映画「ホールディングリアット」×中村晋『19→25』記録

 2026.06.13. 15:20-16:10· 51mins

渡部:

 皆さんこんにちは。市内の高校で教員をやっている渡部と申します。

先ほど阿部さんの方から言論カフェ・カフェロゴというんですけども、これは 2017年から継続している活動でです。映画でも本でも何でもテキストにして、自由にみんなで話す場を作ってきました。フォーラムさんでも、こういった映画を見た後に、お互い思ったこととか、いろいろ考えたことを語り合う場を提供していただき、非常にお世話になっています。

  今日はですね、この『ホーディング・リアット』を観た後に、こちら中村晋さんの『19→25』という句集をテキストに語り合いたいと思います。これはですね、『ガザ日記』という、まさにガザで被災している作家アーティフ・アブー・サイフアの日記をですね、俳句に翻訳的に歩と仕込んだ句集という、非常にユニークかつ挑戦的なテキストなんです。ここには『ガザ日記』だけじゃなくて、中村さんご自身がずっと福島で過ごされ、見てきた日常を詠った句も織り交ぜてあり、モンタージュ的な作りになっています。

 先ほどちょっと中村さんとお話ししたんですけども、この映画はリアットというイスラエル側から見た描き方であるのに対して、同じ時期に『ガザ日記』は10月7日から12月末までを記述しています。 これがガザの方から描いたテキストということで、それを俳句に落とし込んだというのが中村さんの作品なのですが、まさに表と裏から見るという試みになります。

 全然打ち合わせもないのでどうなるかわからないんですが、こちらは今日50分ほどお時間をいただいて、20分ぐらい中村さんと私の方でやりとりした後、会場の皆さんと色々やりとりをしたいなというふうに考えておりますので、よろしくお願いいたします。

 皆さんは手元にこちら資料がありますかね。 こちらはですね、ちょっと紹介しておきますと、フォーラムの阿部さんと私と中村さんがそれぞれ『19→25』からガザに思いを馳せて選ぶとしたらどれだろうかと、各々が選んだ五つの俳句を載せてあります。 これがお互いに絡み合うのかを全然打ち合わせしないので、どうなるかわかりませんが、こうしたことも交えながら、皆さんと今日は対話をさせていただければと思います。

 では、まずですね、句集については著者の中村さんからご説明というか、解説というか、思いというか、そちらをまずお話いただいとことから始めたいと思いますの。では、中村さんよろしくお願いします。

 

中村晋:

 こんにちは。 中村晋と申します。 えーと、俳句を作り続けて三十年ぐらいになるんですけれども、本当にここ十年、まあ十五年、震災ですね。 震災があってから、やっぱり社会的なこと、それからその環境的なこととか、世界的なこととか、いろんなことがものすごく噴出してきて。 で、俳句っていうのはすごい小さな世界なんで、身近なことを書いてればいいっていうふうなイメージだったんですけども、やっぱりなんかそれでは追いつかなくなってきて。 で、私の俳句の師匠の、あの、もう亡くなりましたが、金子兜太っていう方が、やっぱり社会とのつながりから今を書いてくれっていつも言ってましたので、やっぱりその言葉にこう励まされながら生活していて。 

 2023年の10月にガザのハマスによるイスラエル攻撃という出来事が起きたもんですから、それに目を背けるわけにはいかず、このフォーラムさんでもいろんな映画が上映されてましたので、それを見ながら考えていた時に『ガザ日記』っていうアーティフ・アブー・サイフアっていう方なんですけども、まさにあの2023年の10月7日にガザに彼はいて、そして十二月の末にエジプトの方に脱出する。それまでの克明な記録がが(『ガザ日記』に記されていた)ので、それを読んだんですけども、そこにはもう本当に壮絶な中身がおびただしく書かれているので、これをなんとか忘れてはいけないなと思って、単純にメモしてたんですけども、メモしてるうちにそれが韻律というのかな、そういうのを帯びてきて。

 正直言うと五七五のリズムではなく、もう自由律みたいな感じでなってるんですけども、それでも何か響くものがあるのかなと思って、それが106句、2024年の暮れにできて、それもったいないのでどうしようかななんて思ってたんですけども、やっぱりもう今しか出すチャンスないなと思いまして、 2019年から作りためてたものと合わせて、この度二月にこの作品集を自費出版ですけれども、作らせてもらいました。

それを、ちょっと近くの人に読んでもらいましたら、ぜひともという形で、今日こういう場になったという形になります。今日は時間も限られてますし、ということで、ここに十五句、一句重なってますから十四句かな。紹介させてもらいました。 まあそういうのをテキストにしながら、皆さんのご意見いただければ、感想とかね、考えたこととかシェアできればいいなと思います。 よろしくお願いします。

 

渡部:

 それではまずこの三人で選んだ五つの句のところから入っていきましょうかね。 この五つを三人がそれぞれ選んだんですけども、重なってるものが一つしかありません。 阿部さんが選んだ一番最後の「ガザに触れつつ受験子現代史を厭う」という句は、私の選んだものと重なってるんですけど、これを阿部さんはなぜ選んだのかなというところ聞きたいんですけど?

 

阿部:

 はい。中村さんの俳句はこの問題に関心のある人が読むとですね、やっぱりすごく一句一句興味深くて、僕も何度も読んで、今回五つ選んでくれって言われて、この新聞記事(毎日新聞に連載されている阿部さんの「たかが映画 されど映画」)に書いたものとは全く別のものをあえて選ぼうと思って五句選ばせてもらったんですけど、この「ガザに触れつつ受験子現代史を厭う」っていうのは、やっぱり僕が今一番関心を持ってるのは当事者性という問題であって、パレスチナとかこのガザ紛争に限らずですね、イスラエル、パレスチナ、特に中東の映画は本当にお客さんが入らないんですよね。

  都市部でもなかなか厳しい状態です。どういう意味か。そもそも日本人にとって、その中東そのものが全然、まあ文化的にも歴史的にも非常に遠いし、高校の歴史の教科書に出てくるスペースは本当にほんのちょっとだったしと思うんですね。 僕の世代はそうだったんですけど、今もおそらくそうじゃないのかなということと、まあそういう意味ではなかなかその世界史を取っていても、今のこの現実この状況に、その世界史の勉強がどれほど生かしてくれてるのかなというところでいうと、なかなか関心を持ってくれる若い学生って少ないんじゃないかなというところを思ってたもんですから、そういう意味ではこの句っていうのは、若い人たちだけじゃなくて、僕らも含めて、やっぱりこの問題っていうのは、人ごとではなく、もしかすると自分事かもしれないという観点で関心を持ちたいなと僕自身も思っているところに、この句はちょっと響いてきたなというところかなというふうに思います。

 

渡部:

 はい。ありがとうございます。当事者性っていうのは、まさにその、僕もその通りで関心があるんですけど、僕がこれ選んだのは、実は二週間ぐらい前ですかね、まさにパレスチナの問題を授業で扱って、その時にですね、NHKスペシャル『正義はどこへ~ガザ攻撃1年 先鋭化するイスラエル』を生徒と見ながらやったんですけど、そこに登場するイスラエル側の高校教師がですね、ガザのこの惨を「これは問題である」とSNSで発信した瞬間に逮捕され、それで戻ったら戻ったで、学校の教え子たちにバッシングされ、学校から追い出されるというドキュメンタリーだったんですね。 イスラエルではこんなに何も言えない状況になっているのかということで衝撃を受けて、そういう姿を生徒に見せつつ授業を展開したんですけど、これ、授業あるあるなんですけども、熱く語れば語るほど生徒が引いていくみたいな状況だったりして。

  まあ、僕の授業が下手な証拠なんですけど、パレスチナの問題がまさに現状こんな風になっていると訴えれば訴えるほど、相手が引いていくみたいな。そういうのを想像しながら視聴させていたんですが、まさに当事者性の問題です。福島でこれを見ることの意味とか、想像力っていうのは、リアット自身が、まさに壁の向こう側に行って見て初めてフェンス(壁)の意味合いが変わり、自分の認識が変えられていくんですよね。 夫は殺されたにもかかわらず。けっきょく、そういう直接経験でしか、物事は理解できないのかという問題なのですが、この点はいかがですか?

 

中村:

 いや、俳句の場合、もう自由に受け取ってもらって結構なんですけど(笑)

  この句を作ったのは2023年。それこそガザの事件が起きたとき、息子がちょうど受験生だったんですね。この時期にね、歴史とか勉強してた時に、これはひどいよね。これ、本当にその昔の大世界大戦とか、その前のイギリスのめちゃめちゃな三枚舌政策っていうのが元になってて、もう本当にひどい話だよねなんていうことを、なんとなく話してたんですね。 で、その年、実はフォーラムさんで河邑(かわむら)厚徳さんっていう映画監督の『沖縄戦の図』っていう作品を、僕が実行委員をやって上映させてもらったりして、やっぱり現代史と現代の出来事と、それから歴史とっていう話が、 よく家族でもちょっと話してたんですね。

 そこでまたガザの話になって。ひどいねって話した時に、息子が「やっぱ受験勉強してると、なんか、もう世界史にしても日本史にしても、現代になるとなんか辛いんだよね。なんか、もう人間っていうのは信用できないんだよね」みたいなことをポロッと言って。 歴史勉強するのが、ちょっとしんどいんだよねなんていうことを言ったんですよね。関心はあるんだけども、でも受験勉強とかそういうのを覚えていく時に、嫌な記憶と一緒に覚えなきゃいけないっていうのは、本人辛いっていう。 そのことを面白いと思えないっていうね、なんかそういうことをポロっと言ったので、そのまま句にしたんですけども。 それは、やっぱり社会を教えてる教師とか、あるいはいろんな場面で考えてる人にどこか響くところがあったのかなって思います。

 

渡部:

 現代史は本当に凄惨なことがどうしても多いですし、そういう意味でいうと、この中村さんの『19→25』の句を読んでいると、なかなか凄惨な場面が句になって表れてくることが多いですよね。 実は、僕はそこをちょっと外して選んだ句ばかりなんですが、たとえば、その中村さんの句を見ると、例えば「ちぎれた手が朝日をつかもうとしている」なんて言う句は、もう、生々しく目に浮かんでくるようですし。

 「ガザの少年遺体を驢馬励ます」とか、本当に辛い場面を句に落としているというところが印象的でもあるんですが、そういう場面っていうのは、中村さんは日記をこういう句に落とすというか、翻訳するっていうのは、どういうプロセスでやられてたりするんですか?

