映画「ホールディングリアット」×中村晋『19→25』記録
2026.06.13. 15:20-16:10· 51mins
渡部:
皆さんこんにちは。市内の高校で教員をやっている渡部と申します。
先ほど阿部さんの方から言論カフェ・カフェロゴというんですけども、これは 2017年から継続している活動でです。映画でも本でも何でもテキストにして、自由にみんなで話す場を作ってきました。フォーラムさんでも、こういった映画を見た後に、お互い思ったこととか、いろいろ考えたことを語り合う場を提供していただき、非常にお世話になっています。
今日はですね、この『ホーディング・リアット』を観た後に、こちら中村晋さんの『19→25』という句集をテキストに語り合いたいと思います。これはですね、『ガザ日記』という、まさにガザで被災している作家アーティフ・アブー・サイフアの日記をですね、俳句に翻訳的に歩と仕込んだ句集という、非常にユニークかつ挑戦的なテキストなんです。ここには『ガザ日記』だけじゃなくて、中村さんご自身がずっと福島で過ごされ、見てきた日常を詠った句も織り交ぜてあり、モンタージュ的な作りになっています。
先ほどちょっと中村さんとお話ししたんですけども、この映画はリアットというイスラエル側から見た描き方であるのに対して、同じ時期に『ガザ日記』は10月7日から12月末までを記述しています。 これがガザの方から描いたテキストということで、それを俳句に落とし込んだというのが中村さんの作品なのですが、まさに表と裏から見るという試みになります。
全然打ち合わせもないのでどうなるかわからないんですが、こちらは今日50分ほどお時間をいただいて、20分ぐらい中村さんと私の方でやりとりした後、会場の皆さんと色々やりとりをしたいなというふうに考えておりますので、よろしくお願いいたします。
皆さんは手元にこちら資料がありますかね。 こちらはですね、ちょっと紹介しておきますと、フォーラムの阿部さんと私と中村さんがそれぞれ『19→25』からガザに思いを馳せて選ぶとしたらどれだろうかと、各々が選んだ五つの俳句を載せてあります。 これがお互いに絡み合うのかを全然打ち合わせしないので、どうなるかわかりませんが、こうしたことも交えながら、皆さんと今日は対話をさせていただければと思います。
では、まずですね、句集については著者の中村さんからご説明というか、解説というか、思いというか、そちらをまずお話いただいとことから始めたいと思いますの。では、中村さんよろしくお願いします。
中村晋:
こんにちは。 中村晋と申します。 えーと、俳句を作り続けて三十年ぐらいになるんですけれども、本当にここ十年、まあ十五年、震災ですね。 震災があってから、やっぱり社会的なこと、それからその環境的なこととか、世界的なこととか、いろんなことがものすごく噴出してきて。 で、俳句っていうのはすごい小さな世界なんで、身近なことを書いてればいいっていうふうなイメージだったんですけども、やっぱりなんかそれでは追いつかなくなってきて。 で、私の俳句の師匠の、あの、もう亡くなりましたが、金子兜太っていう方が、やっぱり社会とのつながりから今を書いてくれっていつも言ってましたので、やっぱりその言葉にこう励まされながら生活していて。
2023年の10月にガザのハマスによるイスラエル攻撃という出来事が起きたもんですから、それに目を背けるわけにはいかず、このフォーラムさんでもいろんな映画が上映されてましたので、それを見ながら考えていた時に『ガザ日記』っていうアーティフ・アブー・サイフアっていう方なんですけども、まさにあの2023年の10月7日にガザに彼はいて、そして十二月の末にエジプトの方に脱出する。それまでの克明な記録がが(『ガザ日記』に記されていた)ので、それを読んだんですけども、そこにはもう本当に壮絶な中身がおびただしく書かれているので、これをなんとか忘れてはいけないなと思って、単純にメモしてたんですけども、メモしてるうちにそれが韻律というのかな、そういうのを帯びてきて。
正直言うと五七五のリズムではなく、もう自由律みたいな感じでなってるんですけども、それでも何か響くものがあるのかなと思って、それが106句、2024年の暮れにできて、それもったいないのでどうしようかななんて思ってたんですけども、やっぱりもう今しか出すチャンスないなと思いまして、 2019年から作りためてたものと合わせて、この度二月にこの作品集を自費出版ですけれども、作らせてもらいました。
それを、ちょっと近くの人に読んでもらいましたら、ぜひともという形で、今日こういう場になったという形になります。今日は時間も限られてますし、ということで、ここに十五句、一句重なってますから十四句かな。紹介させてもらいました。 まあそういうのをテキストにしながら、皆さんのご意見いただければ、感想とかね、考えたこととかシェアできればいいなと思います。 よろしくお願いします。
渡部:
それではまずこの三人で選んだ五つの句のところから入っていきましょうかね。 この五つを三人がそれぞれ選んだんですけども、重なってるものが一つしかありません。 阿部さんが選んだ一番最後の「ガザに触れつつ受験子現代史を厭う」という句は、私の選んだものと重なってるんですけど、これを阿部さんはなぜ選んだのかなというところ聞きたいんですけど?
