渡来氏族の謎 (その69) no,1,579 | 古代史のページ福さん

古代史のページ福さん

yahooブログからの移動です。日本の起源などに興味があり、神社や遺跡巡りをしています。果たして何歳まで活動できるかは?ですが。

⛎ 渡来氏族の伝承 🍹

◆カワチノフミヒト系氏族と外交

中・南河内を本拠とした、カワチノフミヒト達が西文氏を盟主とする

「野中古市人」を核として連携し、フミヒトとして活躍して従事していた

事実が明らかとなった。

○彼等の拠点・居所の多くは大和から難波津・住吉津方面へ向かう

大津道・丹比道・渋河道・磯歯津(しはつ)道などの幹線道路の沿道に

位置し大和川水系とも密接に結びついていた。

○難波の地には奈良時代に馬史(うまのふひと)・筑紫史(摂津国百済郡)

住吉の地には田辺史(摂津国住吉郡)の一族の居住が認められ、

ヤマトノフミヒトの系統ではあるが、南河内を本拠とした高向史もまた

難波の所在地の摂津国東生郡に居所を構えている。

◆カワチノフミヒト系氏族と藤原氏

彼等の外交活動

*斉明朝の伊吉史連博徳(いきのふひとむらじ はかとこ)は遣唐使として

7世紀後半の対中国外交に活躍し「紀」の原資料となった入唐記録の

「伊吉連博徳書」を著わした外交専従者であるが、同時に藤原不比等のもとで

大宝律令の撰定二当った学者でもあった。

*同族の伊吉連古麻呂も「懐風藻」に五言詩一首を残す文人である。

*船連夫子(ふねのむらじせこ)は藤原仲麻呂の家僧で、仲麻呂の依頼を

受けて「藤原家伝」下を著わした延慶と同一人物であり、在唐中に出家して

法号を延慶と名乗ったとみられ、帰国後には、来日する鑑真らに同行して

通訳を務めている。