 

中村:

 そういう点では映画と同じなのかな。 映像で書くっていう方法ですね。 映像に見えるように示して、そしてその絵のように。まあ、俳句なので五七五とか、そういう臨律のリズムがあるんだけど、リズムの中に見せる映像で、それをパッと示すことで感じてっていうスタイルをとりました。

  で、まあ、俳句の場合、「切れ」っていうのがあって、「何々や」とかね。その映像を 2つ重ね合わせると、映画のモンタージュっていう手法にもなってきて。 だから俳句と映画って似てるなんていう話もあるじゃないですか。  だから、そういう映像で示すと、なんていうのかな、悲惨っていう言葉を使わなくても、その凄惨な状況っていうのがみんなに伝わる。この今日の映画の裏側で起きているガザで起きていることの一端が、この俳句で示すことできてるかなって今思いましたね。

 

渡部:

 本当に読み返してみて、映像としてこうパッと入ってくる句になっている。 それを想像するっていうのは、まあ、ちょっと息子さんじゃないですけど、僕はなかなか辛いところもあるなと思います。だから、そういう句は外してみた気がするんですけど、どちらかというと僕は「朝が来た 生きている 腹が減る」っていう句にですね、僕としては震災の時のこともちょっと重ねながら選んだかなというところもあって。あの時は皆さんもそういう思いがあったかどうかはわかりませんが、もう、朝起きると夢だとしか思えない現実だったんですよね。 「腹が減る」っていうこととはちょっと違うかもしれないけど、そういうものを想い起しました。

 あとは、あの当時、津波の被害に遭われた方が「なぜ自分は生き延びたのか、その理由がわからない」とか、「なぜあの人は亡くなって、私が生き残ったのか」みたいなことを話された方がいらっしゃって、その人の言葉もまた思い浮かび、これを選びました。

 それから、僕は職場の学校で避難所をずっと 1ヶ月ぐらい運営に携わってたんですけど、浜通りから避難してきた受験生が一人いて、 医学部を目指してるって彼は言っていたんですが、ずっと落ち着かないはずなんですよね。 落ち着かないはずなのに、やっぱり自分でこう参考書持って、体育館の片隅でずっと受験勉強する。だけど、落ち着かないからまたウロウロするっていう姿を、この「病棟宿題をする子一人」という句に重なりました。もう、全然先行き見えないけども。虐殺のさ中にそんなに教えたり学んだりする意味なんて、本当にあるんだろうかって思ったりしながら「砂に書いては子に母が字を教えている」っていう句を思い浮かべたり、いろいろ自分の記憶と交錯させながら思い浮かべたところです。

 中村さんの国は割と「驢馬」という言葉が多いんですけども、これは?

 

中村:

 驢馬はね、好きなんですよ(笑) 驢馬とか蠅とか、なんかそういう生き物が出てくると、自分の俳句は生き生きしてくるなと思って。 自分だけだと面白くないんですよね。変な生き物がポンと出てきて、それに代弁してもらうっていうのもあるかなと思って。

 今まで見た映画の中でも驢馬出てきて、「ガザ素顔の日常」って句だったかな。あの中でも少年たちが驢馬を引いたりというのがあったし、イスラム圏では驢馬を荷物を運ぶ動物として使って。 いつだったかな、 20歳の頃ですけど、シルクロード行ったことあったんですよ。 中国のあのトルファンとかウルムチとか、あっちの方に行ったことあって。 子供たちがね、驢馬をピシッとケツ叩きながら一緒に生活してるっていうのを見て、すごくね、のどかな風景だったっていうのを覚えてるから。 だからそれが生きてきたのかなと思って。でも、それがその中で日常の生活、そして戦争とかね、あの惨劇の中で一緒に暮らしてる。生きてるっていうのが、なんかすごくね、そういう場面が『ガザ日記』の中に随所にあったので、やっぱりそれは目に留まったなっていう感じですよね。

 

渡部:

 この五句をご自身で選ばれたっていうのは、どんな思いがあるんですか?

 

中村:

 うんとね、やっぱりこう、悲惨な状況なんだけども、どっかやっぱりその。 なんつうか、頑張れって言いたくなるようなね、そんなところがあるのと、それから「死者生者を曇天のガザに置きて去る」っていうのは、これは最後にアブー・サイフさんがガザを脱出して、エジプトに避難できるんですけども、その時に自分だけ生き残ってガザを去るってことに、やっぱりすごく心の痛みを覚えてるんですね。

  なんか、生き残った自分が本当に申し訳ないっていうか、なんかそんなことを思ってる節があって。 これってやっぱりね、震災の時でも、多くの人が亡くなってる中で生き残って、あるいは戦争、第二次世界大戦ね、太平洋戦争のあと生き残った人の言葉にも、そういう言葉が結構ありますよね。 だから、やっぱり、そういうのは同じなんだなと思ったし、今日の「ホールディング・リアット」でも、リアットはね、最後、自分は生き残ったっていうか、サバイバー、それにすごく違和感を持つみたいなシーンもあったし、そういうところはすごく共通するななんて思っています。

 

渡部:

 阿部さんはこの五句を選ばれたのはどういった点なんですか?

 

阿部:

 僕は、やっぱり「月よガザは戦争映画のセットではない」っていうのは、やっぱり自分がこういう仕事をしているので、そもそもこういう映画はお金を取って、こんなこと言ってたら身も蓋もないんですけれども、日本ではやはりこういう映像に触れる機会っていうのが、映画興行っていうところでしか、あまりプレゼンスがないというか。

 これを例えば BSとかそういうところで、どこかのテレビ局買い取って、日本人に無料で見せるみたいなね、そういうような動きっていうのがもう少し積極的にあってはいいんではないのかなって。

 実際、こういう映画上映をするたびにですね、果たしてこれは映画館がすべき仕事なんだろうかっていうところも疑問としては、実はあってですね、そういう意味では、これを映画館というのは本来その憂さ晴らしというか、一時のそのなんていうか、楽しみというか、娯楽として来られる場所だという認識の方が強いと思うんですけど、でも一方でこういう役割も演じざるを得ないというか、そういうところで僕も複雑な心境がちょっとあるんですけど、そういう意味ではこの映画は、いわゆる記録映画であって、深く問題を深く考えて、そのなんて言ったらいいのかな、決してそのポジティブな感情でお客さんが帰っていただくような映画ではないところをなんですけど、でもそういう一つのメディア的な役割を担わざるを得ないということに関して、非常にアンバレンスな思いを持ちながら、こういう映画をずっと上映している。その気持ちっていうのがあるもんですから、この句っていうのがなんかちょっと当事者性が自分にあるなというふうに思います。

 あと、「能登にガザにフクシマに触れ初授業」っていうのは、初授業というのは、もうこの句の通りですね。 ガザの問題も福島の問題も能登の問題も含めて、やはり日常の中に心の隅にとどめをしたいというこの意識ですね。それがやっぱりすごく大切だなと思って共感しました。

 あと、「ガザの子ら腕に名を書く死後のため」っていうのは、本当にこれは痛切ですよね。 いつ死ぬかわからないという状況の中で、子供たちも生きているわけで、そういう現実っていうのも、今実はあそこにあって、これ、歴史の皮肉としか言いようがないんですけども、昔、映画の最後でリアットがホロコースト記念館にイスラエルの若い高校生を連れて、そのガイドしている時の言葉で、ゲットーとか壁について話しますけど、それを八十年前に自分たちがされたことを、今自分たちがしている側なんだよということを多分彼らに伝えたいと思うんですが、壁の内側に住んでいる人たちっていうのは、いつ死ぬかわからない状況の中で一日一日を生きてるんだなっていう、そういう現実を生きている人たちが厳然とあそこに二百万人いるんだっていうことを、やっぱりその我々は知っておかなくちゃいけないというか、そういう思いをすごく持っていまして、そういう意味ではこの句は響いてきました。

 あと、「語れぬまま爆死した虐殺の目撃者」っていうのもあるんですけど、実はこの映画の前に、この新聞の寄稿にも書いたんですけど、「手に魂を込め歩いてみれば」という作品の、これはパレスチナ、いわゆるガザっていうのはもう誰も外国人が入れませんから、結局ガザに住んでいる人たちがSNSとかスマホの映像で自分たちの状況ってものを伝えるしかなく、そういう意味ではこの映画というのは、ファトゥマという当時二十三歳の女性がイラン出身のジャーナリストで、イランのいわゆる圧政、女性に対して非常に苛烈な政策をしている国ですから、若い頃イランっていう国に疑問を抱いてフランスに亡命したイラン人のジャーナリストの女性とSNSで繋がって、映像で二人はやりとりをする。 その交信の記録をそのまま映画にしたんですけど、このファトゥマという女性っていうのは、その監督と交信して一年半か二年足らずですね、二十五歳の誕生日を迎えた直後にですね。いわゆる空爆に遭って、家族八人とともに殺されてるんですよ。  そのファトゥマという女性のその言葉を聞いていると、本当に死生観が違うというか、自分がとにかく明日死ぬかもしれないんだけど、自分がそのこの時代を生きた証、私がどう生きたかっていうのを、あなたを通して伝えられることに喜びを、少なくとも救いを感じるというかね。

 だから、我々歴史をっていうのは、例えばホロコーストの時っていうのは、ドイツが降伏して、あそこに連合国軍が入って、初めてそのホロコーストっていうのはこういう実態があったってことを後で知るわけですよね。 でも今、この状況っていうのは、まさにあれにあれと同じことが今繰り返されているっていう、この現実をリアルタイムで、このデジタルの時代に映像で見せられているということに関して、やっぱり我々自身もすごくそういう意味ではあの時代とまた違うというか、ここに対してどういうふうに思いを持って生きていったらいいのかなっていうところで、自分自身も本当に戸惑ってしまうというか。

 そういう意味では、この語れないまま爆死した虐殺の目撃者っていうのは、そういうファトゥマのように語ることもできずに殺す、死んでいった人たちっていうのが、もうすでに多分がれきに埋もれて行方不明っていう風に算定されされている人も含めると、ゆうに十万は超えるだろうという専門家の見立てですから、そういう意味では非常に、そういう現実ってものがあるってことに愕然とせざるを得ないっていうふうに思って、この句を選びました。

 

渡部:

 はい、ありがとうございました。 あの映画のこととかもちょっとお二人にお聞きしたりもしたいんですが、あの、もうあと大体二十分ぐらいなので、会場の皆様ともやりとりしたいので、いかがでしょうか。この句でも中村さんの句でもいいですし、まあこの映画からいろいろ感じたこと、考えたこととか、そういったものをあの、もうご自由にご発言いただきながらやりとりしていきたいんですけど、はい、いかがでしょう。 まあ、印象に残った句を選んでいただいてもよろしいですし、あと映画のこの場面とこう、関係つけてもおっしゃっていただいてもいいです。

 

中村:

 俳句と映画の主題がこうやってつながるっていうのは珍しいことだから、質問もしづらいかもしれない。

 

渡部:

 質問というよりなんかね、ご感想をいただいてもいいですかね。はい。あんまりそういうのよくないかな。中村さんはちなみにこの映画に関してどうなんかこう印象に印象深かったことってなんかあります?

