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【知命に向けて】
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無事に49歳になりました。
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画像は49歳になった俺です。
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誕生日というのは毎年思う事は、亡くなった大切な方々へのご報告の日だと思っている。
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俺はまだ何かをするために生かされてるんじゃないかな?
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だからもう少し待っててよ。
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そんな事を思う日です。
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人間50歳になると【知命】と呼ぶらしい。
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天命を知るとは言いますが、果たして俺にとっての天命とはなんなんだろうか?
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それは毎日思う事であり、改めて思うことではありません。
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今年は下手をしたら2回死んでいてもおかしくないような出来事があり(厳密に言えば3回)、それでも尚の事こうして初老の端くれのように早寝早起き過ぎる時間にこんな事を書いているという事は、もしかしたらまだ俺にはやるべき事があるのではないだろうか?そんな風に思えてくる。
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母も祖母も二人揃って亡くなる時には「誰かのために生きろ」そう言い残す程に身勝手極まりない男だったそうで…それは今も変わらずなのかもしれないけど…
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俺が49歳になるという事は、娘が19年生きできたことになる、そして息子は14年。
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なりたくてなった【親父】という立場もキチンとできているかどうかは定かでは無いが、移住してきてからのこの10年も相変わらず自分のために生きているような気がする…
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ただ、ガキの頃と違う事は、自分のために生きるという事は、自分のやりたい事をやるという意味であり、それにはやはり親父という事もしっかりとやっていこうと願う日々でありました、自分のために始めた仕事もいつの間にか、少しでも誰かの役に立てたら良いなぁーという気持ちに切り替わってきた事にも気付いてきました。
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手放す事はとても簡単であり、それは顔も知らぬ俺の親父に対してのアンチテーゼなのかもしれない、簡単な話、人間が自分の心に嘘をつく事はできないという事であり、もし自分の心に嘘をつきながら生きているという事は同時に死んでいるのと同じ事になり、俺からしたらそれは無意味な生だと思います。
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若い頃より体の自由が効かなくなってきたり、やたらと頭でっかちになりがちなお年頃だと思いますが、その全てを否定するかのように柔軟で且つ芯があり、しなやかな人間になりたいと願っております。
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今年は亡くなってしまったお客様もいらっしゃりましたが、その方も含めて、俺の作る自転車を見続けたいと思っていらっしゃる方も少なく無いと思いますので、もう少しだけ…
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自分勝手にものづくりをさせていただきたく存じます。
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なりたい自分に自分がならせてあげられなくちゃ…
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自分が可哀想じゃない?
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大切な事は何も変わらずに、自分に足りないと感じた事は変えていけたら。
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もう少しだけ大きな人間のなれるのではないだろうか?
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そんな事を考えております。
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今の俺とは、出会ってきてくれた方々が作り上げてくれた人間であり、沢山の方々に支えていただいた果てでございます。
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心の底から【ありがとうございます】と言えるようになったのはこの10年があったからだと思っております。
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これからもよろしくお願いします。
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そして来年の今日もこんな駄文が書けるような穏やかな日を迎えたいと願っております。
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