走ることについて
何故、毎夜の如くシューズの紐を結び
夜ごと黙々と走り続けるのだろうか。
それは、多分
走ることで得られる苦しさに身を置くことでのみ
それ以外の「苦しみ」を忘れることができるから。
走った距離や時間を積み上げることに
充実感が無いと言えば嘘になるが、
長い道のりを走りきった達成感などは、
数日も経てば藻屑と消える。
それよりも、
日々の「辛さ」や「痛み」を刹那でも忘れるために
あの独りぼっちの苦しさの中に逃れているのだと思う。
己の足音と呼吸の音のみを聞きながら、
ただ、ただ走り続けるという行為は
実は自分への「免罪符」を探し求めているのだろう。
息が乱れ、脚がもつれ、苦しむ程に
体に纏わり付いた「不安」や「焦り」や「哀しみ」が
次第次第に後方へと薄れては、消えていく。
だけど、立ち止まると伴に、
その魔法の力は儚く消え去り
息を整えている間にも、
日々の「にがみ」がまた体中に染みを付け始める。
走ることについて考えてみると
この苦しみから逃れるために、
シューズを履いて、逃げ惑い
かりそめの解放区を探しているのだと思う。
![$日々之精進 - 中年JOGGERの独り言 -](https://stat.ameba.jp/user_images/20121126/09/californiabruins/e7/55/j/t01800135_0180013512303613706.jpg?caw=800)
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夜ごと黙々と走り続けるのだろうか。
それは、多分
走ることで得られる苦しさに身を置くことでのみ
それ以外の「苦しみ」を忘れることができるから。
走った距離や時間を積み上げることに
充実感が無いと言えば嘘になるが、
長い道のりを走りきった達成感などは、
数日も経てば藻屑と消える。
それよりも、
日々の「辛さ」や「痛み」を刹那でも忘れるために
あの独りぼっちの苦しさの中に逃れているのだと思う。
己の足音と呼吸の音のみを聞きながら、
ただ、ただ走り続けるという行為は
実は自分への「免罪符」を探し求めているのだろう。
息が乱れ、脚がもつれ、苦しむ程に
体に纏わり付いた「不安」や「焦り」や「哀しみ」が
次第次第に後方へと薄れては、消えていく。
だけど、立ち止まると伴に、
その魔法の力は儚く消え去り
息を整えている間にも、
日々の「にがみ」がまた体中に染みを付け始める。
走ることについて考えてみると
この苦しみから逃れるために、
シューズを履いて、逃げ惑い
かりそめの解放区を探しているのだと思う。
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