 

中村:

 細かいことは結構あるんだけど、じゃあ二つね。

  やっぱり、生き残って戻ってきてからのリアットの最後の言葉が、すごい印象的だったかな。やっぱりその向こうのハマスの人たちと話せばやっぱり理解し合えるんだとか、やっぱり向こうで見たそのガザの状況っていうのに、やっぱりそれなりに相当衝撃を受けて、そのフェンスの向こう側のことなんか今までわかんなかったけども、わかるようになったんだっていうような、そんな言葉で、そのパレスチナの他の人の言葉だけど、パレスチナの解放はイスラエルユダヤ人の解放でもあるみたいなね。 そんなシーンありましたよね。うん。

 あれは、だからハッと思ったのは、あれはなんか日本国憲法なんだなと思ったの。 だから日本もすごい敗戦の後にもう戦争しないっていうことで、自分たちを解放して。まぁ、他の国からの植民地だったけども、あの憲法を作って、もうそういうことしないことで自由になっていこうっていうね、なんかそういう宣言と結局同じなんだななんて思ったんです。 間違った解釈かもしれないないけど、なんかね、そんな思いを生まれましたね。 うん。 あとね、バイデンが電話で喋ったけど、結構やっぱあの時ボケ始めてたのかなっていう感じ。 まあそんな印象かな。

 

渡部:

 僕はやっぱりリアットがよくラジオでね、あの発言ができたなというところがやっぱりちょっと驚きで。それは勇気なのかなと思うんですけど。例えばやっぱり拉致の問題なので、北朝鮮の拉致問題を僕は観ながら思わずにはいられなかったんですけど、そこで帰ってきた人たちのいろいろな話はあるんですけども。何て言うんですかね、リアットのように自分がパレスチナ人やガザに対する見方が変化したことをやっぱり言わずにはいられない自分の変容を語っているじゃないですか。翻ってみると、北朝鮮の拉致問題で帰ってこられた方々の発言というのは、やっぱりまだ彼の国に残っている人たちもいる。 それ故にどこか、こう歯切れが悪い気がする。本当はみんなに言いたいことがあるんだけれども、そこはやっぱり語っていないというか、そういうなんか不自由さを僕はちょっと感じたりもするんですが、どうなんでしょうかね。 リアットはよくあんな風に語れたなって。

 

中村:

 そうですよね。はい。そこがこの映画のなんかちょっとひどい話なんだけど、ちょっと救いがあったかな。

 

渡部:

 そうですね。NHKスペシャルに登場する高校教員は本当にひどいバッシングを受けたんだけれども、でも結局は高校現場に戻れるんですよね。同僚たちが戻れるような運動をしてくれて戻れたんだけど、でも番組では、それをしてくれた同僚と彼が対話する場面あるんですけど、相手は基本的にはやっぱりイスラエル右派の思想を譲らない。だから意見は絶対的に折り合わないまま、ずっと平行線のまま対話をずっとしていく過程で、絶対折り合えないんだなっていうところを見せつけられるドキュメンタリーだったんですけど、そんなようなことも印象に残ってますね。 

 

観客:

 大勢の前で語るようなことは別にないんですけど。 何て言うんですかね、私も同じく、そのリアットが帰ってきた、戻ってきた後の発言がちょっと気になりまして。その壁っていうのは物理的なものなんでしょうけど、自分たちが知らない側の言い方を知ることによって、自分の考え方が変わるみたいなことだったのかなってちょっと思ってて。 なんか昔『怪物』っていう映画がありまして、被害者と加害者っていうような、なんていうか、それまで見てたのとは別の角度で物語を語ることで、最初イスラエル側が拉致された側なんで一時的に感情移入するわけなんですが、後半その後っていうのは見方がやっぱ少し変わるっていうのはあったのかなと思いました。 多分歴史を見ると戦争ってずっと起きてて、何て言うんですかね、みんながその相手側のことを考えられれば、戦争っていつかなくなるのかなと思いながらも、その壁の向こう側を全員見ることができないので、なんかこう、平和っていうのは難しいのかなっていうような感想を持ちました。

 

中村:

 ホロコースト記念館を解説するリアットの場面で、壁の向こう側で火事になってるのに、こっち側の人は何も手を出さない、無視してる。 その矛盾っていうのを詩人が何か書いてるんだっていうようなシーンありましたよね。詩人っていうのは、だからそういう役割、そういうのでちゃんと記録していかなきゃいけないんだなっていうのも、一応詩人の端くれとして、なんかすごくハッと思わせられましたね。 やっぱあのシーンはすごく印象に残りました。

 

渡部:

 リアットがその場面で壁の向こうの相手を承認をしなければ、認めなければ、またそれが繰り返されるというような言葉を最後にその彼女はつぶやいてというか、でもその認識に至るっていうのはやはりなかなか難しいところなんですかね。

 

観客2:

 ありがとうございます。 高校の英語教師をしていますけれども、あの渡部さんと中村さんも、もし高校でこの件について授業をなさったことがあるのであれば、ちょっとお聞きしたいんですけれども、私も英語の授業でガザの詩人でリフアト・アライールという、「もし、私が死ななければならないなら」っていう詩を書いた人の詩を題材に2回にわたって授業をしたことがあるんですね。で、渡部さんが先ほどNHK のドキュメンタリーを見せた時に、強く語れば語るほど生徒が引いてくるっておっしゃってて。 私の授業の時もあまり最終的にやるべきことはやってくれたし、自分なりに詩を書いたり、感想もいっぱい書いてくれて、少しは響いてるんだなって思えたんですけれども、どうすればその高校生に対してもうちょっとこう、興味を持ってもらえるような授業ができるのか、あるいはなぜ引いてしまうのか。  彼らは。 私も熱く語っていろんな映像を見せたんですけど、なんかこう、あんまり反応がないとか、そういうのがあったので、どうすればいいのかなって。 今でももっともう一回その、その授業をアップデートしてもう一回やりたいんですけれども、何かアドバイスがあったらお聞きします。

 

渡部:

 やっぱ、熱く語っちゃダメなんですよね(笑)。なんか資料に語らせるしかないかなっていうのはずっと思ってるんですけど、なんか相手がこう、無関心になっていくことを感じるほどムキになるみたいなのはまだ甘いなというふうにこの間反省しました。 いや、もう難しいです。 ほんとね。世界史の先生なんてどうやってやってんだろうって思うんですけど。

 

中村:

 やっぱ難しいですよ、それは。例えば、ガザっていうことを扱う時に、その元になるガザの状況の土俵を作んなきゃいけないんですよね。 一緒にこう土台を作って広場を作って、そこに乗っかってきてもらうっていう。その作業が一番大事だから、それなしにやっちゃっても引かれちゃうね。 で、何て言うんだろう、それなしにやると余計こっちが強く出ちゃうから引かれるっていうのもあるし、やっぱりどうしてもこういうテーマは自分なりの考えを持ってやるんですけど、授業でやるんだけども、その考えっていうのを、彼らは「思想が強い」って言いますよね。うちの子供も俺のことをお父って言うんですけど、「お父は思想が強い」っていう風に。やっぱりすごい嫌われますよね。 そうならないようにするのは? って思いながらやるんですけど。でも、今の若い人たちはそういう捉え方をしますよね。そこが難しいところですね。この間の僕も見たネットの記事で、ケン・ローチ監督が日本に来た時に、新聞記者に「あなたは左翼だって言われてるようですけど、本当なんですか?」 って言ったら聞いた記者がいたらしくて、それにケン・ローチは「あなたは、あのローマ教皇にカトリックですか? って聞くのと同じですよ」というふうに答えたっていう話があるんだけど(笑)。まあ、開き直ってやるっていうのを一つの、何言われても私は私っていうのもありかなとも思うし、まあと教室に生徒が40人もしいたら、その中の一人二人ヒットすればいいっていうふうに思いますね。

 

渡部:

 生徒だけじゃなくて、このあいだ印象的だったのは、二週間ぐらい前にパレスチナ/イスラエル問題の専門家の方に、僕ら社会科教員の研究会でお話していただいたんですね。 すごく深くて面白くて勉強になったんですけども、終わった後に実は若い先生が同僚の先生に「どうだった?」って聞かれたんですって。 その同僚っていうのが実は僕の友だちなんですけど、彼がその若手にそう聞いたら「面白かったです。 面白かったですけど偏ってますね」っていうふうに言ったっていうんです。パレスチナ/イスラエル問題で偏っててどういうことなんだろうかなっていうのを思いましたね。その先生は三十代ぐらいの若手なんですよね。若手の方で今話題の「中立性」とか、そういうものがもう自分の中の軸になってるっていう問題。 その若者や高校生でも、やっぱりそういうのがあるのかな、どうなのかなって思ったりはしましたね。

 

阿部:

