もともとずっと自分を無視して
生きてきたから
わたしは、わたしがわからなくなる。
ほかの人のものを見ては、
どれもこれもが、
「わたしがやりたいものっぽく」見えて。
おもしろおかしくいる自分が、わたしなのか。
クソ真面目にしている自分が、わたしなのか。
伝えたいことは、何なのか。
わたしが生きる目的は、何なのか。
わたしは、いま、どこにいるのか
楽しいこと、
おもしろいこと、
ワクワクするもの
そういうものは、
心の感じから、つかめてくるようになってきたけれど、
ときどき、わからなくなる
わたしが、やりたいことを
言語化して、カタチにしてみてください
と言われると、
急に足元をすくわれた気になって、
ここにいては、いけないような気がしてしまう。
心もとない時間がおとずれて
わたしをソワソワさせる。
そんなとき。
となりで子どもが、テレビを見ながら
無邪気に笑ってくれる
「ママーーー!!見て〜〜!」と
意味不明なことをゲラゲラ笑いながら
教えてくれる
その姿を見て、ほっと安心する。
ありがとう、と思う。
わたしと、この世界をつないでくれている。
子どもは、いつだって無条件に、
わたしに愛をくれる
この世界の豊かさを、楽しさを見せてくれる。
ありがとう。
わたしと、この世界を、
つないでくれて、ありがとう。