過去に現在を飲み込まれないで取り出してブログに書く。


解離性障害とうつ病と共に生きるcaili-cairyです。




年末年始の帰省で細々としたことはありましたが、大きな棘が刺さることはなく、気持ちがささくれ立つくらいで済みました。


そうすると自分に湧き起こるのが、両親に対して嫌悪感を持っていることへの疑問です。50代にもなってまだ育ちに囚われているなんて。という世間の声に私の自我が寄っていく感じです。


でも、じゃあと、彼らが私にしたことを振り返ろうじゃないかと考え直し、おかしかったことを振り返ります。そして怒りを再燃させる。


今まではそうでした。


やり方が少し変化したことを感じています。


私の怒りは、トラウマ的に過去を再現する怒りではなくなってきています。


今感じるのは、実際に私の育ちの中で起こってきた困りごとを怒りとして感じた私が、彼らに助けを求めた10代後半、そして、第一子出産後に対決をした際の彼らの対応についてです。


何をどう話しても暖簾に腕押し。悪かったとは思わないのか、共感も謝ることもなく黙って聞くだけ。そして、そんな過去はなかったのではないかと否定だけは忘れない。記憶の改竄をしてまで。


私🟰自分の娘が苦しんでいても、それについて対応することはなく。本を読んで調べたり、病院を調べたりすることもなく。むしろ、「じゃあどうしろっていうんだ」と病の中、正常な判断のできない娘に「やり方(解決法)」を訊ねる不甲斐なさ。


そんな対応しかしなかったことについて人間として親としてどうなんだと冷ややかな視点から見て、気持ちが怒りという熱さではなく、氷点下になり凍りつくのです。


1/6 副食物費

もも肉 357円

三つ葉 127円

七草セット 537円

グミ 117円

合計1138円でした。差引▲8954円となり1日分割当1900円を足した▲7054円が1/7の当日割当額となります。


1/7 副食物費 NMD❗️

差引▲7054円となり1日分割当1900円を足した▲5154円が1/8の当日割当額となります。




7年ほど前に、ASDの視点を持って母親を見始めてから、私が育ちの中でも病の中でも喉から手が出るほど欲しいと思った(なんなら最近まで)共感は得られないものだと解りました。


5年ほど前に、父親もASDグレーなのだと、その視点から物事を見始めてから私の過去への疑問がするすると解を獲始めました。


嫌だった記憶、返ってこない返事、会話の妙。


ASDという仕組みの脳だと確かにそんな対応をするのだなと解けていったここ数年です。過去の出来事を思い出すと、彼らがASDだとしたらという視点で見返して、確かにそんな対応になるだろうなと私側の見方を変える事で記憶が怒りに結びつく事がなくなってきています。


彼らと心理学的対決をしたところで、私が、そして「私が好きだと思う人々なら当たり前に」気がついたり、感じたり、反省したり、感情的に返事が返ってくることを期待したところで。


返ってこないのはそういう脳だから。


病の娘に対しての、対応にしても。それしかできなかったのだろうという視点で世界を切り取っています。


だとしても、彼らの対応がクズだということに変わりはないですけど。


だから、でもじゃあ、この怒りや、やるせなさや、私の人生が一般的でなくなったことに対しての悲しみをどう処理したら良いのか。


私の出した一つの答えとして、ブログに書くことで誰かの一助になったら良いなということで、拙い文で綴る日々です。