 じゃあ、ちょっと今の話からいいですか。まあ若い人に関心を持ってもらうっていうのは、やっぱドキュメンタリーはなかなか難しいんで、最低限劇映画とかで、やっぱりあのシンボリックに描いた劇映画で共感してもらうってことはありうるのかなというふうに思いますね。  だからちょっと例は思い出せないんですけど、今そのイスラエルパレスチナ問題っていうのは、歴史を遡れば、少なくとも一九二〇年代のイギリスの統治ですね、あの時代から積み上げていけば、普通に考えて全然偏ってないわけで、一方的にパレスチナは被害者であり、イスラエル他日本を含む国際社会が加害者だというふうになっていくはずなんですね。 だから、そこをちゃんとあの説明していくというか、そうすれば若い人は感受性が豊かですから、「あ、そうか」というふうに僕は納得してくれると素直に思うんですけど。

 ただ、どうしてもそれは知識とか教養っていうところでいうと、しんどくなってくるでしょうから、やっぱりアイドルが必要なのかなって、劇映画なんかではね。今のところイスラエルですらいないし、パレスチナはもちろんアラブ社会にも日本にはいわゆるアイドルがいないんですよね。そういう意味では、僕がすごくやっぱりサブカルチャーの力がすごいなと思ってるのは、例えば日本にフランスっていうものが浸透したのは、アラン・ドロンっていう俳優が昔いて、若い女性がアラン・ドロンに「キャー」っていう風になっていて、あの「太陽がいっぱい」とか見ていくうちに、フランス映画のマーケットってのが日本の観客の中にできていったというふうに聞かれるし、教えられましたし、僕自身もリアル体験としてあるのは、やっぱりペ・ヨンジュンが冬ソナで大ヒットして、あれから韓流ブームが起き、やがてはその女性を中心に韓国語講座が市民レベルで開かれていって、実際に現地にロケツアーに行くだとか、聖地巡礼するとか、韓国の料理教室をやって、韓国文化と日本のその市民レベルでの民間交流っていうのができて。一方で嫌韓だとか、その政治的な流れもある。そういう意味では男社会のレベルからいうと、非常にささくれだった嫌韓なんかの議論がある一方で、しっかり民間交流できているわけですし、そういう意味では、なんかこの中東とかイスラエルっていうものに関して、いまだに映画の部分でいうとアイドルがいないなっていうか、あと大ヒットした劇映画もまだないなというふうに思います。

 あと、やっぱりこの問題についてハリウッド映画というところから言ってみれば、「アラビアのロレンス」。あれがやっぱり日本ですごく受けました。でも、今「アラビアのロレンス」をこの状況を受けて見直したら、「アラビアのロレンス」は非常に一方的なものであるし、あとこの状況を今受けて「シンドラーのリスト」を見れば、やっぱりこれはスピルバーグはユダヤ人であり、これは一方的すぎるんじゃないかというふうになるでしょうし、当時公開された時の評価とはまた違った部分で一歩前進できるのかなというか、そうやって少しずつ何かこう、まあサブカルチャーを通してね、関心が強まっていって、だんだん深みにこう分け入っていくということはありうるのかなというふうに思いました。

 

渡部:

 物語性があるというのは、やっぱりすごく高校生が問題に入っていくのにはいいですよね。 もちろん、映画はちょっと長いので授業でなかなか見せられないから予告編しか見せられないんですけど、予告編見せただけで食いついてはくることありますね。 

 

中村:

 サブカルチャーって今ね、話に出てきた時に、なんか宮崎駿の未来少年コナンっていうアニメかな。 映画版もあるんですかね。 あれがなんかガザの子供たちの間で集めて上映会があって、すごく人気あったっていう、聞いたことあります。 ガザの子たちも、そういう形でね、関心を持ってもらうのが難しければ、こっちの関心をね、こう届けるみたいなね。  そういうのもね、あるんだなと思って。 だからなんかね、できることがあればね、なんかと思いつつ。

 

阿部:

 昔、あの四方田犬彦っていう批評家が今いるんですけど、彼があのイスラエルの映画祭かなんかに呼ばれた時に、黒澤明の「七人の侍」ってものをイスラエルの若者たちみんな見ている。 で、あの映画を見ると、これは自分たちの映画だというふうに非常に盛り上がるんだそうです。  というのは、その野武士、乱暴な野武士に蹂躙されるあの農民、あれは我々だと抵抗する、抵抗してると、彼らはね。 で、七人の侍を雇って、その抵抗しようとして、あれに共感するんですよ。 でも一方で、パレスチナの人たちに七人の侍を見せると、これは俺たちの映画だって言うんですね。 そういう意味では、やっぱり映画の力はすごいなと。

 

渡部:

 では、ここでお開きにしたいと思います。おつきあいいただきありがとうございました。

 

【開催日時】2026年6月13日(土)

      13:30~15:20(映画上映時間)

      15:20~16:20(言論カフェ時間)

【会  場】フォーラム福島(福島市曽根田町7-8)

【ゲ  ス  ト】中村 晋(俳人・福島県立高校教諭)

【参加申込】特に必要ありません。映画券の購入は各自で行ってください。

【開催趣旨】

2023年10月7日のハマスによる襲撃事件に端を発したイスラエルによるガザへの報復攻撃は、停戦合意後もなお断続的に行われており収束の見通しが立ちません。これが非類のジェノサイドであることは論を俟ちませんが、この惨劇に対し、われわれは今なお手をこまねいて注視するほかに為す術はないのでしょうか。

映画『ホールディング・リアット』は、ハマスによって拉致されたリアット夫妻を救い出すべく、彼女の両親をはじめとする家族が奮闘するドキュメンタリー作品です。

ガザ襲撃以来、拉致された被害者家族は、それを取り戻すためにイスラエル軍によるガザへの攻撃の中止を要請しています。しかし、イスラエル国内ではその行為そのものが反政府的であるなど反発を招き、市民の間で意見が分断されている状況があります。このような中で、果たしてパレスチナ/イスラエルの分断の可能性などありうるのか。

 今回のカフェロゴでは、本作品を通して参加者の皆さんと対話しながら、その問いを考えたいと思います。その際に、俳人である中村晋さんがガザをめぐって編んだ句集『19→25』を介しての言論カフェを試みたいと思います。『19→25』は、中村さんの第二句集であり、連作「生きるガザ」を挟み込んで編集されました。これはアーティフ・アブー・サイフ『ガザ日記:ジェノサイドの記録』(地平社)を、俳句という形式で翻訳的に表現した挑戦的な作品です。

 『ホールディング・リアット』がイスラエル側から映像化された作品であるのに対して、『19→25』はパレスチナ・ガザ側の視点を福島人である中村さんが翻訳的に詠んだ作品です。この複数の立場からの交差を通じて、少しでも多くの参加者の皆様にパレスチナ/イスラエルの問題に思考を深める機会となれば幸いです。多くの来場者をお待ちしています。

 

【作品紹介】https://forum-movie.net/yamagata/movie/7270

2023年10月7日、イスラエルの農業共同体(キブツ)ニールオズが、ガザから侵入したハマスに襲撃された。住民およそ400人のうち4分の1が殺害されるか人質となり、リアット・ベイニン・アツィリと夫アヴィヴもガザへ連れ去られる。父イェフダら家族は、2人を救うため行動を開始。リアットがアメリカ国籍を持つことから、イェフダは人質解放を求め、バイデン政権に働きかける代表団の一員として訪米する。しかしそこで、⼈質家族の存在が、イスラエル政府による戦争継続の「理由」として利⽤されている現実を知り衝撃を受ける――。愛する家族の帰還を願う切実な視点を軸に、政治、歴史、分断された価値観が交錯する本作は、イスラエル・パレスチナ問題を多層的に描くドキュメンタリーとして話題を呼んでいる。

■第75回ベルリン国際映画祭 最優秀ドキュメンタリー賞受賞

 

 

 

【ゲスト】藍原寛子さん
【課題図書】『震災後を生きる13人 フクシマ、能登、』(婦人之友社)※各自でご購入下さい
【日 時】2026年9月5日(土)※17時~19時
【会 場】未定(決まり次第ご案内します)
【参加申込】メッセージへご氏名を記入してお申込み下さい
【参加費】会場費が発生する場合は、人数に応じてご負担いただきます
【開催趣旨】 ※各自でご購入下さい
【開催趣旨】

福島在住のジャーナリスト・藍原寛子さんが著された『震災後を生きる13人 フクシマ、能登、』を、著者と一緒に読む会を開催します。
藍原さんのこれまでの取材の中から編まれた一冊です。
この13人の中にはいつもお世話になっているフォーラム福島支配人・阿部泰宏さんもいらっしゃいます。
また、残念ながら2021年に惜しまれながら永眠された詩人・若松丈太郎さんもいらっしゃいます。
震災・原発事故をめぐるひとり一人の物語は、その個別性にこそ誰をも共鳴させる普遍性が込められています。
藍原さんが直接面会され話されたご経験などに耳を傾けながら、個々の物語を拾い集めることの意味を参加者の皆さんで語り合いたいと思います。
本書の内容については出版元の婦人之友社の紹介記事をご参照ください。

https://www.fujinnotomo.co.jp/book/essay/b2412/

 

【ゲスト】松谷彰夫 氏(元福島県立高校社会科教諭)
【課題図書】『裁かれなかった原発神話―福島第二原発訴訟の記録』(かもがわ出版) ※各自でご購入下さい
【日 時】2026年7月18日(土)※14時~16時
【会 場】福島市写真美術館多目的ホール(福島市森合町11番36号)
【参加申込】メッセージへご氏名を記入してお申込み下さい
【参加費】会場費が発生する場合は、人数に応じてご負担いただきます(200~300円程度)
【開催趣旨】

本書は、松谷彰夫氏が2011年の福島第一原発事故が起こる36年も前から、原発の安全性に疑問を抱き、設置許可の取り消しを求めて国と闘った住民たちの記録をまとめたものです。
地裁、高裁、最高裁と、いずれも司法は住民の訴えを退けましたが、その訴えはさながら旧約聖書のノアのごとく「3・11」の原発事故を予言してしまいました。
松谷氏は長年にわたり福島県立高校の教諭として教壇に立ち、多くの教え子や後輩たちに大きな影響を与えてきた伝説的な社会科教師です。
その著者をゲストに迎え、共に語らう機会を企画しました。
多くの皆様のご参加をお待ちしております。

