【回想日記】2018年6月4日 岡田監督空を舞う | 回想日記~リメイク~

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先日、2部リーグとの入れ替え戦2戦目で勝利し通算1勝1敗のタイに戻した我々野球部は、勝てば悲願の2部昇格、負ければ再び3部残留の大一番を迎えることになった。

 

当然のように我が家に泊まった岡田とともに家を出て球場へ出発。

昨日の2戦目は勝算があったと言う岡田だが、この3戦目については普通にやれば勝てるが、2戦目と比較すると危なっかしい展開にもなり得る試合だとしていた。

この日の先発は1戦目で不完全燃焼なピッチングとなってしまった田口。

単純な力勝負では勝算が強いのだが、前回頭部死球を相手に野次られて調子を崩してしまったこともあり、序盤で死球などのハプニングに見舞われると少し心配である。

 

この日は後攻ということもあり、まずは1回表を凌げれば圧倒的に精神的に優位に立てるのだが果たして。

私はマネージャーのクロちゃんと共にバックスクリーンから試合を見守ることに。

 

試合の明暗のカギとなる1回表。

登板直前にアスノヨゾラ哨戒班を聴いて完全なメンタルを作り上げた彼は、相手打線を0に抑えて流れを作る。

1回裏、相手のミスからチャンスを作り、犠牲フライで1点を先制。

正直この1点は非常に大きかった。

2回表も田口は相手打線を完全に支配。

そして2回裏、岡田の洞察力が試合を動かす。

岡田はこの2戦で相手の癖を見抜いていた。

それは、「牽制は2秒以内、かつ2塁牽制はほぼない」というものだった。

この癖を伝えられた選手は面白いように盗塁を決めていく。

チャンスを拡大し、内野ゴロからフィルダースチョイスで追加点を取るなど泥臭いプレーもあり、この回なんと4点を追加する。

 

こうなると完全にこちらのペースである。

3回、4回と次々に追加点を重ねていき、相手の最後の攻撃、9回表を7-2で迎えた。

7回で代打で登場した河村の目にも涙が浮かんでいる。

ちょ、まだ泣くの早いて。

 

着実に2アウトまで重ねる。いよいよその時が近づいている。

この日ここまで1人で投げぬいている田口渾身の1球。

相手打者が打ち上げた打球をセンター中澤が大事にキャッチ。

勝った。

ついに2部昇格である。

クロちゃんとガッチリ握手を交わした私は、選手が引き上げるベンチの方へ向かった。

 

グラウンド整備を終えて、歓喜の雄たけびとともにみんなが引き上げてくる。

一人一人と握手を交わし、岡田監督を出迎えた。

岡田の顔は達成感に満ち溢れていた。

 

試合後のミーティング。

これは、岡田にとって最後のミーティングである。

そう、我々4年生は基本的にこの春のリーグ戦で引退するのだ。

4年生には1人ずつ後輩へメッセージが送られた。

私も実質的に野球部に属しているため、メッセージを贈らせてもらえた。

「いいかみんな、グラウンド整備は大事だよ。怪我をしないようにグラウンドを綺麗にしてね。」

少し異質なメッセージに、後輩たちも笑えば良いのか頷けば良いのかという神妙な顔をしていた。

 

最後は岡田の順番である。

ここまで冷静さを保っていた岡田だが、一気に感情があふれ出したのか、一気に岡田の目から涙が溢れる。

当然である。

彼はかなり努力していた。

我が野球部に伝統的に足りないもの、悪しき風習、それらを全て取っ払い、彼なりの理論を構築した。

その理論は一朝一夕にして作り上げたものではなく、我が家で週3以上で開催されていた作戦会議にて日に日に作り上げていったものである。

当然批判もあったが、彼は理路整然と意図を説明した。

自然とみんなが彼についていった。

その結果として、この勝利を掴んだわけである。

私も岡田の涙にはぐっときたが、私はとりあえず笑顔で岡田を見守ることにした。

 

感動のミーティングが終わり、引退する4年生は胴上げである。

私も胴上げしてもらった。

厳密には野球部外の人員が胴上げされるのはおそらく部史上初のことである。

胴上げの経験は不完全燃焼に終わった高校野球部の引退試合以来だったが、そのときとは全く違う、本当に空を飛んでいるかのような爽快な胴上げであった。

 

そんなこんなで試合会場を後にし、コストコのホットドッグを食いに行く。

良くも悪くもいつでも同じ味なのがコストコのホットドッグの良いところである。

帰宅後、シャワーを浴び祝勝会として飲みに行った我々であった。

 

-----2024年6月4日の私より-----

本当に岡田が報われて良かったと思います。

私も打撃投手として貢献しましたが、本当に私の球は打ちやすいので、私の球を打った人は自信の本来のスイングを取り戻すことができていたように感じます。

つまり影の立役者ってわけ。

ただまあ、私もこの部で監督をしましたが全くうまくいかずに病んだので、適材適所はあるよな、という人生訓にもなりました。