no、2607 飛鳥の朝廷(その128) | 古代史のページ福さん

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ポーンムキー 「人生」汚いことばかり、でもないか (87)爆笑ガーン

★道元の教え

「自分」を観察する。生きる喜びを知るーそれが仏教ー

道元は仏教といえば、こう言っている。

仏道をならうというは、自己をならふなり。

仏道とは自分を習うこと。自分の生命の中に喜びを発見することであった。

◆彼ら留学生は隋末唐初の混乱や王朝交替のありさまを、目の当たりに体験してきた人々である。

○しかも唐は精緻な律令法にもとずく、中央集権国家をつくりあげ、大宗のいわゆる貞観の治を現出していた。

中央集権は当時の東アジア諸国の共通の課題であり、日本も6世紀以降追求していた。

▲朝廷と新知識ー「紀」によればー

僧旻は天文のことに秀でていたので、天地に異常がある度、朝廷に呼び出されそれを占った。

○恵隠は浄土教の無量寿経を宮中に説いて、人々の尊敬を集めた。

○貴族の子弟が「みな旻法師の堂に集まって」周易の講義を開いた。そこには蝦夷の子入鹿も中臣鎌足も同席した。

○南淵請安は儒教にひいでており、後の鎌足と中大兄皇子とは請安の家に通って、路上蘇我氏打倒のはかりごとを進めたと伝える。