そもそも、私がどうしてまずい料理について考え始めたかというと
お客さんからのコメントで
「トマトソースの味が、もっとおいしくなったら、リピートしたい」
というコメントを見つけたからだ
結局、ダビデのトマトソースは美味しくない、と言っている
でも、ダビデは、生まれてこの方、ずっとこのトマトソースの味で育ってきているわけで
コメントにある、美味しくないという理由も分からなければ、
これ以上、どう美味しくしたらいいかも分からない。
だって、今のままで十分美味しいと思っているんだから。
そして、それがダビデの独りよがりでもなんでもなく
イタリアでみんなが美味しいといって食べているものだから
なおさらだ
コメントをくれた人は、きっと良かれと思っていってくださったに違いない
でも、ダビデのトマトソースの味は変わることはないだろう
ちなみに、私は普通に美味しいと思うし、それも、人それぞれ好みの域に入ってくる
でも、もし、そう思っているお客さんがたくさんいるのなら
やっぱり本場のイタリア料理は日本では受け入れられないと考えるしかないのか
日本でイタリア料理店をやっている人の話では、
「絶対イタリアの味そのまま作ったら、日本人には合わない」
というのは当たり前らしい。
じゃあなんで、
イタリアにないものをつくってるのに
本場のイタリア料理とうたうの???
やっぱり商売だから?
商売は、美学だけではやっていけないから?
今では、ネット上で、いろんな書き込みサイトがたくさんあって、
その書き込みを参考にすれば、
失敗なく美味しい料理にたどりつけると
聞いたことがある。
そこに、まずいと書かれたら、
お客さんはもう来ないと考えていいだろう
でも、その「まずい」と言う意味には
個人の好みが加味されているため、
本当にまずいかどうかなんてのは
やっぱり食べてみないと分からない
それとは、逆で、
じゃあ「おいしい」って書いてあったら
それを鵜呑みにしてしんじていいのだろうか?
「おいしい」にも
主観や個人的な好みが入ってて、
ダビデのつくる料理で言ったら、
味の濃いのが好きな人が「「おいしい」と書いたのを
味の薄いのが好きな人が信じて食べにきて
「うわ、味濃すぎ!」とか
「油っこい」とか
そう思われる事だってあるだろう
書き込みサイトで評価してあるのを参考にできるのは
客にとってとてもありがたい
でも、そうやって、美味しいかどうかの判断を、
自分の口で確かめるのではなく、
第三者にゆだねてしまっている社会って
どうなんだろう
ネットに「おいしい」とかいてあったから「おいしい」と信じ込んでいる
ねっとに「まずい」とかいてあったら、もうそこでアウト
ネットに書いてあることが、あたかも自分の主観と重なっているかのように思うときもある
なんでかっていうと、
ダビデが、
日本人は、見た目は気にするけど、本当の料理の味を味わって食べていない
というからだ。
書いていると、とまらなくなる。
ネットがなかったら、こんな風に、自分の思いを書いて
みんなに伝えることもできなかっただろうけれど、
ネットがなかった時代のほうが、
人々は自分の足を運んで味を試してたんじゃないかな、とか
料理を本当に味わっていただいていたんじゃないかな
「まずい」とか「うまい」の定義って本当に難しい