 

      

 

【ゲスト】松谷 満 氏(中京大学現代社会学部教授)
【課題図書】『「右派市民」と日本政治』(朝日新書)

     
 ※各自でご購入下さい
【日 時】2026年8月22日(土)14時~16時
【会 場】福島市写真美術館多目的ホール(福島市森合町11番36号)

 

 


【参加申込】メッセージへご氏名を記入してお申込み下さい
【参加費】会場費が発生する場合は、人数に応じてご負担いただきます(200~300円程度)
【開催趣旨】

「極右」政党の席捲は、欧州においてそれほど新しい社会現象ではありませんが、それでも2024年6月の欧州議会選挙においてEU加盟各国で極右や右派が大きく勢力を拡大したこと衝撃的な出来事でした。
そのことが外国人差別とテロの恐怖を増幅させながら、社会の分断を深刻化させている問題は、現在もなお深刻です。
翻って日本社会をみれば、2025年の衆院選におけるポピュリズムによる右派政党の躍進や政権の誕生は、事情は異なれ、こうした欧州の社会現象とパラレルに起きているものとみることができます。
加えて、2026年1月の米国・トランプ政権によるヴェネズエラ攻撃、3月のイラン攻撃といった暴挙が、国際秩序を破壊するさなか、こうした右傾化がどのような社会現象を巻き起こすのかは予断を許しません。
しかし、そうした時期であるからこそ「右派」とは何か?それを支持する市民層の心性とは何かを考える必要があります。
このたび、『「右派市民」と日本政治』(朝日新書)を出版された松谷満氏をゲストに迎えて、同書を手がかりに以上の問題を語り合う企画を立てました。
松谷氏は福島高校出身で現在、中京大学現代社会学部で政治社会学・社会意識論を専門とされる研究者です。
本書は綿密な社会調査データの裏付けをもとに「右派市民」の意識背景を論じた本です。福島市内の書店での売り上げも大きく、この問題に対する市井の関心の高さがうかがえます。
ぜひ、色々なご意見の方々のご参加を得て、議論を盛り上げたいと思いますので、どなたでも遠慮なくご参加下さることをお待ちしております。

【日時】2026年6月27日(土)17時~19時
【会場】本と喫茶コトウ(福島市大町9-21 ニューヤブウチビル2階)
【会場費】800円(飲み物代込み)
【申込】メッセージへご氏名を記入してお申込み下さい。
【駐車場について】駐車場はありません。近隣の有料パーキングをご利用下さい。

 エチカ福島は、2013年から〈3.11〉という出来事を考えるための対話活動に取り組んできました。
 ここ数年は水俣とのつながりができ、当地からゲストを招いたり、福島と水俣をつなぐパネル企画展を開催してきました。昨夏には、メンバー全員で水俣を巡検する機会にも恵まれました。
 その流れで、今回は弘前大学の哲学研究者である横地徳広氏が執筆された『苦海のエチカ』を読む会を企画させていただきます。
本書第7章には「福島の物語論――魂の翻訳は可能か」とあり、エチカ福島にふれる箇所もあります。
 水俣から福島へ、福島から水俣へと、その往還する思考を読みあいながら思考を深める機会にしたいと思います.

本書を読まずに話を聞いているだけの参加もOKです。

ただお喋りに参加したいという理由での参加もOKです。

「3.11」や水俣-福島の何かにふれたいという方であれば、お申込みの上、どしどしご参加ください。


【勁草書房の本書案内】https://www.keisoshobo.co.jp/book/b10158535.html
水俣病に苦しむ子どもたちと親たちとのあいだ、魂の底なき深みで交わされる慈しみ。「魂の翻訳者」ともいえる石牟礼道子、ユージン・スミス、緒方正人などの言葉を通じ、わたしたちはその深淵で、子どもたち一人ひとり、それぞれにとりかえのきかない〈あなた〉であることに秘められた善美を受けとめる。そこにある哲学的問いの探求。
【庭文庫 泊まれる(古)本屋)の本書案内】
https://x.com/niwabunko/status/2033405335244083216

 

     

 本会は、エチカ福島の第24回目の活動として開催され、東日本大震災から15年を迎える節目に「子ども世代は3.11をいかに経験したのか」をテーマとして設定された。司会の渡部により、当時小学校入学直前だった3名の大学3年生(A氏、B氏、C氏)を招いて開催された。  

 渡部は背景説明において、自身が高校2年生の担任として総合的な学習の時間で3.11をテーマに取り上げた際の経験を共有した。卒業後にその授業実践や【3.11】に関する思いについて3名の学生からレポートを受け取り、予想以上に深い内容が書かれていたことに驚かされたという。  

 A氏は浪江町請戸出身で、津波により家が土台しか残らない被害を受けた。現在東京の大学に通う彼は、メディアの震災報道に対する強い批判を展開した。特に3月11日前後にのみ福島を取り上げる東京のメディアの姿勢を「アリバイのため」と表現し、地元の文化が全く紹介されない現状を問題視した。また、能登半島地震の復旧状況を見て、福島の経験が全く活かされていないことに失望を表明した。  

 教育面では、A氏は高校時代の受験偏重教育に疑問を呈し、「命があるからこそ受験ができる」という当たり前のことが教育現場で軽視されていると指摘した。15年前の経験を知った人間として、防災教育の重要性を強調し、地域ごとの具体的な災害リスクを教える必要性を訴えた。就職活動を控えたA氏は、自分が批判してきた「嫌な大人」になってしまうのではないかという葛藤を率直に語った。メディア業界への就職を考えているが、既存の社会システムの再生産に加担することへの不安を表明した。  

 B氏は福島市在住で、父親が小学校教員として県外で避難児童の支援に従事したため、小学2-4年生の間は父親と離れて生活した経験を持つ。当時は父親の異動理由が分からず寂しい思いをしたが、高校の探究学習を通じて父親の仕事の意義を理解できたという。B氏は自身の勉強不足を認めつつ、震災について語ることの難しさを表現した。父親が被災者でありながら支援者でもあったため、家庭内でも軽々しく話題にできない雰囲気があったと振り返った。現在塾講師として働く中で、震災を知らない子どもたちが増えていることを実感し、どのように伝えていくべきか悩んでいると述べた。  

 C氏は東京の大学で社会学を学び、卒業論文で震災後の家族間での語りについて研究している。県外の学生との交流を通じて、福島の原発事故に対する認知度の低さを痛感したという。C氏は震災時に母親がスーパーで泣き崩れた体験を通じて、「大人が揺るぎないもの」という認識が変わったと語った。その後の学校生活で、教員たちも道しるべがない中で教育に取り組んでいることを理解するようになったという。  

 3名に共通するのは、震災について「語らない」「語れない」状況が続いてきたことへの問題意識である。C氏は特に、被災地の子どもたちが「復興の象徴」として扱われることへの違和感を表明し、家族間でも話せないことが多いと指摘した。  

 参加者からは様々な質問や感想が寄せられた。教員からは予定調和的な震災教育への反省や、命を守ることを最優先とした教育の必要性について議論があった。また、語ることの重要性と同時に、語ることの困難さについても深い議論が交わされた。  

会議の最後に、渡部個人的な体験として、避難所で出会った小学生の親子の話を語り、原発を容認してきた世代として「とんでもないことをしてしまった」という思いを表明した。その子と同じ年齢である3人を含めた担任学年への特別な思いと、今回の対話の意義を強調して会議を締めくくった。  

 

【チャプター】

## 開会挨拶とエチカ福島の活動紹介 

 島貫氏による開会挨拶で、エチカ福島の4名(島貫、渡部、深瀬、荒川)による13年間の活動について紹介された。今回で24回目を迎え、福島の中でどんな声が聞けるか、どんな声を出していけるかを考え続けてきた活動であることが説明された。

 

## 司会による背景説明と企画の経緯‎   

 渡部が司会として、今回のテーマ「子ども世代は3.11をいかに経験したのか」の設定背景を詳細に説明した。3名の大学3年生は震災当時小学校入学直前で、渡部が高校2年生の担任時に総合的な学習で3.11を扱った際の生徒たちであった。当時の授業実施には多くの困難があり、浜通りの被災地出身教員の言葉や被災生徒への配慮など、リスクを伴う取り組みだったことが語られた。  

 

## A氏の体験談とメディア批判

 浪江町請戸出身のA氏が、津波で家を失った体験と現在の思いを語った。メディアの震災報道について厳しく批判し、3月11日前後のみの報道を「アリバイのため」と表現した。地元の文化が全く紹介されず、移住者の文化ばかりが取り上げられる現状に疑問を呈した。能登半島地震の復旧状況を見て、福島の経験が活かされていないことへの失望も表明した。  

「私自身、その十五年をということなんですけれども、浪江町の請戸と言いながら、どれだけの皆さんに伝わっているのかなというふうに思うところがあるんです。

 請戸にどれぐらいの人がいて、何があったのかとか、そういう人の営みって消されてるのかななんていうことを思ってました。 メディアの皆さんによる福島の復興っていうものをある意味定義づけ、あっちから押し付けてきてるような感じがすごいしてしまうんですね。 今年の15年目ですけれども、ある意味アリバイのために流しているような気がして」

 

## 教育への問題提起と就職への葛藤

  A氏は高校時代の受験偏重教育を批判し、「命があるからこそ受験ができる」という基本的な認識が欠けていると指摘した。防災教育の重要性を強調し、地域ごとの具体的なリスクを教える必要性を訴えた。就職活動を控え、自分が批判してきた「嫌な大人」になることへの不安と葛藤を率直に語った。  

●「自分が通った高校は大学受験して国公立大学に行きなさいっていう学校なんですけど、受験勉強、受験勉強、受験勉強、偏差値云々っていう話ばかり。でも、それって命があるからできるじゃないですか。 それは日常が当たり前が当たり前としてあるからこそ、三年間の学習が終わり、受験が終わり、大学だ専門学校だ就職だ、いろんな道に進んでいくわけであって、その当たり前が当たり前じゃないっていうことは、十五年前我々知ったはずなんですよ。それがどこにも入ってない。」

