夜更かしした次の日は


ジャンクなモノを欲する、めぐりーなです知らんぷり


健康な身体づくりをしてるのに、睡眠には何も手を加えてませんでした



当たり前って盲点ですね


毎朝起きると背中が痛かったのにぐすん



背中ほぐしてから寝ると

寝返りを打てるようになりました立ち上がる


口にテープを貼って鼻呼吸で寝るのも

睡眠の質を高めるんだとかスター

(歯医者さんで聞きました)





さて、本題です

自宅ほけんしつ化計画


森のようちえんスタッフの私ですが

保育ではなく

森のほけんしつという場を月に一回開催しています



ほけんしつと言っても、養護教諭免許を持ってるわけではなくて


心と身体のケア、相談に乗るほけんしつです。


あ、学校の保健室も心と身体、両方に寄り添ってくれるのかな?にっこり


何を隠そう、かつて保健室の先生になりたかった時代がありました


保健室の先生の子どもたちの心に寄り添える場をひらく人っていうエッセンスに憧れていたんです。


その人に話を聞いて欲しくて、寄りたくなる場所

心がひと休みできる場所

私の中の保健室のイメージは、そんなあたたかさを感じられる場であり、人でした


そのささやかな夢も同時に叶っています



もうひとつ、喫茶店のママになりたいという夢があります


美味しい食事やコーヒーを提供したいのではなく、これも保健室同様に


めぐりーなママのいる喫茶店に

お客さんが話を聞いて欲しくてやってくる

心を休めるためにやってくる

そんな存在になりたい。そんな場を創りたいという願いがあります


私の中では、保健室の先生も喫茶店のママも、同じ分類です




最近「ウチに来ない?」と誘うようになりました


以前は家を見られるのが嫌でした


自宅に自信がなかったんです


片付いていない、整頓されていない

飾られてもない、お気に入りな空間でもない


そんな家と、自分の価値が結びついていたのかな


そんな大したことない家に住んで良しとしてる私という存在も、同じく大したことないショボーンみたいに思ってました



でも、人の家に行く機会が増えて

訪問者、お客さんの目線でいると


散らかっていても

片付いていても

おしゃれでも

飾られてなくても

美味しいものが出されても

何も出てこなくても


どれも

へぇ〜(ジャッジなし、ただの感嘆)

とか

ありがとうございます

って感じなんだとわかったから


安心して、

大したことない自宅に人を招き

大したことない、おもてなしをしていいんだと思えた



へぇ〜っていうのは

ジャッジがないっていうこと


「このお家は、こういう感じ(ルール、価値観)なんですね」

だからダメとか

だから良いとかじゃなく

ただ、そうなんですねーって感覚


そして、その家と人の存在価値には

何も影響はないのが、わかった


良し悪しのジャッジはしないけど、解釈やイメージはするよ


普段はあまり見せてないけど、

この空間ということは、こんな一面があるのかな?とか、言葉にはしないけど、こんなことを大切にしてるのかな?とかねウインク


自分が人のお家によく行くようになり

しかも何度も同じお家に遊びに行かせてもらったことで、ジャッジが外れた気がする



色んなお家に一回ずつ訪問するのだと


あの家はこうで

この家はあの家よりこんな感じって、

どうしても前の家との比較が入りやすいよね


でも、同じお家に行き続けたら

そのお家の特徴や個性だけが見えて、

比較は生まれないんだよね


あとは、至らない点、ないものを見るとジャッジ目線になるけど、


あるものを見ると、ジャッジせず、その人やお家の機能や特徴が個性として見えてくる



そういう良し悪しのジャッジを抜けた

"あるもの"を見る目線で

人と付き合っていくと

パラドックスだけど

相手の良い面がより良く見えてくるんだよね



ここで言う良い面っていうのは、

私にとって都合の良い面じゃなくて

その人の際立つ機能や特徴、個性のこと



そして、

相手のお家に招かれて

お邪魔させてもらってる時点で

悦んで訪問してるなら

それは感謝でしかなくて

そこで何があってもなくても、感謝の中で起きた出来事でしかない



だから、全てありがたい出来事なんだ



そう思ったら、自宅に人を招くことに怖さがなくなった



もうひとつ、成長、拡大したいと思って、新しい世界に出会うためには、移動することが大切だと聞いているけれど


私のような主婦、ママにとっては

自分から外に出かけて行くことよりも

新しい人を自宅に招くことの方が

自分のライフスタイルに合っていると気づいた



そしてね、場を移動するとは、外に出かけて行くことだと思っていたけど、


家にいながら移動することもできるんだなと知った。


さやりんごちゃんが家にいながら拡大してるのって、家にいながらちゃんと移動してたからかもしれないな



そこで、自宅ほけんしつ化計画飛び出すハート


今は友人を招いて、ご飯を作って話を聞いて

時には自分の話をする


それは、友人とランチしておしゃべりするっていう

日常のように見えるけれど



私がほけんしつの先生として、その場にいることで


もうそれは、自宅がほけんしつになってるよね



私が自宅にお客様を実際に呼んで

ランチしたりセッションする日も近いかもしれない



楽しみな未来ハートのバルーン