セラKDDI設立。新時代経営リーダー稲盛和夫の経営哲学生き方に学ぶ/外食業界に生きる人間として
混迷の時代だからこそ生き方を問い直す

dailys cafe magazine/254
私たちはいま、混迷を極め先行きの見えない不安の時代を生きています。豊かなはずなのに心は満たされず、衣食足りているはずなのに礼節に乏しく、自由なはずなのにどこか閉塞感がある。やる気さえあれば、どんなものでも手に入り何でもできるのに無気力で悲観的になり、なかには犯罪や不祥事に手を染めてしまう人もいます。
そのような閉塞的な状況が社会を覆い尽くしているのはなぜなのでしょうか。それは多くの人が生きる意味や価値を見いだせず、人生の指針を見失ってしまっているからではないでしょうか。今日の社会の混乱が、そうした人生観の欠如に起因するように思えるのは、私だけではないとおもいます。 




ましてや外食企業のトップあるいは幹部である人はもっと短期的、中期的、長期的な視野に立って経営の戦略や企画を発信していくことが求められてくるだろうし、生活者の将来的な不安や社会的混乱からス腰でも外食を利用しているときには、すべて忘れられるような常に楽しい食事環境を提供することが求められてくるはずだ。いわゆる人間とはどのように生きていきたいかあるいはどのような仕事を人生の糧として日々自己研鑽を重ねていくことや、生き方を時代の変化に適合して問い直すことこそ、新しい自分の姿を見出すことに繋がることを忘れてはならない。

そのような根幹から生き方を考えていく試みがなされないかぎり、いよいよ混迷は深まり、未来はますます混沌として、社会には混乱が広がっていくそうした切実な危機感と焦燥感(しゅうそうかん/いらだち焦る気持ち)にとらわれているのも、やはり私だけではないはずです。
人生には、人それぞれの個々の環境や置かれている境遇があることは周知の通りだろう。勿論、近年の社会的景気後退や自然災害による震災など人々は「生き馬の目を抜く」ほどの苦痛や悲壮感にとり囲まれているといっても過言ではないだろう。ましてやどのような仕事をして家族を養っていけばよいのか先行きが見えない時代だからこそ、人生の指針を見失うことも致し方ないことかもしれない。

しかし特に外食という食を提供する飲食業界に生きる人間としては、いかなる状況や環境におかれようとも、生活者に食を提供していくことが食ビジネスにかかわる関係者としての使命であろうし、その目的や役割は永久に変わることはないだろう。 
そういう時代にもっとも必要なのは、人間は何のために生きるのかという根本的な問いではないかと思います。そのことに真正面から向かい合い、生きる指針としての哲学を確立することが必要なのです。哲学とは、理念あるいは思想などといいかえてもよいでしょう。それは砂漠に水をまくようなむなしい行為であり、早瀬に杭を打つのに似た難しい行為なのかも知れません。しかし懸命に汗をかくことをどこかさげすむような風潮のある時代だからこそ、単純でまっすぐな問いかけが重い意味をもつのだと私は信じています。