渡来氏族の謎 (その44) no,1,554 | 古代史のページ福さん

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🚇 転んだ日記 (153) 🧜🏻‍♂️

「 ・・・ 」

「 ・・・ 」 「清々しい ?」

※巨大氏族 秦氏

◆「ミツキ」の貢進との関係に基づくと、「ミツキ」を収蔵した

朝廷とクラとの結びつきを考える必要がある。

令の規程によれば、「ミツキ」の系統を引き継ぐ調は、民部省主計寮

の監査役大蔵省に収蔵された。

天智・天武朝頃には、大蔵省の前身官司(かんし)として大蔵が存在した。

さらにその起源をたどると6世紀末から7世紀に百済の蔵庫官司である

外椋(おおくら)部と内椋(うちのくら)の二つに分離された。

◆欽明即位前紀には欽明が幼い頃、夢の教えによって、山背国の

紀郡深草里の秦大津父を得て、これを近侍させ優遇したが、大津父が

大いに富を成したので、即位後大蔵の官に任じたとしている。

○同紀元年八月条は、先述の戸籍に登録した秦氏7053戸を官掌する

伴造に「大蔵掾(じょう)」を任命したと記している。

大蔵掾は大蔵の官を後の令制の知識に基づき、このように表記したもので、

秦大津父を指すと解してよい。