散歩をしに行くならどこ? ブログネタ:散歩をしに行くならどこ? 参加中

言葉にしてしまえばたいした問題ではない。-noku

こんにちは。管理人ノクです。

散歩をするなら、というお題がありました。今日は少し自分の感傷などをお話させていただきたい。


散歩の目的は移動ではありません。どこかに用事を足しに徒歩で出かける事を散歩とは言わない。また極端な例えだけれども、ジムのウォーキングマシンに乗って両足を動かすのも散歩とは言いません。歩行運動だね。


移動目的でもなければ、純然たる運動目的でもない。散歩の目的はなんだろう?
オイラ、散歩の目的は「会話」にあると思います。


声に出しての日常会話だけではないよ。自他との、または凝り固まった考えに捉われている自分と、穏やかな新しい発想との会話です。


一人で歩きながら、動かないでいる時には見えてこない風景を見て、恐らくは凝り固まっているであろう感情に新しい刺激を与えて、より本来の姿に近い自分と会話を交わす。


自分自身にとって興味を惹きやすい風景を好んで歩くのは、より刺激を受け易くして本来の自分を取り戻し易いからだろうね。



そして替え難い深い喜びを伴うのが大切な人との散歩道です。
ゆっくりと歩きたいね。手をつないで歩きたい。


そして、交わす会話を耳に残しながら今見える風景を目に焼き付けておきたい。


ままならぬ日々を送る私達です。かつて、とても身近な存在で、笑顔を交わす事さえありふれた日常だったはずなのに、様々な状況の変化から心はそのままに、目線だけが互いから外れて行ってしまう時期というのもあります。


それは決して別れの予兆ではないと信じたい。


互いに身動きのとれない、さまざまな足枷がある時期にムリヤリ手をつなぐ事を焦っても痛みが増すばかりです。


心は決して離れていない。本心に偽りなくそう誓って心に悔いの気持ちや怖れの気持ちが湧きあがってこなければ大丈夫。ははは、少し位湧いてきたって大丈夫にしてしまう、というのも大人の甲斐性でしょう。



かつて二人で歩いた散歩道を、思い出に寄り添ってもらって歩く事も愛情表現の一つだと信じています。


好きな言葉を引用しましょう。もう、逢えなくなってしまった恋しい人を思い出して生きている男が、ある時ついに「全てを思い出してしまった」自分に気が付く。全てを思い出してしまった先に未来はない。もう、取り返せない過去しか手元に残っていない。


悲嘆に暮れる男は、それでも気付きます。「これからは、あなたを思い出して過ごす日々が二人の新しい思い出になる」


これは、恋人を亡くした男の話です。私達はまだ互いに大切な人を失ったわけでは決してない。大切な人を思い出して生きる日々と、大切な人と共に生きる日々の両方がまだ手中に残っています。こんな幸せなことはない。



冬の月が玲瓏と輝く夜にはあなたと歩いた月夜を思い出しましょう。
自分の靴音に、二人歩いた石畳の道を思い出しましょう。
僅かな時の流れが、自分から奪って行けるものなど、何もないと信じましょう。



そして、とても幸せな気持ちに満たされながら、思い出の中のあなたと腕を組み、今はひとり歩きましょう。



散歩、というキーワードを見ながら、そんな事を思いました。念のために申し添えましょう。
家庭内は円満ですよ。今日はオイラの「感傷部分」のお話です。ははは。