阿部:
はい。中村さんの俳句はこの問題に関心のある人が読むとですね、やっぱりすごく一句一句興味深くて、僕も何度も読んで、今回五つ選んでくれって言われて、この新聞記事(毎日新聞に連載されている阿部さんの「たかが映画 されど映画」)に書いたものとは全く別のものをあえて選ぼうと思って五句選ばせてもらったんですけど、この「ガザに触れつつ受験子現代史を厭う」っていうのは、やっぱり僕が今一番関心を持ってるのは当事者性という問題であって、パレスチナとかこのガザ紛争に限らずですね、イスラエル、パレスチナ、特に中東の映画は本当にお客さんが入らないんですよね。
都市部でもなかなか厳しい状態です。どういう意味か。そもそも日本人にとって、その中東そのものが全然、まあ文化的にも歴史的にも非常に遠いし、高校の歴史の教科書に出てくるスペースは本当にほんのちょっとだったしと思うんですね。 僕の世代はそうだったんですけど、今もおそらくそうじゃないのかなということと、まあそういう意味ではなかなかその世界史を取っていても、今のこの現実この状況に、その世界史の勉強がどれほど生かしてくれてるのかなというところでいうと、なかなか関心を持ってくれる若い学生って少ないんじゃないかなというところを思ってたもんですから、そういう意味ではこの句っていうのは、若い人たちだけじゃなくて、僕らも含めて、やっぱりこの問題っていうのは、人ごとではなく、もしかすると自分事かもしれないという観点で関心を持ちたいなと僕自身も思っているところに、この句はちょっと響いてきたなというところかなというふうに思います。
渡部:
はい。ありがとうございます。当事者性っていうのは、まさにその、僕もその通りで関心があるんですけど、僕がこれ選んだのは、実は二週間ぐらい前ですかね、まさにパレスチナの問題を授業で扱って、その時にですね、NHKスペシャル『正義はどこへ~ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル』を生徒と見ながらやったんですけど、そこに登場するイスラエル側の高校教師がですね、ガザのこの惨を「これは問題である」とSNSで発信した瞬間に逮捕され、それで戻ったら戻ったで、学校の教え子たちにバッシングされ、学校から追い出されるというドキュメンタリーだったんですね。 イスラエルではこんなに何も言えない状況になっているのかということで衝撃を受けて、そういう姿を生徒に見せつつ授業を展開したんですけど、これ、授業あるあるなんですけども、熱く語れば語るほど生徒が引いていくみたいな状況だったりして。
まあ、僕の授業が下手な証拠なんですけど、パレスチナの問題がまさに現状こんな風になっていると訴えれば訴えるほど、相手が引いていくみたいな。そういうのを想像しながら視聴させていたんですが、まさに当事者性の問題です。福島でこれを見ることの意味とか、想像力っていうのは、リアット自身が、まさに壁の向こう側に行って見て初めてフェンス(壁)の意味合いが変わり、自分の認識が変えられていくんですよね。 夫は殺されたにもかかわらず。けっきょく、そういう直接経験でしか、物事は理解できないのかという問題なのですが、この点はいかがですか?
