こんばんは。
寒いねえ。東京は今日とても冷え込んでいる。寒いと心までカンタンなことで攻撃的になってしまう。これは不思議な傾向だ。オイラだけかな。
寒い日は全体機嫌が悪い。
さて、オイラの機嫌なんかどうでもいいんだ。
「自分は他の人のSOSに気付くのに、他の人は私を無視する。だから私には価値がない」
そう悩んでいる友人がいます。
今日はその思い込みには少しだけ考え違いがあるよ、というお話をしたい。
「私は誰かが泣いていたら必ず声をかけます。でも私のときは誰も声を掛けてくれない。私は無価値なんでしょうか?」
そういう疑問に心を囚われてしまっている友人がいます。
あなたが泣いていても誰からも声をかけてもらえない。あなたは誰が泣いていても声をかける人なのに。
あなたには価値がないのだろうか?そんな事はない。実例を紹介しよう。
私の友人がブログで悩みを書いていました。一緒に考えてみて欲しい。
「病院の検査で、父に腫瘍がみつかりました。今週末、ご家族の方に・・・とお医者様から呼び出しをされています。治療方針の相談ならいいのだけれど、もしも違う話だったらと思うと何も手につきません」
このエントリーについたコメントを紹介しよう。コメントをした人は30代の女性です。
「私の知人も先日、親御さんに癌が見つかって余命宣告を受けたそうです。私はなんて言ったらいいか分らなかった。ごめんね」
このコメントを読んで「この阿呆は、何を書きやがるんだ」・・・と、思わないであろう人を、もしもあなたが友人にもっていたとしたら。その人からの心配など、いっそされない方がいい。
心配をうけるだけ、あなたは深く傷つくだろうから。
このコメントを書いた人は「ざまあみろ」と快哉を叫んでいる訳では決してないよ。ただ「私はなんて言ったらいいか分らない」と言っているだけだ。
以前にも書いた事がある。心の痛みを長さや深さに例えるのは乱暴だけれども、深さ50Mの心の痛みしか知らない人に、深さ100Mの痛みの底でうずくまる人へ手を差し伸べることは決してできない。
うずくまる人の抱える悲しみや痛みに、想像力がついていかないんだ。
そして逆は容易い。深さ100Mの痛みを知る人が浅瀬で泣いている子供をみつけるのは容易だし、助けることも難しくはない。
分っていただけるだろうか。あなただから、他の人のSOSに気づくんだ。そして、他の人はあなたの痛みを想像できない。
あなたに価値がある、ないという話ではないんだ。
それではどうしたらいいだろう?
お若い人には、「互いに切磋琢磨する友人以外に、心の痛みについても経験豊富な年長者の友人を多く持ちなさい」と提案したい。
今いる友人の誰にも理解されない痛みは、偏屈だから感じる痛みなんだろうか?あなたが異常だから感じる痛みなんだろうか?そんなことはない。
その痛みを知る人は必ずいる。その人を頼りなさい。その人はきっと、出口もしっているし、出口へ至る道筋も知っている。
叶うなら、できるだけたくさんの年長者の友人を得なさい。出口はひとつではないし、その道筋もたくさんある。
あなたがSOSを発した時に、まるで無人の倉庫の中で一人で叫ぶように木霊しか返ってこない。そう感じたら外に出て大きな声でSOSを発しなさい。
必ず気付いて「どうした?」と声をかけてくる大人がいる。その人を頼りなさい。あなたは無価値なんかじゃない。


