私は『清澄白河』という言い方に未だ馴染めない。

平成の世になって都営地下鉄大江戸線、東京メトロ半蔵門線の新駅が開業し、都心からのアクセスが向上したこのエリア。近年、米西海岸で人気のブルーボトルコーヒーが店を開いて以降はおしゃれな店も増え出し、観光や散策で訪れたり更には住み着く人も増え出した。

『清澄白河』という地名は昔からあったものでは無く、開業した駅周辺の二つの町名『清澄』『白河』に由来したいわば造語で、同様の事例は同じく都内の『白金高輪』『溜池山王』『練馬春日町』『赤羽岩淵』『浮間舟渡』等々多くある。

『清澄』とは同地が安房国の清済に地形が似ていること、『白河』は白河藩主・松平定信に因んで名付けられた町名で古くから使われている。『清澄白河』とは千葉と福島に由来する地名という訳だ。



『清澄白河』に馴染めないのならどう呼べばピンとくるのか? やはりこの一帯は『深川』であろう。

今でも町名としてごく狭い地域にその名の残る『深川』だがかつて東京15区の頃、隅田川の西岸から大島のあたりまで、新大橋通り沿線以南は『深川区』であった。学鋼勿論その時代に生きていた訳では無いが、江戸を舞台とする時代劇などで頻繁にその名を見る『深川』。富岡八幡宮の鳥居前町、岡場所、辰巳芸者、須崎パラダイス、あさりや青柳の汁物を飯にぶっかけて頂く「深川めし」…深川には歴史があり、今でも江東区内の中学校には豊洲までも含む広い地域に『深川第×』という名称のものが多いのも頷ける。



一方で『清澄白河』。こちらは年寄りの私にとっては新し過ぎる。そしてタクシーの仕事中に若いお客サンから「清澄白河まで」と言われると、「都営地下鉄の駅まで行けばいいですか、それとも?」と聞き返してしまう。清澄白河エリアが何処までを指すのかピンと来ないのだ。で、いつも意地悪く「かしこまりました、深川の方までですね」と返している。

そんな深川。古くから有名人も数多く住んでいた。隅田川の西岸に庵を結び『おくのほそ道』などの紀行文を残した俳人・松尾芭蕉もその一人で一帯には由来するスポットが点在する。







深川散策の途中、立ち食いの『芭蕉そば』に立ち寄った。



早朝から午後二時までの営業。土日休みで平日都心で働くサラリーマンにとっては難易度の高い店。入口に灰皿が置かれているのは、客としてよく来る喫煙者の割合が高いタクシー運転手達を想ってとのことらしい。



上写真は店名を冠した『芭蕉そば』。ちょっと変わった甘目の優しいつゆ。厚焼きたまごが載っていてこれが美味しい。カウンターの上には柚子胡椒があって、少し蕎麦を頂いた後から入れた方がいいやつ。食レポの詳細は食べログとかにいろいろ書かれているので割愛。

松尾芭蕉がこれを食べた訳でも無いし、単にゆかりの地で営業しているからの『芭蕉そば』なんだけど、静かな住宅街を散策しながらこうした店に立ち寄るのもいいものだ。何しろ最近、どこの観光地も人が多過ぎる。深川一帯はまだまったりしている。