中村:
いや、俳句の場合、もう自由に受け取ってもらって結構なんですけど(笑)
この句を作ったのは2023年。それこそガザの事件が起きたとき、息子がちょうど受験生だったんですね。この時期にね、歴史とか勉強してた時に、これはひどいよね。これ、本当にその昔の大世界大戦とか、その前のイギリスのめちゃめちゃな三枚舌政策っていうのが元になってて、もう本当にひどい話だよねなんていうことを、なんとなく話してたんですね。 で、その年、実はフォーラムさんで河邑(かわむら)厚徳さんっていう映画監督の『沖縄戦の図』っていう作品を、僕が実行委員をやって上映させてもらったりして、やっぱり現代史と現代の出来事と、それから歴史とっていう話が、 よく家族でもちょっと話してたんですね。
そこでまたガザの話になって。ひどいねって話した時に、息子が「やっぱ受験勉強してると、なんか、もう世界史にしても日本史にしても、現代になるとなんか辛いんだよね。なんか、もう人間っていうのは信用できないんだよね」みたいなことをポロッと言って。 歴史勉強するのが、ちょっとしんどいんだよねなんていうことを言ったんですよね。関心はあるんだけども、でも受験勉強とかそういうのを覚えていく時に、嫌な記憶と一緒に覚えなきゃいけないっていうのは、本人辛いっていう。 そのことを面白いと思えないっていうね、なんかそういうことをポロっと言ったので、そのまま句にしたんですけども。 それは、やっぱり社会を教えてる教師とか、あるいはいろんな場面で考えてる人にどこか響くところがあったのかなって思います。
渡部:
現代史は本当に凄惨なことがどうしても多いですし、そういう意味でいうと、この中村さんの『19→25』の句を読んでいると、なかなか凄惨な場面が句になって表れてくることが多いですよね。 実は、僕はそこをちょっと外して選んだ句ばかりなんですが、たとえば、その中村さんの句を見ると、例えば「ちぎれた手が朝日をつかもうとしている」なんて言う句は、もう、生々しく目に浮かんでくるようですし。
「ガザの少年遺体を驢馬励ます」とか、本当に辛い場面を句に落としているというところが印象的でもあるんですが、そういう場面っていうのは、中村さんは日記をこういう句に落とすというか、翻訳するっていうのは、どういうプロセスでやられてたりするんですか?
中村:
そういう点では映画と同じなのかな。 映像で書くっていう方法ですね。 映像に見えるように示して、そしてその絵のように。まあ、俳句なので五七五とか、そういう臨律のリズムがあるんだけど、リズムの中に見せる映像で、それをパッと示すことで感じてっていうスタイルをとりました。
で、まあ、俳句の場合、「切れ」っていうのがあって、「何々や」とかね。その映像を 2つ重ね合わせると、映画のモンタージュっていう手法にもなってきて。 だから俳句と映画って似てるなんていう話もあるじゃないですか。 だから、そういう映像で示すと、なんていうのかな、悲惨っていう言葉を使わなくても、その凄惨な状況っていうのがみんなに伝わる。この今日の映画の裏側で起きているガザで起きていることの一端が、この俳句で示すことできてるかなって今思いましたね。
渡部:
本当に読み返してみて、映像としてこうパッと入ってくる句になっている。 それを想像するっていうのは、まあ、ちょっと息子さんじゃないですけど、僕はなかなか辛いところもあるなと思います。だから、そういう句は外してみた気がするんですけど、どちらかというと僕は「朝が来た 生きている 腹が減る」っていう句にですね、僕としては震災の時のこともちょっと重ねながら選んだかなというところもあって。あの時は皆さんもそういう思いがあったかどうかはわかりませんが、もう、朝起きると夢だとしか思えない現実だったんですよね。 「腹が減る」っていうこととはちょっと違うかもしれないけど、そういうものを想い起しました。
あとは、あの当時、津波の被害に遭われた方が「なぜ自分は生き延びたのか、その理由がわからない」とか、「なぜあの人は亡くなって、私が生き残ったのか」みたいなことを話された方がいらっしゃって、その人の言葉もまた思い浮かび、これを選びました。
それから、僕は職場の学校で避難所をずっと 1ヶ月ぐらい運営に携わってたんですけど、浜通りから避難してきた受験生が一人いて、 医学部を目指してるって彼は言っていたんですが、ずっと落ち着かないはずなんですよね。 落ち着かないはずなのに、やっぱり自分でこう参考書持って、体育館の片隅でずっと受験勉強する。だけど、落ち着かないからまたウロウロするっていう姿を、この「病棟宿題をする子一人」という句に重なりました。もう、全然先行き見えないけども。虐殺のさ中にそんなに教えたり学んだりする意味なんて、本当にあるんだろうかって思ったりしながら「砂に書いては子に母が字を教えている」っていう句を思い浮かべたり、いろいろ自分の記憶と交錯させながら思い浮かべたところです。
中村さんの国は割と「驢馬」という言葉が多いんですけども、これは?