「でも先生方だって保護者の方だって被災をしている。それを使ってやるっていうことを高校二年生のときに、純先生が、いろんな葛藤があったみたいですけれども、授業でやってくれたっていうのはすごい自分の中で大きかったですね」

 

## B氏の家族体験と語ることの困難さ‎

 福島市在住のB氏が、父親の県外異動により小学2-4年生の間離ればなれになった体験を語った。当時は理由が分からず寂しい思いをしたが、高校の探究学習で父親の支援活動の意義を理解できたという。父親が被災者でありながら支援者でもあったため、家庭内でも震災について語りにくい雰囲気があったことを振り返った。  

●「両親の姿を見ていた自分の自分が体験したというよりかは、家庭内の様子の記憶が結構大きいなって思ってて。父が支援の形で県外に行って、 父自身も被災者の一人であるにも関わらず、支援者という形で 2つの役目を持って働いている姿っていうのも見ていたので、私自身が何の知識もないのに、支援を受けを受けている側の私が軽々しく話題として出せるような空気感ではなかったし、私自身が勇気がなかった。 家庭で話題を出した時に、ご飯を食べながら喋れるような軽い話題でもないし、お父さんからしたら個別性のあるものだし、私が知ってどうするの? っていう話でもあるし。 ただそれに向き合わない限り、私自身もちょっと寂しかったなとか、あの時こういう思いをしてたなっていう部分を忘れてしまうんだろうなっていうのが最近思うこと。 プラス今。 塾講師をさせていただいてて、今の中学生とか小学生とか高校生になる子たちとかも関わる機会があって、東日本大震災のことについて、やっぱりその前に生まれてない子たちがいて、その歴史のこの東日本大震災っていう言葉を書くこともできない子がいる。 そこに福島に住んでいても、これってやっぱり生まれてないと勉強しようと思わないと、知ろうとしないと、やっぱりわからない子たちがどんどんどんどんこれから増えていくんだなっていうのをすごく身近に感じて。」

●「私以外にも小学校を避難して、小学校の時に避難して帰ってきた小学生のお友達って結構いっぱいいて、図工の時間に「あなたの故郷、地域の故郷を描こう」みたいな課題があって、さらっと「私の故郷ってまだ帰れないんだよね」って言った。 この言葉が結構忘れられなくて。 でも、小学校の当時の私からしたら、何も返せる言葉もないし、今も返せる言葉はきっとまだ見つかってなくて。 今は福島市にずっと住んでいられるけど、もし次の日に帰れませんってなった時、周りの周りにいた大好きな友達はどこに行っちゃうんだろうとか、私の大好きな地元の食べ物とかフルーツとか食べれないじゃんとか、リアルに考えるようになったのが今で。 より一層今ある生活の中での価値っていうのをすごく感じていて。 私自身こう知識がまだまだ浅い、知らない情報もいっぱいあるし、その情報っていうのもいろんな人の声を聞いて作っていくもので、一方の面じゃなく、てまだまだ答えは出ないんですけど、何かこう、自分の中で東日本大震災と向き合って、じゃあ自分はどうしていくのかとか、答えは出てこないんですけど。 」

 

## C氏の大人観の変化と研究への取り組み‎  

 東京の大学で社会学を学ぶC氏が、震災時に母親がスーパーで泣き崩れた体験を通じて「大人が揺るぎないもの」という認識が変わったことを語った。卒業論文で震災後の家族間での語りについて研究していることを紹介し、県外学生との交流で福島の認知度の低さを実感したことを述べた。  

●「今、東京の大学に通っております。その中でほぼ東北出身の子がいない中で、東日本大震災の話を授業の中で取り上げ、自分が話題を出して何か話し合おうっていう時に、他県の子とか首都圏の子たちの認知度が低いというか、どういうことがあったのか、どういうものだったのかっていうところを知っている子が本当に少ない。 なんなら宮城県出身とか、岩手県出身、山形県出身、近県の子でも福島県の原発事故っていうものがどういうものだったのかっていうことを知っている子が少ない。 卒業論文では、この東日本大震災以後のこの家族間でどういうふうに語りが行われているのかとか、情報共有とか心情共有がどういうふうにされているのかっていうところを主題にして研究していきたいなというふうに現在考えているところです。 私たちは当時小学校に上がる前の6歳だったので、大人っていうものが揺るぎないものだと私自身感じていたんですけれども、一番震災の時ですね。親というものがなんか揺らいだというか、人間なんだなってすごい感じたエピソードがあって。 スーパーに買い物に行ったら、やはりなんかこう何もないわけですよね。 棚の中に何もなくて、缶詰となんかちくわしかなくてみたいな。 で、母がなんかスーパーのなんかもう電気も消えてて、なんかガラスとかも割れてるスーパーで、「ちくわしかない…」って言って、そのスーパーの通路で泣き崩れちゃった時があって。父はこう父で震災のそのホットラインの電話番とかで当時はいなくて、母が子供 3人抱えた状態で多分ギリギリだったんですけど、そのスーパーの異常さを見て、すごいもうなんか精一杯になっちゃったみたいで、なんか泣き崩れてしまったんですけれども。 なんかその母を見た時に、「あ、大人って人間なんだ」っていう風に感じて。 そこから小学校に上がっていく中で、なんか先生たちもこうつらい経験をしていて、小学生の私たちのことを導いてくれる存在ではあるんだけども、先生たち自身もこう道しるべがない中で教育というか、関わっていかなきゃいけないっていう状況に置かれているんだなっていうのをなんか感じることが多かったかなと思っています。」

 

## 参加者との質疑応答・語ることの意義について

  参加者から3名への質問や感想が寄せられた。家族間での会話の困難さ、語ることの重要性と同時に語ることのリスクについて議論された。教員からは予定調和的な震災教育への反省や、命を守ることを最優先とした教育の必要性について意見が出された。  

●「その時子供だった私たちって、なんかこう、復興ですよとか、復興してます、福島が復興してますとか、なんか東日本大震災後、こんな大変なことがあったけど、今頑張っていますっていう、すごいわかりやすい、なんかこう商品じゃないけど、そういう代名詞にされてる感じがするのが私自身はすごく嫌で。 なんか記事を書く側としてはすごいドラマチックだし、なんかそういう被災地の子たちが今は明るく元気にいますよっていうのってすごく分かりやすくて、すごく心にも響く内容なんだけど、それだけで終われないというか、家族間ですら話せないことがいっぱいあって。  私がすごくずっと感じてたのは、避難した子が戻ってきた時に、「あ、誰々ちゃんって転校生だよね。 で、戻ってきたんだよね」みたいな話になって、「あ、そうそう、山形行ってたんだよね」とかになったら、「あ、そうなんだ」って言って、そこから先、その山形でどんなことがあったのかとか、その時私たちはどうだったのかとか、そういうなんかすごく他愛もなくて、本当だったらなんか全然話してもいいし、聞いてもいいことが絶対に聞いちゃいけない、なんか暗黙の了解みたいになって育ってきた認識があって。 なんか、そういうことも話せない。話してこなかったからこそ、なんかどう話し出して、周りの人に聞いたらいいのかなとか、聞いてもいいのかなとか、そういうのがわからないし」

 

## 教育現場での震災教育の課題‎

 教員参加者から、予定調和的な震災教育の問題点と、本質的な教育の必要性について議論があった。小学校教員からは、自分たちの教育の成果が見えにくいことへの悩みと、今回の3名の成長への感動が語られた。理想的な小学校教育のあり方についても議論された。  

● 「3月11日なので黙祷しましょうってあったと思うんですけど、なんか四年生ぐらいの時に初めてなんか体育館で映像を流したんですよね。 で、そこで今から津波の映像が流れますから、なんかまあ各々目をつむりたい人はつむっていいし、見る人は見てくださいみたいなアナウンスがあって。 先生たちもなんかいろんな表情、その時にすごいいろんな表情をしてたなって、子供ながらに思って。 なんかそれまでって先生たちのことを別に人間として見てなくて。 なんかこう、「先生っていう生き物」だとして確立されていたので、なんか先生たちにも個人の感情があって、好き嫌いもあるっていうのが、その時すごい人間として見えたというか。 それで先生たちも多分賛否両論あって、言葉にしづらいこと、だから先生たち一人一人のその状況っていうのは。 そのことをきっかけに、先生たちも全員が同じ考えを持ってやってるわけではなくて、一人一人に何かこう、これをやるのには反対だとか賛成だとかもあるし、そういう震災教育について触れていきたい先生もいれば、触れていきたくない先生もいる。 自分の傷を公開して、先生はこういう出来事がありましたって言ってくれる先生もいれば、別にその公言を差し控える先生もいらっしゃったので。 なんか私たちは被災して、こう、大変だね、かわいそうだねって言われて育ってきたけど、その周りにいた大人だって同じように被災して、そういう経験をしてきて、私たち以上に責任とかいろんなことがあったんだろうなっていうのを、その時なんかぼんやり思って、多分家で母とかと喋ったんじゃないかな。」 

