14日目 屋台歌舞伎・宵宮(宵祭り)・秩父神社 | ぼどきど日記 (世界旅行、海外生活など)
こんばんは

昨日はYou Tubeのアップに時間がかかり、記事が間に合いませんでした
3分の動画のアップに2時間以上も掛かってしまったんですね

では、今日は12月2日の模様を

この日は午前中には愛宕神社へ屋台歌舞伎を見に行きました


         屋台は左右に張出舞台をつけて芸座を組み立てると歌舞伎舞台に変身            

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曳き踊りも含め、この秩父祭の屋台行事は
国指定重要無形文化財になって50周年と言う事もあり
BS朝日のクルーも4,5名来ていて
TVカメラが私の横で回っていました

もう放送になってしまったかも知れませんが
1月に2時間の放送だと聞きました

幕間には楽屋に当たるところへ

              かつらを外し羽二重の役者さん

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               衣装とメイクがすごい!

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                これから出番の子供たち

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                お母さん達もかけつけていました

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                この子はかつらをもて遊ばれていました

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                 唯一黒塗りの子だったかな?

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                 黒子君もいました

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                 口上が終わった所 2人とも女の子です

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              小学5、6年生15人が「白浪五人男」を上演

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2日の晩は何台かの屋台の曳き回しが行われます
そして規模は小さいものの、この日も花火が打ち上げられます

私も曳き回しを見に出かけてきました


              本番12月3日では見られない屋台のすれ違い



                中町屋台の後姿



wikipediaより

中町屋台(なかまちやたい) 四台の屋台の中で最も大きな屋台。屋根の鬼板(彫り物)は大きく美しい。 下方(運行組織)は中町屋台保存会青年部が運行している。 6町会の中で唯一、恵比寿の幕、鯛の幕の2枚の後幕を持ち、12月2日、3日と違う後幕を見る事ができるのもこの町会の特徴である。


     運行組織は「い組」と呼ばれ屋台町会の中での屋台のすれ違いは見もの



             こちらはアップ画像



             曳き回しを終え秩父神社横の蔵に帰還

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               今度は秩父神社について 
              この写真はお借りして来ました

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-拝殿前案内板より抜粋-


当社のご創建は平安初期の典籍「先代旧事紀-国造本紀-」によれば、人皇第十代の崇神天皇の時代に、八意思兼命を祖とする知知夫彦命が、知知夫国の初代国造に任命され大神を祀ったことに始まるとされており、武蔵国成立以前より栄えた知知夫国の総鎮守として現在に至っています。
 元慶二年(八七八年)には神階正四位下に昇叙され、延長五年(九二七年)に編纂された「延喜式」にも掲載されるなど、関東でも屈指の古社のひとつに数えられています。また、中世以降は関東武士団の源流、秩父平氏が奉じる妙見信仰と習合し長く「秩父妙見宮」として隆盛を極めましたが、明治の神仏分離令により秩父神社の旧社名に復しました。
 現在の権現造りのご社殿は、天正二十年(一五九二年)に徳川家康公が寄進されたもので、江戸時代初期の建築様式をよく留めていることから、埼玉県の有形文化財に指定されています。また、毎年十二月三日に行われる例大祭は「秩父夜祭り」として国の重要無形民俗文化財に指定され、京都の祇園祭り、飛騨高山祭りと共に日本三大曳山祭りに数えられ全国に知られています。
 古くこのお祭りは妙見祭とも呼ばれ、妙見様の星祭りとして親しまれてきました。妙見様のご利益は、国土守護、除災招福、貧窮を救い、一切の諸願を満たしてくれる天女のような神様であり、庶民の様々な願いを叶えてくれるご神徳があるとされています。


ちょっと不思議な話として


秩父神社は北緯36度のミロクラインに鎮座する事象神社
日本武尊が武器を埋納したという武甲山をご神体山とする

祭神はオモイカネと北辰妙見(天御中主神)

星神と秩父の狼信仰は、ホピの「祖先たちの帰還」の
シリウス(天狼星)につながる

ミロクラインには、出雲国ゆずり神話の
両雄タケミカヅチとタケミナカタの鹿島神宮と
諏訪大社が配置されている

秩父神社はその間にある

              途中で雨が降って来た秩父神社の模様



              これから神門を通り抜け本殿へ

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              境内では雨がけっこう降っていました

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              拝殿の正面 しめ縄の左に注目

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              拝殿左手の『子育ての虎』 写真は拝借品

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未だ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武田信玄公の手により、永禄十二年(一五六九年)に焼失の後、徳川家康公のお力により現在のご社殿が再建されました。
 家康公は、寅の年 寅の日 寅の刻生まれということで、虎にまつわる物語が少なくありません。それにちなんでか、当社の拝殿前は四面にわたってすべて虎の彫り物が施されています。
 特に拝殿正面左より二つめの、子虎とたわむれる親虎の彫刻は、名工左甚五郎が家康公の威厳とご祭神を守護する神使として彫刻したものと伝えられています。当時の狩野派では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているので特徴的です。


-拝殿前案内板より抜粋-


                本殿東側の『つなぎの龍』

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その昔、秩父札所十五番小林寺近くに「天ヶ池」という池がありました。その池に住みついた龍があばれた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことから、この彫り物の龍が鎖でつなぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっています。
 ご本殿東側の鎖でつながれた青い龍の彫刻こそ、この伝説に語られた「つなぎの龍」の姿なのです。
 昔から日本人は、家や地域の四方を青龍、朱雀、百虎、玄武という神使が守っていると信じてきました。この彫刻も、当社の東北(表鬼門)を守護する青龍の姿を、名工左甚五郎が社殿彫刻に施したものなのです。


-境内案内板より-

           本殿西側の『お元気三猿』 こちらの写真もお借りして来ました

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三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家縁りの御社であるにも拘わらず、当社の三猿は日光とまったく違った表情をしています。
 日光が古来の庚申信仰にちなんで「見ざる・言わざる・聞かざる」なのに対し。当社の三猿は「よく見・よく聞いて・よく話そう」ということで、現代の情報化社会にふさわしく俗に”お元気三猿”として皆様に親しまれています。
 当社のご祭神である妙見様は、神仏の中心にあって、人間の元気な命を司る神様として永く信仰されてきたことから、特に不老長寿のご利益があると言われています。


-本殿西側案内板より-



実は今の今まで、つなぎ龍は日光東照宮の
見ざる、聞かざる、言わざるを彫った左甚五郎の作と言う以外
私はお恥ずかしいですが、子育ての虎もお元気三猿も知りませんでした



そして本殿裏側に回ると

                  天神地祇社  (写真は拝借品)

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秩父神社の本殿のうしろには
出雲大社で見てきた物と似ている
長屋タイプの天神地祇社が有ります

全国の一ノ宮七十五座を祀り
1ヶ所で全一ノ宮を遥拝できる贅沢なしくみになっているとか

なぜ秩父神社にそんな中央集権的機能が備わっているのか
由来はナゾらしい



出雲大社のミニチュア版
ここに神様達が勢ぞろい

一部屋は4人部屋とか

この話も半年ほど前に知りました


              こちらの写真もお借りして来ました

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           宵宮の天神地祇社の前にはお供え物がずらっと並んでいます



昭和天皇の崩御の時は当時の秩父神社の宮司さんが中心になって
葬儀が行われたとかも耳にしました

では、次回はお祭りの本番です

また