唐突ですが、先月7月3日
実家でひとりで暮らしていた享年79歳のオヤジが亡くなりました。
ひとりで暮らしてたとは言っても
実は母は健在です。
実家は私が住んでいるところから車で2時間くらい。
長男である私が家を出たのが27歳のとき。
妹もいますが、10代のうちに東京へ行き一人暮らし。
もともとオヤジと折り合いの悪かった母は
震災をきっかけに6年ほど前から私たち家族と一緒に暮らしています。
オヤジのかかり付けの病院から連絡がきたのは4月の末でした。
連絡のあった翌日、病院を訪ねると
先生から、オヤジはおそらく膵臓ガンであろうと。
しかもかなり進行しており、肝臓への転移も認められ、末期であろうと。
折しもGW10連休を目前とし
休院中の対応が心配ということもあり
私の住む町の病院へ紹介状を書いていただき
平成最後の日 4月30日 緊急入院。
そこで医師からは、現状治療は難しく、高齢であるという理由から
緩和ケア(ホスピス)病棟のある病院への転院が望ましいいと告げられ
翌月5月17日、ホスピス病棟のある病院の一般内科病棟へ転院。
そこで、ホスピスへの順番を待つ中での逝去でした。
入院中こんなことがありました。
ある日、病室へ顔を出すと・・・
『いや~ 北海道へ行ってきた!』
突然なにを? と思い話を聞いてみると
『野菜を積んで、行ってきたw
今日もこれから行ってくる。明日の夜には帰ってくる!』
オヤジは昔、長距離トラックの運転手でした。
仕事で北海道へは行ったことはなかったのかもしれませんが
私たち家族のために、一生懸命働いてくれていた頃の記憶と
震災後、母と祖母が一時的に避難していた北海道へ
自分の車を運転して訪れたときの記憶が混同してしまい
夢を見ていたのかもしれません。
もしくは、処方されていた強い痛み止めの影響で
幻覚を見ていたのかもしれません。
ただ、入院してから、悔しさや無念さ
ネガティブなことばかり口にしていたオヤジを見ていただけに
誇らしげに話をするオヤジをみて
なんとなく、救われたような気持になったことを覚えています
オヤジは入院中、しきりに長年暮らした家に帰りたい
家がダメなら、地元の病院に入院したいと。
地元がダメなら・・・と、ここより少しでも実家に近いところに行きたがってました。
願い通りとはいきませんでしたが、せめて通夜、葬儀は
病院と実家のちょうど中間くらいの小さな田舎町の斎場を借り
極々近しい身内のみで執り行いました。
思えば、私はオヤジを邪険に扱ってきました。
盆、正月も1時間ほどの滞在で、忙しいからとすぐ帰る始末。
それでもオヤジは、私たちが来ることを楽しみにしていてくれたんでしょう
子供たちへのお小遣いや、庭で作った野菜やら・・
半ば強引に持たせられたり。
でもそんなオヤジを素直に受け入れられないわだかまりのような確執のような・・・
この親子関係、この先どうなって行くんだろうか?
そんな心配をしていた矢先の出来事でした。
今までなんにも息子らしいことはしてやれず(親父らしいこともしてもらってないですが・・・)
離れた実家にひとりきりでほったらかし・・・
でも、入院してからの約2か月間は
ちょっとはそれらしいこと出来たかなぁ
今、親になって自分の子供たちが大人になっていく中で
オヤジである自分の生き方を考える毎日 っス