中村:
驢馬はね、好きなんですよ(笑) 驢馬とか蠅とか、なんかそういう生き物が出てくると、自分の俳句は生き生きしてくるなと思って。 自分だけだと面白くないんですよね。変な生き物がポンと出てきて、それに代弁してもらうっていうのもあるかなと思って。
今まで見た映画の中でも驢馬出てきて、「ガザ素顔の日常」って句だったかな。あの中でも少年たちが驢馬を引いたりというのがあったし、イスラム圏では驢馬を荷物を運ぶ動物として使って。 いつだったかな、 20歳の頃ですけど、シルクロード行ったことあったんですよ。 中国のあのトルファンとかウルムチとか、あっちの方に行ったことあって。 子供たちがね、驢馬をピシッとケツ叩きながら一緒に生活してるっていうのを見て、すごくね、のどかな風景だったっていうのを覚えてるから。 だからそれが生きてきたのかなと思って。でも、それがその中で日常の生活、そして戦争とかね、あの惨劇の中で一緒に暮らしてる。生きてるっていうのが、なんかすごくね、そういう場面が『ガザ日記』の中に随所にあったので、やっぱりそれは目に留まったなっていう感じですよね。
渡部:
この五句をご自身で選ばれたっていうのは、どんな思いがあるんですか?
中村:
うんとね、やっぱりこう、悲惨な状況なんだけども、どっかやっぱりその。 なんつうか、頑張れって言いたくなるようなね、そんなところがあるのと、それから「死者生者を曇天のガザに置きて去る」っていうのは、これは最後にアブー・サイフさんがガザを脱出して、エジプトに避難できるんですけども、その時に自分だけ生き残ってガザを去るってことに、やっぱりすごく心の痛みを覚えてるんですね。
なんか、生き残った自分が本当に申し訳ないっていうか、なんかそんなことを思ってる節があって。 これってやっぱりね、震災の時でも、多くの人が亡くなってる中で生き残って、あるいは戦争、第二次世界大戦ね、太平洋戦争のあと生き残った人の言葉にも、そういう言葉が結構ありますよね。 だから、やっぱり、そういうのは同じなんだなと思ったし、今日の「ホールディング・リアット」でも、リアットはね、最後、自分は生き残ったっていうか、サバイバー、それにすごく違和感を持つみたいなシーンもあったし、そういうところはすごく共通するななんて思っています。
渡部:
阿部さんはこの五句を選ばれたのはどういった点なんですか?
阿部:
僕は、やっぱり「月よガザは戦争映画のセットではない」っていうのは、やっぱり自分がこういう仕事をしているので、そもそもこういう映画はお金を取って、こんなこと言ってたら身も蓋もないんですけれども、日本ではやはりこういう映像に触れる機会っていうのが、映画興行っていうところでしか、あまりプレゼンスがないというか。
これを例えば BSとかそういうところで、どこかのテレビ局買い取って、日本人に無料で見せるみたいなね、そういうような動きっていうのがもう少し積極的にあってはいいんではないのかなって。
実際、こういう映画上映をするたびにですね、果たしてこれは映画館がすべき仕事なんだろうかっていうところも疑問としては、実はあってですね、そういう意味では、これを映画館というのは本来その憂さ晴らしというか、一時のそのなんていうか、楽しみというか、娯楽として来られる場所だという認識の方が強いと思うんですけど、でも一方でこういう役割も演じざるを得ないというか、そういうところで僕も複雑な心境がちょっとあるんですけど、そういう意味ではこの映画は、いわゆる記録映画であって、深く問題を深く考えて、そのなんて言ったらいいのかな、決してそのポジティブな感情でお客さんが帰っていただくような映画ではないところをなんですけど、でもそういう一つのメディア的な役割を担わざるを得ないということに関して、非常にアンバレンスな思いを持ちながら、こういう映画をずっと上映している。その気持ちっていうのがあるもんですから、この句っていうのがなんかちょっと当事者性が自分にあるなというふうに思います。
あと、「能登にガザにフクシマに触れ初授業」っていうのは、初授業というのは、もうこの句の通りですね。 ガザの問題も福島の問題も能登の問題も含めて、やはり日常の中に心の隅にとどめをしたいというこの意識ですね。それがやっぱりすごく大切だなと思って共感しました。
