ブログネタ:愛のないセレブと愛のある貧乏、どっちがいい?
参加中
こんばんわ。ノクです。
以前、ブログネタで「お金と愛、どっちが大事?」というお題があってね。はは。馬鹿馬鹿しい話題だ。と思って取り上げなかった。今回、愛のないセレブと愛のある貧乏、どっちがいい?というブログネタが上がっているのを見つけてね。
ちょっと、語りたくなった。
あちこちで何度か語っている内容だけれども。オイラ愛っていうのは誰かの幸せを願う感情だと思っている。
よく並べられる言葉に、恋があるね。
恋は、相手の幸せを願うその先に、自分の存在が相手の幸せの中心にあって欲しい。という条件がつく感情だ。
良い悪いじゃないよ。恋の成就に、自分の存在がない。なんて話はありえない。という話だ。
また、片恋は「自分の幸せの中心に、相手の存在があって完結する」感情だと思っているよ。
それに対して愛は、相手が幸せを得た時に、自分の存在がその「幸せ」の中にいてもいなくても良いから、どうか幸せに。と思える感情だと思う。
親が子供を愛する気持ちの中に、自分の存在を中心に置け。なんて条件はつけないだろう?
夫が妻を愛する気持ちも、極端なたとえ話で恐縮だが「俺にもしもの事があったら、お前は不幸のどん底だ」と快哉を叫ぶ様な気持ちではないはずだ。
いやいや。親あってこその子供だろ。とか。いいや。俺が死んだらあいつの人生もお終いだ。と心底信じている人の語る愛は、間違っているとまでは言わないがオイラ共感はできないな。
さて、そんな前提条件が心にあるオイラからみて。
いやいや。親あってこその子供だろ。とか。いいや。俺が死んだらあいつの人生もお終いだ。と心底信じている人の語る愛は、間違っているとまでは言わないがオイラ共感はできないな。
さて、そんな前提条件が心にあるオイラからみて。
愛のないセレブってのは、誰かの幸せのために差し出すつもりのない富がある。てことだろう?
そんな富、誰に誇るんだい? 墓場の先まで持っていけるものかい? 自尊心が守られる程度の衣食住の確保は確かに大切だよ。先ず自分の生活がしっかりしていないと、他の誰かの幸せを健全に願うことはとても難しい。
ただ、セレブってのは衣食住が確保されてオシマイ、という経済力の人を指す言葉ではないだろう。
余った分を、自分への装飾だけにしか使えないのなら。ゼニの切れ目が縁の切れ目の人生になるな。それはとても不幸なことだ。
他方で、愛ある貧乏?ははは。働け馬鹿野郎。と、思うね。
他方で、愛ある貧乏?ははは。働け馬鹿野郎。と、思うね。
雨風しのげる屋根と壁がある建物の中で夜を過ごせて、食べるものを得る手段が社会に整備されていて、個人の力ではどうにもならない暴力に社会ごと放りこまれているという環境でもない。
そんな社会に生きていて何が貧しいんだ?今あげた3つが満たされていない国や地域は世界にいくらでもある。
そんな社会に生きていて何が貧しいんだ?今あげた3つが満たされていない国や地域は世界にいくらでもある。
自分たちより劣悪な環境の中で生きる人を見て優越感を持とう、という話ではないよ。
自力でこの時代のこの国を選んで生まれてきた人はいないだろう。ならばその幸運にはいくら感謝しても感謝したりないという事はないはずだ。
衣食住の全てが、手に入れられる環境が整っている社会に生きて、嘆く貧乏があるかい?
住む場所が戦場になった、砂漠にのみこまれた、という人たちはいくらでもいる。食べるもの自体国内のどこを探しても存在しませんという国もある。そして、個人の幸せを顧みない紛争に巻き込まれる地域もたくさんある。
衣食住の全てが、手に入れられる環境が整っている社会に生きて、嘆く貧乏があるかい?
住む場所が戦場になった、砂漠にのみこまれた、という人たちはいくらでもいる。食べるもの自体国内のどこを探しても存在しませんという国もある。そして、個人の幸せを顧みない紛争に巻き込まれる地域もたくさんある。
働くだけで全てが手に入る国で貧乏を嘆くのは、とてつもない傲慢だと感じるね。
そんな傲慢のデコレートに、愛を持ち出さないで欲しい。
そんな感想をもっているから、愛のないセレブな人生は、とても不幸だと思うし、愛があれば貧乏でもいいと涙目で強がる根性も、とても不幸だと思う。
そんな感想をもっているから、愛のないセレブな人生は、とても不幸だと思うし、愛があれば貧乏でもいいと涙目で強がる根性も、とても不幸だと思う。
ちなみにな。本当に愛情が溢れていたら、少しくらい貧乏だって未来を信じる気力があるから今の境遇を嘆いたり卑下したりしないもんだよ。だから、本当に愛があって今経済的に苦しい人は「愛ある貧乏のままでいい」なんて発想を持たないと思う。明るい未来を心底信じているから、今の境遇をさして気にしていない、が本当じゃないかな。
で、オイラの家の経済状況かい?
ハニーの作る飯をハニーの顔みて「美味しいね」といいながら食べて、命の危険に怯えずに眠れる布団がある。
社会を生きるにあたって不可欠な、絶対的な理解者がすぐ目の前にいる。今の自分を哀れに思う要素はどこにもないね。すごく幸せだよ。
社会を生きるにあたって不可欠な、絶対的な理解者がすぐ目の前にいる。今の自分を哀れに思う要素はどこにもないね。すごく幸せだよ。