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言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku

おはようございます。管理人ノクです。
仕事に大きくアクセルを踏み込む前に気になるブログがあったので少しだけ語らせていただきましょう。


生きるってなに。と自問される友人がいました。

死ななきゃいいわけ?
寿命がくるのを待っていればいいわけ?



ははは。伝法な、乱暴な話になりますがお許しいただきたい。


子供がいくら考えたって答えは出てこないよ。
でも、それでも、もっと考えてください。その考え続ける過程で答えは見つかってきます。



以前にも書きました。生物は本来自分のDNAを後世に残す事を最優先させる存在です。
全ての生物の姿かたちや習性は、自分が生き延び、子孫を残すために特化させた結果の姿をとっています。


人間の場合は頭がよくなりすぎて、思想というものを一生の中の重大事と捉える様になった。
自分の生きた証しを、自分の直接の子孫以外にも残したい。そう願う様になったんだね。


およそ600年ほど前。能の世界で世阿弥という人が「風姿花伝」(「花伝書」ともいう。)のなかで守破離、という考え方を提唱しました。以降さまざまな分野で人の成長過程として引用されています。少し長いけれども紹介しましょう。


・「守」というのはまず、自分のお師匠さんからの教えを忠実に学び基本を習得する第一段階。おろそかにしてはいけないよ。

・ 「破」というのは、あなたが経験と鍛錬を重ね、師匠の教えを土台としながらも、これを打ち破るように自分流のやり方を求め始める第二段階。

・ 「離」、は少し難しい段階です。これまで教わった型や知識にこだわらずに、あなたが思うが通りのやり方を貫く、オリジナルを生み出すという段階です。

一般的な解釈はこんな感じだと思います。オイラ流だけれども、これを引用して生きるを3つの段階に例えてみたい。


先ず、若いあなたにはまだ後世につたえるべき何物も持っていません。仕事も、長い修練を積んだ技術も、自分が育て上げる子供も。これは当たり前のことだよ。あなたはまだ子供なのだから。

どうぞ両手で抱えきれない程たくさんのものを吸収し、どれも逃がすものかと苦心に苦心を重ねて守ってみてください。これが生きるにあたる「守」にあたると思います。



そのうちにね。「これは自分の代で終わってもいい。自分が墓場まで持って行っても惜しくない」と思えるものと、「なんとしても次の世代に残したい」と思えるものが出てきます。

オイラ自身に例えましょう。美味いものを食うのが趣味です。ハニーと一緒に、食べる事で得る喜びと驚き、うれしいねと確認しあえる時間を大切にしたい。自分の人生の中で、これはとても大切な時間です。

でもそれは自分の趣味だから他人に押し付けるものではないよね。だからこれは「墓場に持ち込むもの」だ。そして「今、疲れ果ててしまっている大切な友人を応援したい。自分が苦しかった時に受けた応援を次の人にお渡ししたい」これは、次世代に途切れることなく引き継いでいっていただきたいと心から願うオイラの「後世に残したい心」です。


自分の時間を、どう大切に楽しむか。これはオイラ個人が追求すればいいし、他人に強要するものではない。
失意に打ちのめされる友人に、出口はこっちだと声をかけつづける。これは、次の人、さらに次の人にとバトンの様につなげていっていただきたいと願う、オイラが一番大切にしている心です。


これが、人生においては「破」の段階にあたるのではないかな。抱え込んだ基本から大切なものを抽出する段階です。



そして、離。誰かを応援したいと願っていますが、誰かを応援するという事は自分の年齢も大きく作用します。
正直いって、応援する側が50代60代になってからでは受け取ってもらえない言葉や思いというのもあります。



そうなったら、自分の出番は終わったと見極めるしかない。そして次の世代が、その次の世代にどんなバトンを渡すかについても自分のやり方といちいち比べるべきではないと思います。


一度受け継がれたものに対しては、受け継いでくれた人を信じて自ら離れる。これも次世代がそれぞれの「破」「離」に至るための大切な応援でしょう。老人が重石みたいにてっぺんに居座り続けるべきではない。


身を引いて、信じて見守る境地が人生の「離」に相当するのではないかな。そこに次世代のオリジナルが生まれてくるのだから。



さて、長々語ってしまいました。今、自分は何がしたいのか。何が出来るのか。まだよく分からない時期にある若い友人にお伝えしたい。生きるってなに?という問いには「考えたって分からないよ」とお答えしたい。


ただし、分からないから考えるのを止めよう、ではありません。考えて考えて、諦めない事をつよくお伝えしたい。
そして、分からない日々に勝手に終止符をうって、分からないから私は無価値だと自分を責めないで下さいね。