⛎ 渡来氏族の伝承 🍹
◆カワチノフミヒト系氏族と外交
中・南河内を本拠とした、カワチノフミヒト達が西文氏を盟主とする
「野中古市人」を核として連携し、フミヒトとして活躍して従事していた
事実が明らかとなった。
○彼等の拠点・居所の多くは大和から難波津・住吉津方面へ向かう
大津道・丹比道・渋河道・磯歯津(しはつ)道などの幹線道路の沿道に
位置し大和川水系とも密接に結びついていた。
○難波の地には奈良時代に馬史(うまのふひと)・筑紫史(摂津国百済郡)
住吉の地には田辺史(摂津国住吉郡)の一族の居住が認められ、
ヤマトノフミヒトの系統ではあるが、南河内を本拠とした高向史もまた
難波の所在地の摂津国東生郡に居所を構えている。
◆カワチノフミヒト系氏族と藤原氏
彼等の外交活動
*斉明朝の伊吉史連博徳(いきのふひとむらじ はかとこ)は遣唐使として
7世紀後半の対中国外交に活躍し「紀」の原資料となった入唐記録の
「伊吉連博徳書」を著わした外交専従者であるが、同時に藤原不比等のもとで
大宝律令の撰定二当った学者でもあった。
*同族の伊吉連古麻呂も「懐風藻」に五言詩一首を残す文人である。
*船連夫子(ふねのむらじせこ)は藤原仲麻呂の家僧で、仲麻呂の依頼を
受けて「藤原家伝」下を著わした延慶と同一人物であり、在唐中に出家して
法号を延慶と名乗ったとみられ、帰国後には、来日する鑑真らに同行して
通訳を務めている。