あと、「ガザの子ら腕に名を書く死後のため」っていうのは、本当にこれは痛切ですよね。 いつ死ぬかわからないという状況の中で、子供たちも生きているわけで、そういう現実っていうのも、今実はあそこにあって、これ、歴史の皮肉としか言いようがないんですけども、昔、映画の最後でリアットがホロコースト記念館にイスラエルの若い高校生を連れて、そのガイドしている時の言葉で、ゲットーとか壁について話しますけど、それを八十年前に自分たちがされたことを、今自分たちがしている側なんだよということを多分彼らに伝えたいと思うんですが、壁の内側に住んでいる人たちっていうのは、いつ死ぬかわからない状況の中で一日一日を生きてるんだなっていう、そういう現実を生きている人たちが厳然とあそこに二百万人いるんだっていうことを、やっぱりその我々は知っておかなくちゃいけないというか、そういう思いをすごく持っていまして、そういう意味ではこの句は響いてきました。
あと、「語れぬまま爆死した虐殺の目撃者」っていうのもあるんですけど、実はこの映画の前に、この新聞の寄稿にも書いたんですけど、「手に魂を込め歩いてみれば」という作品の、これはパレスチナ、いわゆるガザっていうのはもう誰も外国人が入れませんから、結局ガザに住んでいる人たちがSNSとかスマホの映像で自分たちの状況ってものを伝えるしかなく、そういう意味ではこの映画というのは、ファトゥマという当時二十三歳の女性がイラン出身のジャーナリストで、イランのいわゆる圧政、女性に対して非常に苛烈な政策をしている国ですから、若い頃イランっていう国に疑問を抱いてフランスに亡命したイラン人のジャーナリストの女性とSNSで繋がって、映像で二人はやりとりをする。 その交信の記録をそのまま映画にしたんですけど、このファトゥマという女性っていうのは、その監督と交信して一年半か二年足らずですね、二十五歳の誕生日を迎えた直後にですね。いわゆる空爆に遭って、家族八人とともに殺されてるんですよ。 そのファトゥマという女性のその言葉を聞いていると、本当に死生観が違うというか、自分がとにかく明日死ぬかもしれないんだけど、自分がそのこの時代を生きた証、私がどう生きたかっていうのを、あなたを通して伝えられることに喜びを、少なくとも救いを感じるというかね。
だから、我々歴史をっていうのは、例えばホロコーストの時っていうのは、ドイツが降伏して、あそこに連合国軍が入って、初めてそのホロコーストっていうのはこういう実態があったってことを後で知るわけですよね。 でも今、この状況っていうのは、まさにあれにあれと同じことが今繰り返されているっていう、この現実をリアルタイムで、このデジタルの時代に映像で見せられているということに関して、やっぱり我々自身もすごくそういう意味ではあの時代とまた違うというか、ここに対してどういうふうに思いを持って生きていったらいいのかなっていうところで、自分自身も本当に戸惑ってしまうというか。
そういう意味では、この語れないまま爆死した虐殺の目撃者っていうのは、そういうファトゥマのように語ることもできずに殺す、死んでいった人たちっていうのが、もうすでに多分がれきに埋もれて行方不明っていう風に算定されされている人も含めると、ゆうに十万は超えるだろうという専門家の見立てですから、そういう意味では非常に、そういう現実ってものがあるってことに愕然とせざるを得ないっていうふうに思って、この句を選びました。
渡部:
はい、ありがとうございました。 あの映画のこととかもちょっとお二人にお聞きしたりもしたいんですが、あの、もうあと大体二十分ぐらいなので、会場の皆様ともやりとりしたいので、いかがでしょうか。この句でも中村さんの句でもいいですし、まあこの映画からいろいろ感じたこと、考えたこととか、そういったものをあの、もうご自由にご発言いただきながらやりとりしていきたいんですけど、はい、いかがでしょう。 まあ、印象に残った句を選んでいただいてもよろしいですし、あと映画のこの場面とこう、関係つけてもおっしゃっていただいてもいいです。
中村:
俳句と映画の主題がこうやってつながるっていうのは珍しいことだから、質問もしづらいかもしれない。
渡部:
質問というよりなんかね、ご感想をいただいてもいいですかね。はい。あんまりそういうのよくないかな。中村さんはちなみにこの映画に関してどうなんかこう印象に印象深かったことってなんかあります?