●「防災訓練なり避難訓練なりあると思うから、なんかそこっていうよりかは、じゃあ何が予定調和かなって思うかって言ったら、あの、今までだったら震災だけじゃなくて、戦争教育とかもそうだと思うんですけど、なんか辛いことがありました。 みんな辛い思いをしました。  大変でした。 こういうことがありました。 はい、感想を書いてね。 すごくつらかったと思いますみたいな。 大変だったと思います。 書いて出せば OK みたいな。 それが予定調和だなってすごい小さい頃から私は思って。 なんかもっと紐解いていったら、個々の事例っていうのがやっぱりあって、なんか大変だったことばっかりじゃなくて、なんかその中でも、じゃあこういうことがあって、なんかこうだったんだよみたいな。 私だったら、例えばお母さんがちくわを持ってスーパーで泣いたっていう話があったら、なんか大人ってなんか絶対じゃないんだなみたいな。 いつもは強いお母さん、いつもはなんて言うんだろう、子供たちのことを叱りつけて、なんかこう。 でもやっぱり大きな愛で包んでくれる母だけど、やはり母も一人の人間であってっていうところが見えてくるから、なんかそういうことをなんか紐解いていける教育であってほしいなって私は思っていて。 震災っていっぱい揺れて、いっぱい津波が来て大変だったなって思った、こういうことがあったってことじゃなくて、なんかもっと紐解いて、子供に今から生まれてくる子、育っている子に言えることとすればつらいし、親に語ってもらうことって容易ではないんだけど、自分の親がその時何を感じていて、どんな不安を持っていてっていうところが聞ける家庭環境であるとは絶対には言えないですけど、そういう家庭環境であるとか、周りの大人に聞ける環境があるとすれば、なんか人間のなんか営みっていうのがどんどん見えるのかなと思っていて。 なんか本当に辛かった、大変だっただけじゃなくて、そこに生きてる人間が今も生きていて、それってこういうことなんだよねっていう流れが見えるというか。  より実際に自分の経験というか気持ちというか、自分の中に何かが残るんじゃないかなと思うんですよ。 なんかこう、戦争教育って小学校、中学校でやってきたけど、自分の中に何かが残ってますかって言われると「大変だったな」とか、そういうことしか残らなかった。その時の人たちはすごい悲惨な思いをしただろうなとかも思うけど、その人たちの生活が見えるのかとか、その人たちの顔がわかるかとか、近いものだと思えるかどうかっていうのが物事を伝えていく時に、その人に残るか残らないかの差だと私は思っているので、そういうところが近いところの存在として捉えられるかどうかっていうところで変わってくるのかなって思いました。」

●「確かにその 80年、戦後 80年というところで、じゃあそういう教育をその予定調和の中でやって、可能性として見えてくるものはほぼ確かにないんですよ。 それはある意味、教科書的なものを習ってて。 でもそのまいた種が、それこそ 10年後、 20年後、何かで咲くかもしれないしっていうきっかけになるんだったら、果たしてこれ無意味じゃないんだろうなっていうことも思っていて。  なので予定調和をどれだけ予定調和として全力でやるかっていうのも大事なのかなと。 その言い方悪いですけど、予定調和を、なんだろうな、ロボットかのようにやるんじゃなくて、やっぱり予定調和の中にもできる限り心を込めるというか、そういうのも見えてこないので、なんかそれがああ、お決まりなんだろうなって見えてくる理由、ちょっとそこにほんのひとひねりスパイスとして入れてくっていう、この難しさですよね。」

 

## 政治的行動と市民活動の多様性‎

 参加者から政治的な解決方法と市民活動の多様性について議論があった。トップダウンのアプローチだけでなく、草の根の活動の重要性についても言及された。柏崎市長選での市民候補の例を通じて、様々な社会参加の形があることが紹介された。  

 

## 震災当日の記憶の共有‎   

  参加者からの質問を受けて、3名が震災当日の具体的な体験を詳細に語った。A氏は幼稚園での避難体験と津波への恐怖、B氏は卒園式直前の混乱、C氏は家族が一箇所にいたタイミングでの地震発生について、それぞれ生々しい記憶を共有した。    

    

 昨夜、本と喫茶「コトウ」を会場に「中村晋『19→25』を読む/詠む会」が開催されました。参加者10名程度の会でしたが、初参加の方もいらっしゃり、終始和やかかつ深い読みの議論が交わされました。
 今回の報告はAI自動文字お越しソフトによる会の記録報告を試みました。率直に言って、AIのまとめ、すごいです。議論の核心をしっかりつかんだ要約となっています。ご一読ください。

【対話の記録】
 この会は俳句集『19→25』に関する読書会として開催され、著者である中村晋さんを中心に、参加者が俳句の内容や表現技法について深く議論した。会議は約2時間にわたって行われ、社会的俳句の伝統から現代の時事問題まで幅広いテーマが扱われた。 
 中村晋第二句集『19→25』は、連作「生きるガザ」を挟み込んで編集された。これはアーティフ・アブー・サイフ『ガザ日記:ジェノサイドの記録』(地平社)を、俳句という形式で翻訳的に表現した句である。そこに日常を描いた句を差し挟みながら、いわば時系列順にモンタージュ的な形式として編まれた句集である。
 また表紙の装丁などについても、ジャズギタリスト・パット・メセーニのアルバム「TRIO 99→00」のジャケットからヒントを得たことも説明された。中村氏は冒頭で、戦時中の社会主義俳句やレジスタンス俳句の歴史について説明した。
 「生きるガザ」は自由律俳句から成り、ガザ攻撃を詠んだ社会性のある俳句となっている。そこにはガザの当事者ではない人間が詠むことがどこまで可能なのか、実験的な意味があると中村氏は言う。
 現代俳句では社会問題を論じることがすでに常識になっている。中村氏は、マブソン青眼というフランス人俳人の「日本レジスタンス俳句選」をもとにしながら、戦時中から多くの俳人が時局に抗って表現していたことを紹介する。例えば、渡辺白泉が「戦争が廊下の奥に立ってゐた」という句で特高警察に検挙された話や橋本夢道の「皇居に脱帽して素朴な冬木の立ち」という自由律俳句になどの状況について詳しく語った。これらの例を通じて、社会的な俳句は俳句の邪道ではなく、むしろ一つの伝統の形であることを強調した。  
 長崎の原爆被災者である松尾あつゆきの作品についても言及し、「なにもかもなくした手に四まいの爆死証明」や「降伏のみことのり、妻をやく火の今ぞ熾りつ(八月十五日)」などの句を紹介した。これらの句は1946年頃に発表しようとしたが、今度はGHQから発表差し止めが来たという歴史的背景も説明された。  
 中村氏は自身の俳句朗読を行い、日常的な句から福島に関わる句、戦火に関わる句まで幅広く紹介した。特に「死者生者を曇天のガザに置きて去る」という句については、師匠である金子兜太の「水脈の果炎天の墓碑を置きて去る」という句との関連性を説明した。この句は、戦後金子兜太がトラック島から帰還する際の句であり、二度と戦争のない世界にしたいという強い思いを込めた記念碑的な一句。中村氏はこの句が揮毫された色紙を2017年海程賞受賞時に頂き、金子兜太の思いを受け継ぐミッションを課されたような思いになり、それが「死者生者を~」の句につながったかもしれないと述べた。  
 参加者からは様々な質問や感想が寄せられた。ある参加者は「合格発表風を来て風を帰る子も」という句の解釈について質問し、中村氏は合格発表で不合格だった状況を表現したものだと説明した。また、2011年の震災時の状況と重ね合わせて読む解釈も提示された。  
 鳥や動物が多く登場することについて参加者が言及し、中村氏はかつてバードウォッチングが好きで、最近ではアカショウビンを猪苗代の五色沼で聞いた経験や、自宅の庭にレモンの木を育てアゲハチョウを呼んでいる話を共有した。「九月の教師無印良品的笑顔」という表現については、九月の教師の複雑な心境を表現したものだと説明された。  
 俳句の記録的意味について議論が展開され、中村氏は忘れてしまいがちな瞬間の感情や体験を残しておくことの重要性を強調した。特に連作形式について、「父逝去10句」などの例を挙げながら、コロナ禍で父親に会えずに亡くなった体験を俳句として記録したことを語った。  
 ガザと福島の問題が句集の後半で交錯することについて、参加者からモンタージュ的な効果について指摘があった。中村氏は意図的ではなく時系列で並べた結果だが、社会がぐちゃぐちゃになってきた状況が反映されたと説明した。福島にいる人として、棄民という意識から世界中の同様の状況にある人々への共感が生まれたと述べた。  
 俳句の表現技法について、切れ字の効果や空白の使用について詳しく議論された。中村氏は「古池や蛙飛び込む水の音」の句を例に、モンタージュ効果について説明し、自身の句でも空白を切れ字的に使用していることを明かした。ただし、師匠の金子兜太はこの技法を「ふんどしに穴が開いてるみたい」と嫌っていたというエピソードも紹介された。  
 定時制高校の生徒たちについての句についても議論があり、中村氏は実際に精神的に病んだ生徒の体験を俳句として記録したことを語った。これらの句は通常なら削除するかもしれないが、プライベートには配慮しつつ、記録として残しておくことの意味を強調した。  
 震災の記憶と記録について深い議論が展開された。参加者の一人は電車の人身事故を目撃した体験を語り、社会が個人というものを数として処理し、死を単なる事象として処理してしまうことへの疑問を提起した。中村氏はそれに抗うために「紙碑」という概念を紹介し、個人がこの世に存在した証やその尊厳の記録を残す意味について説明し、俳句として残すこと、句集を出版することの価値を語った。  
 福島県内での避難者に対する複雑な感情についても率直な議論が行われた。参加者は高校時代に避難してきた人に対する同級生の心ない発言を体験したことを語り、中村氏も浜通りから避難してきた人々への複雑な感情を正直に吐露した。情報格差や補償金の違いによる軋轢、同じ被災者でも立場の違いによる分断について詳しく議論された。  
 俳句の可能性について、AI時代における文学の意味や、当事者性の問題、翻訳としての役割などが議論された。中村氏は従来の俳句の概念を超えていくことの重要性を強調し、「難民女性も生理はある生理用品がない」という句を例に、俳句とは何かということを問い直す姿勢を示した。  
 最後に、この句集の普及方法や今後の読書会の開催について話し合われ、参加者からは継続的な開催への希望が表明された。  
  
◎チャプター
【 戦時中の社会主義俳句とレジスタンス俳句の歴史‎ 】
 中村氏は戦時中の社会性俳句について詳しく説明した。マブソン青眼というフランス人俳人がフランス語と日本語とで出版した「日本レジスタンス俳句選」をもとに、渡辺白泉が「戦争が廊下の奥に立ってゐた」という句で特高警察に検挙された話や、橋本夢道「皇居に脱帽して素朴な冬木の立ち」という自由律俳句を解説し、これらの俳句が当時の社会情勢を批判し、からかったりする形で抵抗の意味を持っていたことを説明した。そして社会的な俳句は俳句の邪道ではなくすでに現代俳句の伝統の一形態であることを強調した。  

