばかりだった。

そして、全て

最後にはギリギリ、モノにしてきた。

それはじんわりと

自分を誇りに思える

経験だった。


ただ、それを一緒に喜んでくれる人が

いなかった。


1番、したかった事。

誰かと幸せを共有できる自分になる事。


それはできないんだ、と

いう、 挫折でもあったけど。


でも、怖くても立ち向かうと言うことは出来た。

出来たことに目を向けてあげればよかった。


これから、どうやって

また


怖くても立ち向かうことのできる人と

なれるだろう。


これからできること。


そこを考えよう。