中村:
細かいことは結構あるんだけど、じゃあ二つね。
やっぱり、生き残って戻ってきてからのリアットの最後の言葉が、すごい印象的だったかな。やっぱりその向こうのハマスの人たちと話せばやっぱり理解し合えるんだとか、やっぱり向こうで見たそのガザの状況っていうのに、やっぱりそれなりに相当衝撃を受けて、そのフェンスの向こう側のことなんか今までわかんなかったけども、わかるようになったんだっていうような、そんな言葉で、そのパレスチナの他の人の言葉だけど、パレスチナの解放はイスラエルユダヤ人の解放でもあるみたいなね。 そんなシーンありましたよね。うん。
あれは、だからハッと思ったのは、あれはなんか日本国憲法なんだなと思ったの。 だから日本もすごい敗戦の後にもう戦争しないっていうことで、自分たちを解放して。まぁ、他の国からの植民地だったけども、あの憲法を作って、もうそういうことしないことで自由になっていこうっていうね、なんかそういう宣言と結局同じなんだななんて思ったんです。 間違った解釈かもしれないないけど、なんかね、そんな思いを生まれましたね。 うん。 あとね、バイデンが電話で喋ったけど、結構やっぱあの時ボケ始めてたのかなっていう感じ。 まあそんな印象かな。
渡部:
僕はやっぱりリアットがよくラジオでね、あの発言ができたなというところがやっぱりちょっと驚きで。それは勇気なのかなと思うんですけど。例えばやっぱり拉致の問題なので、北朝鮮の拉致問題を僕は観ながら思わずにはいられなかったんですけど、そこで帰ってきた人たちのいろいろな話はあるんですけども。何て言うんですかね、リアットのように自分がパレスチナ人やガザに対する見方が変化したことをやっぱり言わずにはいられない自分の変容を語っているじゃないですか。翻ってみると、北朝鮮の拉致問題で帰ってこられた方々の発言というのは、やっぱりまだ彼の国に残っている人たちもいる。 それ故にどこか、こう歯切れが悪い気がする。本当はみんなに言いたいことがあるんだけれども、そこはやっぱり語っていないというか、そういうなんか不自由さを僕はちょっと感じたりもするんですが、どうなんでしょうかね。 リアットはよくあんな風に語れたなって。
中村:
そうですよね。はい。そこがこの映画のなんかちょっとひどい話なんだけど、ちょっと救いがあったかな。
渡部:
そうですね。NHKスペシャルに登場する高校教員は本当にひどいバッシングを受けたんだけれども、でも結局は高校現場に戻れるんですよね。同僚たちが戻れるような運動をしてくれて戻れたんだけど、でも番組では、それをしてくれた同僚と彼が対話する場面あるんですけど、相手は基本的にはやっぱりイスラエル右派の思想を譲らない。だから意見は絶対的に折り合わないまま、ずっと平行線のまま対話をずっとしていく過程で、絶対折り合えないんだなっていうところを見せつけられるドキュメンタリーだったんですけど、そんなようなことも印象に残ってますね。
観客:
大勢の前で語るようなことは別にないんですけど。 何て言うんですかね、私も同じく、そのリアットが帰ってきた、戻ってきた後の発言がちょっと気になりまして。その壁っていうのは物理的なものなんでしょうけど、自分たちが知らない側の言い方を知ることによって、自分の考え方が変わるみたいなことだったのかなってちょっと思ってて。 なんか昔『怪物』っていう映画がありまして、被害者と加害者っていうような、なんていうか、それまで見てたのとは別の角度で物語を語ることで、最初イスラエル側が拉致された側なんで一時的に感情移入するわけなんですが、後半その後っていうのは見方がやっぱ少し変わるっていうのはあったのかなと思いました。 多分歴史を見ると戦争ってずっと起きてて、何て言うんですかね、みんながその相手側のことを考えられれば、戦争っていつかなくなるのかなと思いながらも、その壁の向こう側を全員見ることができないので、なんかこう、平和っていうのは難しいのかなっていうような感想を持ちました。
中村:
ホロコースト記念館を解説するリアットの場面で、壁の向こう側で火事になってるのに、こっち側の人は何も手を出さない、無視してる。 その矛盾っていうのを詩人が何か書いてるんだっていうようなシーンありましたよね。詩人っていうのは、だからそういう役割、そういうのでちゃんと記録していかなきゃいけないんだなっていうのも、一応詩人の端くれとして、なんかすごくハッと思わせられましたね。 やっぱあのシーンはすごく印象に残りました。
渡部:
