ブログネタ:自分の好きなトコロをあげてみよう
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こんばんわ。管理人ノクです。
自分の存在は全く必要とされていないのではないか。そう思って心を痛めている友人がいます。
その考えが迷路の中で行き詰まり、ご自身を酷く責め始めてしまう事がない様にと願い、3つに分けてお話をさせてください。
あなたの存在は必要とされていないのではないか。その事だけに心を囚われる前に。
相手の方は今、自分以外の誰かを気遣える余裕を持ち合わせているのか。
誰かを必要としているのは、あなたなのか、相手なのか。
あなたが実感できる「必要とされている」という状況は、相手の負担にはなっていないか。
一つづつ、注釈をつけさせてください。
大切なご友人が、恋人が、あるいは伴侶が。すぐそばに寄り添うあなたを、まるで無視するように振舞う事があったとします。遠ざける様子な言動をすることや、他の誰かにばかり頼る素振りを見せる事があるかも知れません。
行動は同じでも、原因は二つに分かれることがあります。ここを見誤ってしまうと、その方との信頼関係が全て崩壊してしまいます。
一つめ。はっきりとした意図をもって、あなたを無視したり遠ざけているのならば、それはあなた一人に対する否定です。ただし実際にはそうでない場合の方が圧倒的に多い。
あなたの大切な人は、あなたを否定しているのではなく、自分の抱える痛みや疲労に心が覆い包まれてしまい、誰の干渉からも逃避しようとしている事の方が、実際には遥かに多いケースです。
中には、特定の一人にだけ心を許し、その人との関わりだけに固執する様子を見せることもあるでしょう。自分の友人が、恋人が、そして伴侶が。抱えている苦しみをあなたにではなく第三者にすがる様子は、容易く「自分は否定された」という誤解を生みます。
敢えて結論からいいましょう。それは誤解です。なぜなら、あなたの大切な人はその「特定の人に」に、根本的な問題解決を委ねようとは思っていないからです。
同じ痛みを知る人に解ってもらいたい。同じ経験をしてきた人に共感を覚えてもらいたい。求めているのは一瞬の鎮痛作用です。失礼を承知で言えば相手の人格に対して信頼関係を求めているのではありません。「同じ目にあった事がある」「以前同じ経験の中で同席したことがある」というその人の経験に対して、共鳴や共感を求めているだけです。
それが悪いと言っているのではないですよ。本題に立ち返りましょう。
自分の悩みや痛みで手いっぱいの人に、差し出した手を振り払われたとしても。それは「あなたの人格を否定しようと意図した行動」ではありません。「立場に関係なく全員が関わりを拒まれている」という事の方がはるかに多い。そして「実体験があるから解るよ」という人にだけ訴えているとしても、それは鎮痛剤役の人です。痛みが退いた後も、その人が変わらず特別な人でありつづけるなんてことはありません。
その一連の出来事の中で「鎮痛剤役も自分が勤めたかった」と思うのは当然だと思います。でもどうぞその事で、あなたの大切な人を責めないで下さい。
それは「今、感じている痛みをすぐにやわらげて欲しい」と、痛みを堪えながら周りを見回している人に「あなたは○○に所属している人間なんだから○○社系列の薬を使いなさい」とブランドを強制するのと一緒です。
痛みさえ取れるのなら、その役は誰でもいいんだ。その後はきちんと、元通りの大切な人に戻るのだから。
念のため、拡大解釈が得意な大人の世界にも申し添えます。チャイルディッシュな寂しさを紛らわす方便に同じ論法は当てはまりませんよ。
さて、あと二つ。誰かを必要としているのは、あなたなのか、相手なのか。
あなたが実感できる「必要とされている」という状況は、相手の負担にはなっていないか。については次のエントリーでお話させてください。