noku
管理人のノクです。こんばんわ。

いろいろな方のブログを拝見しながら、言葉につまる思いに苛立ちを感じる日々を過ごしています。


言葉は無力ではないけれど、無限で万能という訳でもない。
その限界の壁を前に、無力を感じているよ。オイラもまた、すぐに自分を責めて心がくじける人の一人だと痛感している。



あまりに過酷な現実に晒されている人に、ダイレクトな話題をしても意味を為さない事が有る。
言葉を受け取る方が、心にシャッターを下ろしてしまうんだ。これは、防衛本能だ。誰かが誰かを責めるような話ではないよ。



過酷な現実を前に解決できない自分を、卑怯だと感じる友がいる。自分は穢れていると悲しむ友がいる。


一見、無関係な話から始めよう。
自分の言葉を綴ることにこだわるオイラだから、創作からの引用というのは殆どする事がない。

今日は例外だな。


こんなセリフがあったんだ。



「生の始まりは化学反応にすぎず

魂は存在せず

精神は神経細胞の火花にすぎず

人間の存在はただの記憶情報の影にすぎず

神のいない無慈悲な世界でたった一人生きねばならぬとしても…なお…なお我は

意志の名の元に命ずる

「生きよ」と!! 」



引用はコミックスだよ。「銃夢」という作品だ。深読みし始めるとかなり難解でね。

話題にしたい部分だけを抽出して紹介しよう。


人の脳が記憶する、全ての情報をチップに書き換えて人間の体に移植できる技術が発達した世界での話。

主人公の頭蓋には本人から移植された記憶が書き込まれているチップが入っている。主人公自体が、主人公のコピーなんだな。その主人公が、摘出された本人の脳を取り戻そうとしている。連載している今は丁度そんな話だ。


脳が戻ってきたら、本人というのはその脳をもつ人物になる。チップに書き込まれた記憶を持って生きる主人公の存在は?そしてチップは工業的な産物だから量産することもメモリーをコピーすることも可能だ。それでは、人としての存在意義は?物語はこれから、そういった方向に流れてゆくと思う。


これは、創作上でのお話。


それでも考え始めると止まらないものがあるね。作品の中で、作者は「人間を人間足らしめるものは、人格だ」と断言している。生身である事ではない、自分がどう行動するかを自分で決める意思を持つ事こそが、人間の定義だ。と言っている。



さて。世に評価されたヒット作品とオイラの私見を並べるのはおこがましいにも程があるけれど。



先日のブログで、オイラ「人は皆、心に正義を持つべきだ」と書いた。「正義がなければ人の行動はどんどん“なんでもあり”に流されてゆくから」と書いた。


少し言葉が足りなかったな。この場で補足させてもらおう。「人間関係の中で、こちらの要求を訴えると言う意味での“攻め”の言動をとるとき、人は心に正義を持つべきだ」と考える。そしてね。

「自分の心を守るためには、正義なんかいらない」と補足しよう。守るためなら、なんでも有りでいいんだ。
あなたが生きてゆく上で、あなた自身を、あなたの心を、あなた自身が守らなければいけない時に、正義や大義なんて必要ないんだよ。



あなたを、あなた足らしめるものが、あなたの自由意志の存在であるならば。


卑怯である、穢れている、という形容は、他人が、「オレと比べてお前は」という比較した上での評価になるね。
あなたが自分の身を、自分の心を守るのに他人の評価は必要ない。そんな言葉は、あなたの存在を危うくするものではないはずだ。


また周りの人も、特にまだあなたと出会っていない大勢の人は。あなたが他の人に本当に伝えたいと願った方の「あなた」を受け取るものだ。


走れメロスという作品をご存知だと思う。太宰治だね。この作品が生まれたきっかけは、借金の督促を重ねた友人に対して「お前は友情の何たるかを全く分かっていない」というアテツケに太宰が書きなぐった小品なのだそうだ。

音楽を志す方ならば、リヒャルト・ワーグナーの生前をよくご存知だろう。借金の肩代わりをしたパトロンの奥さんを寝取って駆け落ちした男だ。ははは。


偉業を残した人でさえ、偉人として生きた訳ではない。ましてや市井のわたし達が与えられた生をまっとうするのに、何の負い目を感じる必要があるだろう?


もちろん、この話は「自分を守るために、正義や大義なんか必要ない」という話だよ。「自分の要求を通すために何の負い目があるだろう?」なんて発想は、迷惑きわまる。


一度しかない、時間に限り有る人生を生きるにあたり、そして自分の尊厳を自分で守るにあたり、あなた自身があなたを指弾する、あなたの敵になってはいけない。


過酷な現実の中、明日を向かえるために必要な行動を、自分で卑怯だと思う必要はない。現実に酷い仕打ちを受けた自分を穢れていると見下げる必要など、どこにもない。


どうか、どうか。生きてほしい。


今はね。オイラ自身が自分の理想を追い始めて、ははは予想通りのとても険しい山を、望んで最短ルートで登っている最中なんだ。大変に心苦しいが、友と思って心を配る人のところへ駆けつけて、目を見て、声で語り合うだけの余力がない。それでも、ご縁を得て友と思っている人の今日の幸を祈らない日はないよ。


いつか、必ず力になれる余裕を自分自身にもって、あなたの前に現れよう。だからどうか、せめてその日までは、生き抜いてほしい。

オイラの助力なんかなしに、先に幸せにたどり着けたらこんな素敵な事はないんだよ。本当におめでとう。と祝福したい。出番に間に合わなかった役者がわざわざ舞台に割り込むような野暮はしないよ。ははは。



いつだって、幸いを祈っているよ。だから、どうか生き抜いてほしい。