寡黙なオトコはまるでサムライ。
余分なことなどしゃべらない、武士(もののふ)である。

粗食をかっこみ、お勤めに出かける。
朝から静かに学問に更けるのだ。
そして昼食はお百姓が収めたコメをよく味わって食べる。食事中に私語などは言語道断である。
辻には部活歓迎の者共が大勢集まっている。役人が来る前に面倒事は片付けて欲しいものだ。
どうやら面倒をおこしたくないのか、武士のわたしと目を合わせようとはしない。かわら版のような紙を配布しているが、お勤めには関係の無いことだ。
午後に入ってもまた学問に更ける。教室を間違えてもきちんとした対応をするのが礼儀だ。
無論、人々の規範にならなくてはならない。前列で先生を見据え、算術に勤しむのがただしい学問の姿といえよう。武士というもの、他人に頼ってはならないのですべて自分で確認、用意をする必要が有るため大変ではある。
また、放課にて庶民の雑談に首をつっこむことなどはしない。無粋なことは一番してはならないのだ武士として。
日が傾く頃に長屋に戻る。無論、日々の鍛錬を終えてである。
鍛錬といっても軽い運動である。二輪の車をこいで山をのぼりおり。これだけで十分に身体はあたたまるものだ。
そして粗食をかっこみ、エレキテルの燈籠の元にエゲレスの学問をしている。
おっと、忘れていた。草紙の店棚で江戸でも人気の弁士、伊予の奈々こと、水樹奈々のシーデーを買ってきた。路銀に余裕があるわけではないが、宵越しの金は持たぬ主義である。守銭奴であることも大切ではあるが、金洲を溜め込み過ぎるとのちのち飢饉にならんでもないから怖い。奥州での地震もあるから金洲を使うことがせめてもの活動だ。

明日も早いためにこれにて失礼仕り候。