京セラKDDI設立。新時代経営リーダー稲盛和夫の経営哲学生き方に学ぶ/外食業界に生きる人間として「 つねに有意注意の人生を心がけよ」
有意注意という言葉があります。意を持って意を注ぐこと。つまり目的をもって真剣に意識や神経を対象に集中させることです。たとえば音がして、反射的にそちらをパッと向く。これは無意識の生理的な反応ですから、いわば無意注意です。


有意注意は、あらゆる状況の、どんな繊細な事柄に対しても、自分の意識を意図的に凝集させることです。したがって観察という行為などは本来、この有意注意の連続でなくてはなりません。ただ漠然と対象を眺めていたり、注意力にムラがあるようでは有意注意にはならない。中村天風さんは、この意をもって意を注ぐことの重要性を強調され、有意注意の人生でなければ意味がないとまでいわれています。


私たちの注意力には限界がありますから、つねに意識を一つのものに集めることは難しいのですが、そうであるよう心がけていると、だんだんとこの有意注意が習慣化されて、物事の本質や核心がつかめ、的確な判断を下せる力が備わってきます。
有意注意とは、たとえていえば、きりを使う行為に似ています。きりは力を最先端の一点に凝集させることで効率よく目的を達成する道具です。その機能の中心は集中力にあります。きりのように全力で一つの目的に集中すれば、誰もがかならず事をなしうるはずです。


そして集中力とは、おもいの力の強さ、深さ、大きさから生み出されてくるものです。事をなすには、まずかくあれかしと思うことがその起点となるといいました。その思いをどれだけ強く抱き、長く維持して実現のために真剣に取り組めるか。それがすべての成否を分けるのです。


外食に携わる人にとっても同様なことがいえるはずだ。来店する御客様に歓迎の挨拶や「ありがとうございます」という言葉を発することはまさに有意注意の精神がなければ意味をなさない。ましてや常に人の手を介してサービス行為を行うビジネスにおいてその動作や行為は無意識且つ自然に行動がなされていて、継続的な有意注意であることを理解しておくことだろう。特に飲食店の店長の仕事や本部の統括部門で仕事をする人にとっては、常に目標の設定や達成が求められてくるはずだ。


その目標を達成するための努力を具体的に掘り下げていなければ部下に対して的確な指示やアドバイスをすることができない。自分の意を持って目標を達成する努力が無意識のごとく継続的に行われなければ高い目標など達成できるものではないだろう。
何事も努力をするという曖昧に言葉で行動を成すのではなくその内容や項目を確認し行動を成すことが有意注意の本質であることを理解して行動することだろう。
外食企業の本部や現場においてその仕事の役割は大きく異なるが、その仕事の具体的な内容は異なっても目標に向かって努力する意思や思いは同じモラルやモチベーションを共有できなければならない。特に外食の仕事は、大きな全体目標に向かって各個人の努力の上に目標を達成できる到達点があるようにものであり、すべてのスタッフが有意注意を心がけて仕事に接することが目標達成の基本にあることを忘れてはならない。