私は昭和41年丙午生まれ。60年経って今年で暦の干支が一巡し再びの丙午。ということで先日めでたく還暦を迎えました。

妻が還暦祝いの旅行を準備しておいてくれた。宿では次から次へと地元で獲れた大きな伊勢海老とかスゴイ刺身の盛り合わせが…ありがとう妻!

30歳を過ぎたあたりから「誕生日祝い」というのが嫌になり、周囲にも自分の誕生日がいつなのかを隠すようになった。子供の頃とか、まぁ若いうちはそういうのもいいだろうけど結局は余命が減っていくというだけのことだし、それに毎日を淡々と過ごしたいと思うようになったりとかね。特別なそれなど面倒くさいし余計な騒ぎなどしたくないし。
でも還暦に関して言えば長年、60歳を無事迎えられるとは思っていなかった。いろいろあったから。因みに父も父方の祖父も、母方の祖母も闘病生活の末に60代半ばで死んでいる。あとはよく知らないがともかく長寿の家系で無いことは確か。なんとか元気でここまで生きてこられたのだからめでたい。ということで妻が私の還暦を祝ってくれたのを素直に喜んだ。
還暦を迎えてあらためて想うことは「残された時間は少ない」。父や祖父と同じくらいまで生きてられると仮定すると人生あと数年。無事70歳を迎えたとしても…70代の年配者が「50歳代の10年間よりも60代のそれはあっという間、70代は尚更」と言っていた。多分そうなんだろう。
「断捨離」というのがあって、不要なモノを捨ててスッキリシンプル、モノへの執着から解き放たれた暮らしを送ろうということらしいけど、還暦を迎えて必要なのはモノを捨てることだけでなく「行い」の方かなと。それまで何気なくやっていたことのうち、必要のないのはやめる。
「付き合いで」「今までそうしてきたから」…惰性で今まで続けてきてしまったことって結構あると思う。「他人から認められよう」「誰かに良く思われよう」「将来のために今は苦労しよう」…それは将来がある人達が考えることだ。明日死ぬかも知れないのなら、そんなのに時間を費やす暇などないよね。
「残された時間は少ない」…数年前から度々考える。「いつ死ぬかわからないのだがら、これからは自分の好きなことだけをしよう」と。最近私が社会運動への参加を控えたり、滅多に友人知人と会わなくなったのもそんな理由。仕事の他は近所の河原を散歩、それにゴハン作ったり妻と晩酌したり…時折旅行にも行くけどそれもカラダの動くうち。そんなんでいいと思っているし、多分それが私の望む人生というか余生。
でもあと一つだけ。出来ることは今すぐやる。思い立ったらなんとか。明日生きているという保証は無いしね。休みたいのなら死んでからいくらでも休める。
"Tempus Fugit"
好きな言葉です。時はブッ飛んでいく。『光陰矢の如し』とも言うね。