JWから、心から離れるために。 -2ページ目

JWから、心から離れるために。

exJW.  30年間のJW人生が自分の思考や人生にこんなにも影響を与えていたとは。自分を解放し、許し、受け入れるための備忘録。

 

 次の記憶は、小学校1年生。運動会。

 

我が地元では、学校の校歌に対してオリジナルダンスがあり(笑、小中校の運動会では、運動会のプログラムの目玉?としてどの学校でも組まれていた。そう、人生初めての「証言」である。担任の先生に、○○○は偶像崇拝にあたるので参加できません、と言わなければならない、あれだ。あの時は多分母が連絡帳か何かに、その証言文を書いて渡したような記憶がある。同級生たちがそのプログラムの準備をする中、私は母と手をつなぎ、校舎の隣にあった土手に行き、目を閉じながら母の静かな祈りを聞きながら座っていた。「聖書のおきてに沿って行動する○○(私)をどうか祝福してください」という内容だったと思う。祝福という言葉の意味は何となく知っていたが、そんなめでたい言葉とは正反対で、私はお腹のあたりがキュウっと痛くなり、泣きたい気持ちでいっぱいだった。悪いことをしているはずはないのだが、こう・・罪悪感に似た気持ちで、消えてしまいたいと思っていた。その後、どうやってクラスの列に戻ったかは覚えていない。

 

そこから、中学3年までの8年間、毎年クラス替えのたびに、宗教上の理由で参加できない行事毎を慎重かつ丁寧に説明していった。理解いただける先生もいたが、勿論そうじゃない先生もいた。後者の場合は、1年間影のようにひっそりと生活し、行事毎で迷惑をかける分、成績も生活態度も全てをそつなくこなすことに集中し、学校生活を楽しむこととは無縁だった。家では父親の機嫌にビクビクしながら笑顔で接し、学校では先生や級友たちの顔色を見ながら過ごし、会衆では「未信者のお父さんがいるけど模範的な子」と言われるようにふるまう。そうじゃないと、大好きな母親が悲しむからだ。

エホバのためではない。

 

もう一つ大きかったのは、これまた一回り離れたもう一人の姉(長女)の影響だ。

彼女は顔立ちが整っており、高校ではミス○○高に選出される目立つタイプだったため、高校3年間は上辺だけのクリスチャンをしていたようだが、進学先(専門学校)の会衆で目覚めてしまい、二十歳を過ぎて実家に戻ってきた時は、立派な開拓者になってしまっていた。「若く美人な姉妹が実家で母親や弟妹達を支えながら手に職もつけて地元で開拓者として奉仕している」状況が、狭い巡回区で話題にならないはずがない。しかも、実家が少し落ち着いたころを見計らい、「必要な区域で奉仕する」ということにまで手を出してしまったのだ。あっという間に有名人である。

本人もうっすらその状況を楽しんでいたと思う。(後述するが、彼女は自分の顔と名前が大好きだった)

当然、「△△会衆の★★姉妹のご家族」も勿論注目されるわけだ。さぁ。私はというと、思春期で太り始めており黒ぶち眼鏡で可愛いらしさのかけらもなく、特に目立った活動もしない。ルッキズムを走り始めていた姉の口癖は「あんた少しは私みたいに可愛くしたら?いつバプテスマ受けるの?(当時私は6年生)□□会衆のナントカちゃんは、バプテスマ受けて夏休みは補助やってるよ。あんたもちゃんとしないと。あと、その恰好ヘンだよ」である。

 

私が覚えている最初の記憶の長女は表向きクリスチャンの高校3年生。保育園児の私を抱っこしては可愛い可愛いと言ってくれる優しい姉だった。そんな年の離れたお姉ちゃんが大好きで、彼女が進学先から帰省するのが本当に楽しみだった。数年たって開拓者になった姉は、私の容姿や生活態度を自らの基準で厳しく批判する美人姉妹になってしまっていた。ただ、それでも姉に褒めてもらいたかった私は、彼女の基準に達することができるよう必死に頑張った。集会へ行くこと、そこで考えられた自分のことばで注解をすること、割り当てをしっかりこなし、奉仕にも積極的に参加し、万人に愛される容姿であること。すべては姉に認められ、褒められ、愛されるために。(その基準に達することは一度もなかったが。)

 

家族からの愛のために、私は幼いころ必死で宗教活動を行っていた。そこには、エホバのエもなかった。

愛されたい、喜んでもらって一緒に笑いたい。ただそれだけの理由だった。

 

立派な自分迷子に成長してしまった理由は、こうした背景だったんだな、と俯瞰して見られるようになった今は、ただひたすら幸せだ。