リアットがその場面で壁の向こうの相手を承認をしなければ、認めなければ、またそれが繰り返されるというような言葉を最後にその彼女はつぶやいてというか、でもその認識に至るっていうのはやはりなかなか難しいところなんですかね。
観客2:
ありがとうございます。 高校の英語教師をしていますけれども、あの渡部さんと中村さんも、もし高校でこの件について授業をなさったことがあるのであれば、ちょっとお聞きしたいんですけれども、私も英語の授業でガザの詩人でリフアト・アライールという、「もし、私が死ななければならないなら」っていう詩を書いた人の詩を題材に2回にわたって授業をしたことがあるんですね。で、渡部さんが先ほどNHK のドキュメンタリーを見せた時に、強く語れば語るほど生徒が引いてくるっておっしゃってて。 私の授業の時もあまり最終的にやるべきことはやってくれたし、自分なりに詩を書いたり、感想もいっぱい書いてくれて、少しは響いてるんだなって思えたんですけれども、どうすればその高校生に対してもうちょっとこう、興味を持ってもらえるような授業ができるのか、あるいはなぜ引いてしまうのか。 彼らは。 私も熱く語っていろんな映像を見せたんですけど、なんかこう、あんまり反応がないとか、そういうのがあったので、どうすればいいのかなって。 今でももっともう一回その、その授業をアップデートしてもう一回やりたいんですけれども、何かアドバイスがあったらお聞きします。
渡部:
やっぱ、熱く語っちゃダメなんですよね(笑)。なんか資料に語らせるしかないかなっていうのはずっと思ってるんですけど、なんか相手がこう、無関心になっていくことを感じるほどムキになるみたいなのはまだ甘いなというふうにこの間反省しました。 いや、もう難しいです。 ほんとね。世界史の先生なんてどうやってやってんだろうって思うんですけど。
中村:
やっぱ難しいですよ、それは。例えば、ガザっていうことを扱う時に、その元になるガザの状況の土俵を作んなきゃいけないんですよね。 一緒にこう土台を作って広場を作って、そこに乗っかってきてもらうっていう。その作業が一番大事だから、それなしにやっちゃっても引かれちゃうね。 で、何て言うんだろう、それなしにやると余計こっちが強く出ちゃうから引かれるっていうのもあるし、やっぱりどうしてもこういうテーマは自分なりの考えを持ってやるんですけど、授業でやるんだけども、その考えっていうのを、彼らは「思想が強い」って言いますよね。うちの子供も俺のことをお父って言うんですけど、「お父は思想が強い」っていう風に。やっぱりすごい嫌われますよね。 そうならないようにするのは? って思いながらやるんですけど。でも、今の若い人たちはそういう捉え方をしますよね。そこが難しいところですね。この間の僕も見たネットの記事で、ケン・ローチ監督が日本に来た時に、新聞記者に「あなたは左翼だって言われてるようですけど、本当なんですか?」 って言ったら聞いた記者がいたらしくて、それにケン・ローチは「あなたは、あのローマ教皇にカトリックですか? って聞くのと同じですよ」というふうに答えたっていう話があるんだけど(笑)。まあ、開き直ってやるっていうのを一つの、何言われても私は私っていうのもありかなとも思うし、まあと教室に生徒が40人もしいたら、その中の一人二人ヒットすればいいっていうふうに思いますね。
渡部:
生徒だけじゃなくて、このあいだ印象的だったのは、二週間ぐらい前にパレスチナ/イスラエル問題の専門家の方に、僕ら社会科教員の研究会でお話していただいたんですね。 すごく深くて面白くて勉強になったんですけども、終わった後に実は若い先生が同僚の先生に「どうだった?」って聞かれたんですって。 その同僚っていうのが実は僕の友だちなんですけど、彼がその若手にそう聞いたら「面白かったです。 面白かったですけど偏ってますね」っていうふうに言ったっていうんです。パレスチナ/イスラエル問題で偏っててどういうことなんだろうかなっていうのを思いましたね。その先生は三十代ぐらいの若手なんですよね。若手の方で今話題の「中立性」とか、そういうものがもう自分の中の軸になってるっていう問題。 その若者や高校生でも、やっぱりそういうのがあるのかな、どうなのかなって思ったりはしましたね。
阿部:
じゃあ、ちょっと今の話からいいですか。まあ若い人に関心を持ってもらうっていうのは、やっぱドキュメンタリーはなかなか難しいんで、最低限劇映画とかで、やっぱりあのシンボリックに描いた劇映画で共感してもらうってことはありうるのかなというふうに思いますね。 だからちょっと例は思い出せないんですけど、今そのイスラエルパレスチナ問題っていうのは、歴史を遡れば、少なくとも一九二〇年代のイギリスの統治ですね、あの時代から積み上げていけば、普通に考えて全然偏ってないわけで、一方的にパレスチナは被害者であり、イスラエル他日本を含む国際社会が加害者だというふうになっていくはずなんですね。 だから、そこをちゃんとあの説明していくというか、そうすれば若い人は感受性が豊かですから、「あ、そうか」というふうに僕は納得してくれると素直に思うんですけど。
ただ、どうしてもそれは知識とか教養っていうところでいうと、しんどくなってくるでしょうから、やっぱりアイドルが必要なのかなって、劇映画なんかではね。今のところイスラエルですらいないし、パレスチナはもちろんアラブ社会にも日本にはいわゆるアイドルがいないんですよね。そういう意味では、僕がすごくやっぱりサブカルチャーの力がすごいなと思ってるのは、例えば日本にフランスっていうものが浸透したのは、アラン・ドロンっていう俳優が昔いて、若い女性がアラン・ドロンに「キャー」っていう風になっていて、あの「太陽がいっぱい」とか見ていくうちに、フランス映画のマーケットってのが日本の観客の中にできていったというふうに聞かれるし、教えられましたし、僕自身もリアル体験としてあるのは、やっぱりペ・ヨンジュンが冬ソナで大ヒットして、あれから韓流ブームが起き、やがてはその女性を中心に韓国語講座が市民レベルで開かれていって、実際に現地にロケツアーに行くだとか、聖地巡礼するとか、韓国の料理教室をやって、韓国文化と日本のその市民レベルでの民間交流っていうのができて。一方で嫌韓だとか、その政治的な流れもある。そういう意味では男社会のレベルからいうと、非常にささくれだった嫌韓なんかの議論がある一方で、しっかり民間交流できているわけですし、そういう意味では、なんかこの中東とかイスラエルっていうものに関して、いまだに映画の部分でいうとアイドルがいないなっていうか、あと大ヒットした劇映画もまだないなというふうに思います。
あと、やっぱりこの問題についてハリウッド映画というところから言ってみれば、「アラビアのロレンス」。あれがやっぱり日本ですごく受けました。でも、今「アラビアのロレンス」をこの状況を受けて見直したら、「アラビアのロレンス」は非常に一方的なものであるし、あとこの状況を今受けて「シンドラーのリスト」を見れば、やっぱりこれはスピルバーグはユダヤ人であり、これは一方的すぎるんじゃないかというふうになるでしょうし、当時公開された時の評価とはまた違った部分で一歩前進できるのかなというか、そうやって少しずつ何かこう、まあサブカルチャーを通してね、関心が強まっていって、だんだん深みにこう分け入っていくということはありうるのかなというふうに思いました。
渡部:
物語性があるというのは、やっぱりすごく高校生が問題に入っていくのにはいいですよね。 もちろん、映画はちょっと長いので授業でなかなか見せられないから予告編しか見せられないんですけど、予告編見せただけで食いついてはくることありますね。
中村:
サブカルチャーって今ね、話に出てきた時に、なんか宮崎駿の未来少年コナンっていうアニメかな。 映画版もあるんですかね。 あれがなんかガザの子供たちの間で集めて上映会があって、すごく人気あったっていう、聞いたことあります。 ガザの子たちも、そういう形でね、関心を持ってもらうのが難しければ、こっちの関心をね、こう届けるみたいなね。 そういうのもね、あるんだなと思って。 だからなんかね、できることがあればね、なんかと思いつつ。
阿部:
昔、あの四方田犬彦っていう批評家が今いるんですけど、彼があのイスラエルの映画祭かなんかに呼ばれた時に、黒澤明の「七人の侍」ってものをイスラエルの若者たちみんな見ている。 で、あの映画を見ると、これは自分たちの映画だというふうに非常に盛り上がるんだそうです。 というのは、その野武士、乱暴な野武士に蹂躙されるあの農民、あれは我々だと抵抗する、抵抗してると、彼らはね。 で、七人の侍を雇って、その抵抗しようとして、あれに共感するんですよ。 でも一方で、パレスチナの人たちに七人の侍を見せると、これは俺たちの映画だって言うんですね。 そういう意味では、やっぱり映画の力はすごいなと。
渡部:
では、ここでお開きにしたいと思います。おつきあいいただきありがとうございました。








