朝は割と子どもの頃から得意ではない

朝のラジオ体操は拷問のように感じたし
休みの日には
泥のようにひたすらのんびり寝た。 
大学では極力一限目は取らないようにした。(一限目は必須科目以外は無理と自覚)

朝が苦手なのは
大人になった今も変わらない。
朝は脳が起動するまで
かなり時間がかかるし
朝ごはん食べ忘れて仕事にいくのも
よくある。
途中で気づいて「あ」
と思うけれど
食べなくても
さほど日常に影響はしないので問題ない。
(最近は寄る年波のせいか、全く食べないと顔が濡れたアンパンマン化するので、みかん1つくらいはなるべく食べるようにしている)

夜のほうが
スイッチ入りやすいので
論文や事務作業は
夜に取り組み
翌日チェックするスタイル。

何が言いたいのかというと

人は基本的に
苦手なものや
得意なことは
変わらない。

克服したりもできるけど

自分のことを理解して
自分とうまく付き合って
自分の得意なことや
好きなことから
どんどん自分をアップデートしていくことが

幸せに生きるためには必要だということ。

子どもも同じ。

学校で
みんなと同じことを
同じようにできることを
目指すのではなく

その子が「好き」「楽しい」
と感じることをどんどん体験してみる。

そういう学び方が
子どもの成長には必要だ。

かの福沢諭吉も
「文明教育論」で
 “education” を「教育」ではなく「発育」と訳すべきと訴えたけれど、何年か外国に行っているうちに 「 教育 」 と訳されてしまい、たいそう残念がったとのこと。 

“発育” は学ぶ側が主体であるのに対して、“教育” は授ける側主体。学ぶのは本人なのだから、主体がどちらにあるべきかは、言わずもがな。

Educationは “educe” が語源。
可能性を引き出す、という意味。

日本は「教育」と訳した時から
学びの質が変わってしまったのかもしれない。

好きなことから
発育していく。

それで良いんです。
 
大人のみなさんはどうですか?
幸福度高い人や
自己肯定感高い人は
仕事とか、趣味とか、
好きなことをやっているのではないでしょうか。

私の場合はどうかというと

自分の意思とは関係なく
辛いことやどうにもならないことも
もちろんありましたが
自分で選択できることは
「好き」なことを選んできた。
仕事も、長く続いているのは
私を支えてきた「本」にまつわるお仕事。
好きだから嫌にはならない。
しんどいことがあっても
「好き」が支えてくれるから。

仕方なく選んだときは
幸せではなかった。


子どもの「好き」を
大切にしてあげましょう。

そこから自己肯定感は高まり
未来へ向かうエネルギーになります。

ゲームだって
なんだっていい。

エネルギーを貯めるには
「好き」が必要。

不登校は
自分らしく学んでいく第一歩。
どうか自分に誇りを持って
自分の道を
自分のペースで
歩いて行けますように。