解説の前にちょっと私のふわスピ遍歴をおさらいします。


3年前くらいにNVCという

非暴力コミュニケーションっていうのに

出会ったの。


そこからコツコツ自己対話していったら

自分の世界が明るくなっていって

自分を好きだなって思うようになった。


そのぐらいから、停滞するのを感じてたの。


自分の世界は大丈夫だけど、

一歩外に出ると

怖くて何もできない、何も変わってない自分が出てきた。


この時にハッピー理論に出会った。

ハッピーちゃんの言葉で、

フックをかけるとか

具体的に行動する時にヒントになる言葉がいっぱいあって、

NVCで自分に寄り添った後、

行動に繋げられることができたりした。


そこまではよかったんだけど、

ハッピーちゃんの発信を見てるうちに、

ハッピーちゃんの外側の現実創造の部分を見るようになってた。


肝心の奥底の真理の部分が

抜けてしまって、

何かすごいことばかりに目がいってた。


ハッピーちゃんが踊るから

それが正しいから

自分も踊るみたいな、

外側を真似るようになっていて


自分が踊りたいのかとか

踊るより本当は家事終わらせたいとか

そういう自分に問うことを

しなくなっていた。


もうふわふわよね。


自分が不在で

ハッピーちゃんの発信をしていることを真似る。

当然スケールが違いすぎるし

軽さが違いすぎて

自分はできないから、やっぱり自分はダメだと絶望したりしてた。


なんか、幸せになりたい!って、

今の暮らしが最高に幸せなものなのに

幸せを外に探すようになってたの。


現実に目がいかなくなってた。



なんかおかしいな?と思いつつ、抜け出せないでいた。


そんな時に、さやちゃんが生活ビジネス講座の募集配信の中で、ふわスピについて何度も熱く語っていて


私やん魂が抜けるってなった。


そこでまた私は間違えます。


ふわふわしたのは、ハッピーちゃんのせいって思いだしたの。



勝手に変な解釈したのは自分なのに、他人のせいにしたの。


被害者面ね。

後々、自分が現実創造に目が眩んだせいだったって気づくんだけど、この時はまだ、被害者意識。


あんなに大好きだったハッピーちゃんの発信を見なくなった。



その代わりにさやちゃんこそ本物だ!さやちゃんの発信が正しかったんだ!と思うようになった。



でもさ、あんなに幸せにギブができてあんなに繁栄してるなんて、ハッピーちゃん、絶対本物じゃん?


そう思って、久しぶりにハッピーちゃんの発信を見たら、



やっぱりギブの人だった。



自分はテイクばかりで、クレクレのテイカーだった。



テイカー目線が前提の自分と

ギブ目線が前提のハッピーちゃんとでは


最初の一歩目から全く違うよね。


同じことをやってもやっても満たされる訳がない。



大前提が違うから、違いすぎるから。


人の話を聞く時は


この大前提が違うという視点で聞かないといけない。


人は違うのだから、多様性なのだから


その中でどんな人にも共通するアルゴリズムを伝えているんだけど、前提が違うことがわかってないから、外側で同じことをしても、何も変わらない。



ハッピーちゃんがいったいどんな前提を持っているのか?使う言葉に、どんな定義を持っているのか?


その違いを理解するには、

やってみないと、試行錯誤しないとわからない。


ハッピーちゃんが皿洗いから安室ちゃんになれたのは、


現実創造のアルゴリズムの前に


ギブの姿勢があるからだと私は思う。



奇跡とも思える、思いもよらない体験のギフトは

ギブする足を止めない人を選んでやってくる。



大前提が違う。言葉の定義は?


そんな視点でハッピー理論聞こう。


好きな話を聞こう。



めぐりーな