こんにちは、マヤ暦アドバイザーの矢島裕基です。
マヤ暦を勉強しながら、自分の世界を変えようと日々勉強している。
そんな暇人です。
今回は、医学界のレジェンドでありながら、破天荒な生き方でも知られる
野口英世を、マヤ暦の視点から紐解いていきたいと思います。
野口英世
野口英世(1876年11月9日~1928年5月21日)は、
福島県猪苗代町の貧しい農家に生まれました。
幼少期に囲炉裏へ落ちて左手に大火傷を負い、
手指が動かなくなるという大きなハンデを抱えます。
しかし、その出来事こそが彼を医学の道へと駆り立てる原点となりました。
青年期には医術開業試験に合格し、その後、明治33年にアメリカへ渡ります。
渡米の際も、周囲の人々から借金と支援を受けての船出。
言い換えれば、野口英世の人生は「他者の信頼の上に立つ挑戦の連続」でした。
ロックフェラー医学研究所での研究では、
進行麻痺の原因が梅毒であることを証明し、
医学史に残る発見を成し遂げます。
一方で、黄熱病研究においては、
誤った仮説(細菌説)を主張したことで批判を受けました。
しかし、アフリカで自ら黄熱病に感染し命を落とすまで、
研究の手を止めなかった彼の姿勢は、
功罪を超えた「命を燃やし尽くす生き方」そのものでした。
Kin185
野口英世はKin185です。
銀河の音は「音3」、太陽の紋章は「赤い蛇」、ウェイブスペルは「青い夜」です。
「音3」人と人の間で化学変化を起こす存在です。
他者をつなぎ、信頼を媒介する力を自然に発揮します。
野口英世もまた、周囲の人々からの支援なしには歩めなかった人生でした。
彼を支えた人々は、彼の中に燃える「使命感」に共鳴していたのかもしれません。
彼の母・シカが息子の成功を祈りながら「はやくきてくたされ」
と手紙を綴ったように、人の心を動かす何かを、英世は無意識に放っていたのでしょう。
「赤い蛇」の性質は、本能的なエネルギーと自己保存本能の強さに特徴があります。
端的に言えば「生き抜く力」が核であり、
直感に従って行動することで危機を回避したり、
必要とあらば激しく自己主張する力を持っています。
感情がストレートに表に出やすく、
好き嫌いがはっきりしているため、
周囲には「わかりやすい人」と映ることが多い反面、
神経質さや過敏さも同居します。
自己防衛の意識が強いため、
心の安心を確保するための信頼できる仲間や相談相手を求めやすい傾向があります。
危険を顧みず研究に突き進むときの直感的かつ強烈な執着心、
そして自分の信念に従って周囲と衝突しても押し切る力が目立ちます。
言動が時に衝動的に映ったり、私生活での派手さが批判の的になったりしたのも、
赤い蛇の「本能優先」「感情の示し方がストレート」である側面と重なります。
同時に、赤い蛇的な人が安定感を得るために信頼できる支えを必要とするように、
野口にも母や支援者たちという「心の拠り所」が常に存在しました。
彼が周囲の援助で渡米し、研究を続けられたのは、単に個人の才覚だけではなく、
そうした「信頼のネットワーク」を活かす力があったからとも読めます。
一度目標を定めると、寝食を忘れて突き進む集中力。
体調を崩しても、現地アフリカでの黄熱病研究をやめなかった姿は、
潜在意識にある「青い夜」のものでしょう。
「青い夜」の人はマイペースで、他人の評価をあまり気にしません。
野口英世も同様に、批判を受けても、研究という「自分の世界」に深く潜り続けました。
また、「音3」は「赤い蛇」の神秘キンであり「青い夜」の類似キンの
「黄色い戦士」の要素も持っています。
「努力だ。勉強だ。それが天才だ。誰よりも三倍、四倍、五倍勉強する者、それが天才だ。」
この言葉は、「挑戦こそ人生の意義」と信じて疑わなかった戦士の宣言のようです。
最後に
今回は、野口英世さんをマヤ暦の視点から見てみました。
彼の生涯は、成功と失敗、賞賛と批判、光と影の入り混じるドラマでした。
皆さんの中にも、燃え続ける夢があるのではないでしょうか。
それをもう一度、見つめ直してみるタイミングかもしれません。
では、また明日(@^^)/~~~
