どれだけ傷があっても
やる事が卑怯すぎる。
彼の傷や彼なりの辛い心情は
100歩譲って理解できるけど
だからと言って
そういう事をする人を
私が単純に
好きか嫌いか
といえば
嫌いなんです。
むしろ、そのかわいそうの陰に隠れて
言い訳して
そーゆー卑怯なことする人が
嫌いなのです。
もしかしたら私にもそういうところがあるのかもしらません。
同族嫌悪というやつなのかもしれません。
だとしたら
私の嫌なところを刺激する
彼が嫌いです。
そして自分の似ているところが、見捨てたくても見捨てられないかわいそうと自分の中の罪悪感を一層煽って苦しいのかもしれません。
そこに私の問題があるんだよ、と教えてくれてる意味のある出会いだってのだ、とスピリチュアルなこと言われようがなんだろうが
どんなかわいそうな事情があっても
理解してあげることはできても
ハッキリしてることは1つ。
嫌いなんです。
刺激される私の嫌いなところは
私が向き合わなければならない問題。
彼がかわいそうとは関係ない。
だって彼は子供じゃない。
オッサンだ。
彼がかわいそうなのは彼が自分で解決すること。
私が解決してあげる必要もない。
なのに
彼が私に
何故解決しようとしない!と恫喝して
それが私の役割でその役割を遂行してない役立たずと
2人して思っていて
イソイソと役立たずにならないようにあの手この手で努力していた私。
そもそもおかしな恫喝を
当たり前のように2人して勘違いして行われてた
滑稽劇場。
私は自分が好きな人に囲まれてる
環境をこれから作っていきたい。
そういう時代が過去に少しだけあって
その時代は楽しかったと
言える。
かなりのムリをしていたところもあったけけど。
だから今度は
あの
好きな人に囲まれた生活をもう一度取り戻して
その上で
前みたいにムリをするのではなく
ありのままの自分でその人たちといれるように
なれないかな?
方法があるのかもわからないけど
少なくも
やることは
まず
嫌いな人を少しでも自分の世界から減らすこと。
手元に残るのは
私の好きな人
か
私のことを好きでいてくれる人
という環境にしたい。
でも、そんなこと言ってたら
一人ぼっちになっちゃうかな。
それでも良い、
自分をご機嫌にキープしてあげるために
なんて
思い切れる強さがほしいな。
そして
嫌いという感情を持ち込ませるファクターを
なるべく排除する。
あの人が、嫌い。
かわいそうだと思うけど
嫌い。
あーゆーことできる人間が嫌い。
シンプルにそれだけ。
なのに結婚してるからとか
大人だから好き嫌いだけで云々だとか
ややこしい世間の声が入ってきちゃうから、
そしてそれを自分の声と勘違いしてるから
ぐっちゃぐちゃ。
シンプルになりたい。
かわいそうなあの人を嫌うべきではない
という
べき論に
嫌いな私は責められてるの?
わからないわからないと言ってる中でもわかる事、
その1。
今すぐ何が何でも離婚を求めては訳ではない
その2。
あーゆー人間が嫌い。
こうやっていけば
わからないわからないとパニクるより
少しでもわかることを見つけていけるのだろうか?