こんにちは、マヤ暦アドバイザーの矢島裕基です。
マヤ暦を勉強しながら、自分の世界を変えようと日々勉強している。
そんな暇人です。
今日は、日本資本主義の父とも呼ばれる人物。
新一万円札の顔にもなった「渋沢栄一」を、
マヤ暦の視点から紐解いてみたいと思います。
渋沢栄一
渋沢栄一(しぶさわ えいいち)は、
天保11年2月13日(西暦1840年3月16日)に
武蔵国血洗島(現在の埼玉県深谷市)で生まれました。
画像出典:世界の驚異国宝渋沢翁を語る - 国立国会図書館デジタルコレクション
実家は藍玉の製造販売を営む農家。
幼いころから実務を身につけ、経済感覚を自然と磨いていったといわれます。
若い頃は尊王攘夷の志士として活動し、
仲間とともに倒幕を志し、計画を立てたものの、実行前に思いとどまりました。
しかし、その後、一橋慶喜(のちの徳川慶喜)に仕え、
ヨーロッパ視察の旅に出たことが
彼の人生を大きく変える転機となります。
フランスで見た「株式会社」や「銀行」という仕組みは、
日本の未来を根本から変えるヒントになりました。
帰国後は明治政府に仕え、大蔵省で日本の財政基盤を整備。
その後、「第一国立銀行」を設立し、
民間の力で国を豊かにしていく方向へ舵を切ります。
生涯におよそ500社の企業設立に関わり、教育や福祉、外交にも尽力。
彼の人生を貫いた信念は「道徳と経済の調和」でした。
「論語と算盤」を掲げ、利益を追求するだけでなく、
人としての倫理を忘れない経済を目指したのです。
功績の大きさゆえに、「理想家すぎる」と批判されることもありましたが、
その思想は今、SDGsやパーパス経営といった言葉と共鳴し、
再び脚光を浴びています。
Kin68
渋沢栄一はKin68。
銀河の音は「音3」、太陽の紋章は「黄色い星」、
ウェイブスペルは「白い世界の橋渡し」です。
「音3」は、周囲とのチームプレイに強みがあります。
渋沢は一見、孤高の天才と思われがちですが、実際は違いました。
彼は多くの仲間と力を合わせ、官僚・学者・商人をまとめ、
協働のネットワークを築きました。
その姿勢は、現代のリーダー像に通じます。
一人で突っ走るのではなく、チームで社会を良くしていく。
「人の成功を喜び、自分の成功のように祝う」
そんな温かい人間性が、彼の根底にあったのではないでしょうか。
「黄色い星」は、美意識が高く、仕事においても完璧を目指します。
渋沢はまさに、仕事の“職人”でした。
第一国立銀行を設立する際も、帳簿の書き方ひとつにまでこだわり、
部下には「数字の中に人の信頼が宿る」と教えたといいます。
また、彼が愛読していた『論語』には、
「己を修めて人を安んず」という言葉があります。
自分の美学を磨くことが、人を安心させ、社会を美しくする。
これは、黄色い星が求める“調和の美”そのものです。
官から民へ。政治から経済へ。国内から海外へ。
そのすべてを行き来しながら、日本社会をつなぎ直した人です。
地位や名誉ではなく、「社会のために自分をどう使うか」。
それが彼の行動の原動力だったのです。
「白い世界の橋渡し」の役割を全うしたのです。
また、「音3」の特徴として「赤い空歩く人」の要素も持ち合わせているので、
教訓めいた言葉を残しています。
「利を追うのではなく、義をもって事にあたれ。」
目先の利益ではなく、信義と誠意を大切にすること。
それが本当の豊かさを生むという考えです。
現代にも通じる良い言葉ですね。
最後に
今日は渋沢栄一を取り上げてみました。
コメントや感想も、ぜひお待ちしています。
では、また明日(@^^)/~~~
