電車で苦しそうにしてる人を見た。

かわいそうがエサ

今なら
わかる気がする

わかりきれそう=落とし込めそう
まで
どうしたらたどり着く?

何だろう?
かけてるものは?

電車で苦しそうにしてる人
助ける自分
助けた自分に満足?
誰に見せたい?

かつてのあの人は
認めてくれた。
自分がこうありたいという理想を、
そしてそれを実行してる今の自分を
認めてくれた。
価値観が一緒なのだと。

このエピソードは
関係ある?
だからかつての人が好きだった。

あいつは
この私の理想を潰しに来る。

偽善だって。
私の罪悪感を煽る。
本当に偽善なんだろうか?
自分に不安になる。

だけどあいつには偽善かどうかなんて
関係なかった。
罪悪感にさいなまされる私が見たかっただけ。
そこを突けば
自分も脅せると確信を持ちたかっただけ。

だから
偽善かどうかなんかに
惑わされる必要なんて
なかったんだ。

で?
それで?

かわいそう、は?

あいつがかわいそうだった。
見捨てて良いか。
そこの罪悪感はクリアできた。
好きと勘違いしたのもわかった。
一時的に感情がぶれただけ。
大丈夫だよ、私。

で?

かわいそうをエサに今も私がもがいてる?
今度はかわいそうなあいつではなく
かわいそうな自分に。

いつまでかわいそうで
いるの?

いや、

あいつを
かわいそうに
させておくの?
かな?

エサに喰らいつく被害者体質。

あいつをかわいそうにさせておかない。
だから優しくする?
笑わせるな。

脅しをやめないあいつ
それは確信したんでしょ?
だったら
脅しをやめないあいつには
そんなことする必要ない。

それどころか、
脅しをやめるかも?に期待をしてしまってこんな目に今、またあってるんだ。
脅しをやめたって
私は許さない、と決めることだ。

脅しをやめたってやめなくたって関係ない。
あいつに問題を
任せるな。

あいつがかわいそうなのは
あいつの責任。
そのエサに飛びつくな。