おじいちゃん | そよそよ日記

そよそよ日記

おやつと雑貨 poco a poco

私に仕事をさせて!と言ってPCに張り付いているのに、

苺ビュッフェやらオールドレンズのことをつい調べてしまうぽこです、こんにちはニコニコアセアセ

だって広告に出てくるんだもん・・・知らないうちに情報を搾取されている現代社会!!←とか言う割に気にしてない

 

どうせなら合間にブログで息抜き・・・ですねウインク

 

帰省して本家に帰った時に、母や叔母さんから昔の祖父母のことを聞きました。

なぜ今聞いたのか?

2年行かなかったせいもあって、イトコの子どもたちは成長を感じたし、親世代には老いを感じ、まぁ自分もですが、

今聞いておかないと一生知らないままなんだなぁ~って思ったんです。

親の若いときの話はたまには聞いても、祖父母の若いときの話って、聞いたことなかったんですよね。

え?私だけですかね;;

 

うちの母は4姉妹だったので、イトコはたくさんいます。

ちなみに父は蒸発しました。なので親戚話は99%母方のことです。

そしてイトコにもそれぞれ子どもがいて、集まれば結構な人数に・・・

昔はチビばかりでしたけど、もう小学生~社会人まで大きくなっちゃって。

いつも集まっていた本家の広いリビングも、もやがかかったように・・・空気が淀んでいました(笑)

 

わかりやすいように淡々と書きますが、

 

おじいちゃんはひとりっ子。1歳の時にお母さんは亡くなった。

おじいちゃんのお父さんは「子供の産めない人」を条件に、新しい奥さんを探し再婚。

不遇とかではなく、溺愛された。

とっても頭が良く、時習館高校へ行ってたけれど、実子でないという事実を知った時には家出をした。

じいちゃんでもグレるんだね。。。

そのまま家を離れて静岡大学へ。

戦争でフィリピンへ。その後捕虜となってアメリカにわたる。

通訳ができたので(現地で覚えたらしい)、優遇された。

帰国。両親は、戦争で死んだと思っていたのに帰って来て驚いた。

 

祖父母それぞれのお父さんは、旧国鉄で隣の駅の駅長さん同士だったそうで

祖母も4姉妹だったため、「4人いるから好きなの選んでいいよ」みたいな感じで決まった。(ぇ~笑

 

街並みが昔!!当たり前か

 

じいちゃんめちゃくちゃ可愛いチュー

「ようきてくれたね、てれとるだかん?」

って聞こえてきそう~

 

私たちがちいばあちゃんと呼んでいた、曾祖母(おじいちゃんの継母)は、おじいちゃんを溺愛していたため

おばあちゃんとの折り合いがすこぶる悪かった。←これはよく覚えている

 

勤め先は光学系?で、今はすごく立派になってる会社でした。

英語ができたから当時珍しいアメリカ出張とかもしてたんだって。

でも関東に転勤になった時、単身赴任で家族と離れるのが嫌だったらしく・・・

辞めて戻ってきちゃった!

関東大震災が怖くって、どうせ死ぬなら家族で、という事らしい

そして知り合いから起業を持ちかけられて、やるやるー!って感じで始めたらしい。

ミノルタカメラの下請け工場を持ったのでした。

 

じいちゃんが撮ったと思われるおばあちゃんの写真。

仕事の影響なのか趣味なのかわからないけど、暗室も持っていたらしい。

 

おばあちゃんも飲食店を出したいと言ったんだけど、

おばあちゃん大好きなおじいちゃんは「水商売はダメ」といって、スポーツ店を開いた。

なので私は小さいころなぜかマイスケート靴とかあった。

スケート上手な叔母さんに教えてもらったりして、後ろ滑りもできたりした。昔はね。

 

 

叔母さんはアルバムを出してきて見せてくれながら、話してくれました。

モノクロの写真がたくさん貼ってあって、なんか、とっても・・・

感動しました。(言い回しがわかりません

 

私が飲食店をずっとしたかったのや、今写真にハマってるのって、DNAが関係するのかなぁ。

プラネタリウムに連れて行ってくれて星空が好きになったこととか

写真集を見せてくれて東山魁夷が好きになったこととかは、おじいちゃんの影響ですね。

もっと色々な話をしたかったなぁ。二人とも短命だったから・・・。

ちなみに、おばあちゃんの思い出はコチラ

 

若いときはわからなかった。若いうちから大事なことが見つかる人が羨ましい。

時間をかけて、楽しめるから。

でも今だから、思えることもあるし、今からでも楽しめる事もきっとあるよね。

 

ではまたパー