【長崎原爆被災者松尾あつゆきの俳句と戦後の検閲‎  】
 中村氏は長崎の原爆被災者である松尾あつゆきの作品についても詳しく紹介した。「なにもかもなくした手に四まいの爆死証明」や「降伏のみことのり、妻を焼く火今ぞ熾りつ(八月十五日)」などの句を朗読し、家族を失った体験を俳句として表現したことを説明した。これらの句は1946年頃に発表しようとしたが、今度はGHQから発表差し止めが来たという歴史的背景も明かした。ただ、これら社会性を帯びた俳句の多くは当事者が作った作品である。それに対して句集『19→25』における連作「生きるガザ」は当事者でない人間が作り、発表している。著作権の許諾を得ているとはいえ、当事者でないものがこれらの句を作ることは実験的であるといえる。  

【 中村氏による俳句朗読会‎ 】
  中村氏が自身の句集から選んだ俳句を朗読し、解説を加えた。日常的な句として「夜学子罹災す「先生借りた本が、借りた本が…」」、「合格発表風を来て風と帰る子も」などを紹介し、福島に関わる句として「草青むここは校庭だっただっただった」「フクシマの更地の白さ韮の花」などを朗読した。戦火に関わる句では「筆始め平和と濃く書く図太く書く」「ガザの少年遺体を運ぶ驢馬励ます」などを紹介し、特に「死者生者を曇天のガザに置きて去る」という句については師匠金子兜太との関連性を詳しく説明した。  

【参加者との質疑応答と句の解釈‎】   
 中村氏からお話しをいただいた後、参加者からの質問や感想が始まった。「合格発表風を来て風と帰る子も」の解釈について質問があり、中村氏は合格発表で不合格だった状況を表現したものだと説明した。参加者からは2011年の震災時の状況と重ね合わせた解釈も提示された。また、句集に多く登場する鳥について参加者が言及し、中村氏はかつてバードウォッチングが好きだったことや、最近アカショウビンを猪苗代で聞いた体験、自宅の庭にレモンの木を育てでアゲハチョウを呼んでいる話を共有した。  

【俳句の記録的意味と連作の効果‎ 】

  俳句の記録的意味について深い議論が展開された。中村氏は忘れてしまいがちな瞬間の感情や体験を残しておくことの重要性を強調し、ガザや福島の問題も時間とともに埋もれていってしまうことへの危機感を表明した。連作形式について「父逝去10句」を例に挙げ、コロナ禍で父親に会えずに亡くなった体験を俳句として記録したことを語った。参加者からは連作の余韻の大きさについて評価があり、10句重なって最後に句があることの効果について議論された。  

【ガザと福島のモンタージュ的構成‎】
  句集の後半でガザと福島の問題が交錯することについて、参加者からモンタージュ的な効果について指摘があった。中村氏は意図的ではなく時系列で並べた結果だが、社会がぐちゃぐちゃになってきた状況が反映されたと説明した。福島にいる人として、15年前の経験から棄民という意識を持ち、国家がいざとなったら国民を捨てるという思いから、世界中の同様の状況にある人々、特にガザの人々への共感が生まれたと述べた。ALPS処理水海洋放出なども含めて、自分の大事なものが侵されたという感覚が混じり合ってきたと説明した。  
 
【 俳句の表現技法と切れ字の効果‎】
 俳句の表現技法について詳しい議論が行われた。中村氏は切れ字の効果について古池やの句を例に説明し、モンタージュ効果について詳しく解説した。「戦争 人の名を剥ぎ数字に」という句の空白について質問があり、中村氏は空白を切れ字的に使用していることを説明した。映画の黒味で繋がるような効果を狙ったと述べたが、師匠の金子兜太はこの技法を「ふんどしに穴が開いてるみたい」と嫌っていたというエピソードも紹介された。  

【定時制高校生徒たちへの思い‎】
  定時制高校の生徒たちについての句について議論があった。中村氏は「夜学子よ生きたねそして卒業だね」という句について、実際に精神的に病んで休学した生徒の体験を俳句として記録したことを語った。これらの句は通常なら削除するかもしれないが、プライベートに配慮しながら記録として残しておくことの意味を強調した。生々しい内容も含めて、形の整った綺麗なものだけでなく、ゴテゴテしたものやみてくれの悪いものも含めて日記に近い感覚で残したと説明した。  

【 震災の記憶と記録の重要性‎】
 震災の記憶と記録について深い議論が展開された。参加者の一人は電車の人身事故を目撃した体験を語り、社会が個人を単なる数として、個人の死を単なる事象として処理してしまうことへの疑問を提起した。中村氏は出版社の「紙碑」という概念を紹介し、紙による石碑として本を出版することで記録を残す意味について説明した。人の生きた痕跡や証を残すことの重要性を強調し、数として処理されてしまうことへの抵抗を表明した。  
 
【 日常の俳句の魅力と軽やかさ‎】
 参加者から中村氏の日常的な俳句の魅力について言及があった。「スイートピー音痴は鼻唄でも音痴」「パプリカ切ったらぷはっと息を吐いたよ」などの句について、みずみずしさや描写の巧みさが評価された。中村氏は「パプリカ切ったらぷはっ息を吐いたよ」について、実際にパプリカを切った時の体験を説明し、「よ」という呼びかけで読者を巻き込む効果を狙ったと述べた。重いテーマばかりでなく、軽やかな俳句の面白さも存分に入っていることが確認された。  

【俳句の可能性とAI時代の文学‎】
  俳句の可能性について深い議論が行われた。参加者は「なんかいいな」という感覚の重要性を強調し、最近は何でも理屈を求められる傾向への疑問を提起した。中村氏は俳句を作る際には、言葉がどのように作用するかを計算高く見極めている面もあることを踏まえつつ、その一方で、取り合わせの新鮮味や内容の現代性を追求していることを説明した。AI時代における文学の意味についても議論され、個別の経験性や感覚の重要性が確認された。星座の例を挙げて、不作為のものに、言葉によってどのように切れ目を入れ、新しい意味を見出すか、そのことの大切さについても言及された。  
 
【当事者性と翻訳としての役割‎】
 当事者性の問題について深い議論が展開された。中村氏は当事者でない人間がガザの問題を書くことについて実験的だと述べ、参加者からは当事者でなくても語ることの重要性について意見が出された。戦争を語り継ぐことの意味や、想像することの大切さについて議論され、中村氏は媒介者や翻訳者としての役割を果たせたかもしれないと述べた。感じることは人間ができる最後のことであり、AI では代用できないものだと確認された。  

【福島県内での避難者への複雑な感情‎】
 福島県内での避難者に対する複雑な感情について率直な議論が行われた。参加者は高校時代に避難してきた人に対する同級生の心ない発言を体験したことを語り、同じ経験をしても感じ方が違うことへの困惑を表明した。中村氏も浜通りから避難してきた人々への複雑な感情を正直に吐露し、情報格差や補償金の違いによる軋轢について詳しく説明した。相馬地域での津波被災者と原発避難者の軋轢や、避難ラインによる分断の問題についても議論された。  

【今後の読書会開催と普及について‎】
  句集の普及方法や今後の読書会の開催について話し合われた。中村氏は現在、本と喫茶の店「コトウ」、「はなみずき書店」、うつわと雑貨の店「うさぎや」の3店舗で販売を展開していることを説明し、ブックイベントでの手売りも行っていこうとしていると語った。参加者からは継続的な読書会開催への希望が表明され、場所を変えて開催することも提案された。このような話す機会の重要性が確認され、第2弾の開催が期待された。  

 

(大熊町熊町小学校教室・2025年7月12日・渡部純撮影)

 

 この写真は2025年夏に、大熊未来塾代表の木村紀夫さんの案内で入れさせていただいた大熊町立熊町小学校の教室の光景です。現在、中間貯蔵施設エリア内にある同小学校は、許可がなければ入ることができません。2011年3月11日当時のまま残されたその教室からは、あのときの子どもたちの怯えや動揺、泣き声が想起されます。

 このとき、木村さんは津波によって家族を失いますが、4月に父親と妻は見つかったものの、次女の汐凪さん(当時7歳)だけが見つかりませんでした。以来、木村さんは、原発事故によって警戒区域となり容易に立ち入れなくなった大熊町へ、汐凪さんを探すために避難先の長野県から通いつめて、2016年12月についに遺骨の一部を発見します。

 木村さんは汐凪さんを見つけた場所から、彼女のいのちが奪われたのは津波ではなく、警戒区域になったことで置き去りにされて奪われた可能性があると感じ、原発事故によって救助活動を中断されなければ救えたかもしれないと、深い悔恨を滲ませながら語られました。その痛切な思いに、あらためて原発事故の罪深さを覚えずにはいられません。

 何よりも、木村さんの語りと共に当時のままの校舎や教室、校庭を見つめるにつけて、あのときの子どもたちが何を見、何を考えていたのかと問わずにはいられなくなります。そして、あの出来事から15年が経とうとする今、汐凪さんがもし生きていたならば何を語ったのだろうか、とも。

 木村さんは現在、熊町小学校を原子力災害遺構として保存を求める活動にとりくまれていますが、こうした思いが喚起されたのは、まさにあの場が当時のままの空間であったからに他なりません。

 そして、このように喚起された思いから、〈3.11〉から15年目の3月を迎えるエチカ福島では、当時の子ども世代であったゲストを招き、あの出来事でどのような経験をし、その後の15年間にどんなことを考えてきたのかをお話しいただく機会を設けます。

 ゲストは、当時小学校入学を目前に〈3.11〉を経験した大学生の3人です。

 お一人は浪江町で小学校入学直前に津波・原発事故に襲われて福島市へ避難を余儀なくされた方です。彼は、高校時代に〈3.11〉に無関心な周囲に対して、なぜ他人事でいられるのかと鬱屈した思いを抱いていた男子学生です。

 お一人は、福島市で地震・原発事故に被災し、そこで葛藤する大人たちの姿を垣間見てきた経験をもちながら、今の学生生活を送る中で周囲の無関心ぶりに危機感を抱いている女子学生です。

 お一人は、震災原発事故後に父親が県外へ単身赴任したことに動揺した経験から、高校入学後に探究学習を通じてその意味を理解していった女子学生です。

3人ともに汐凪さんと一歳しか違わない年代であり、その当時の記憶を保持していられるほとんど最後の年代かもしれません。さまざまな世代の方にお集まりいただきながら、当時の子ども/大人がどのような思いをしてきたのかを語らう場にしたいと思います。

【日時】 2026年3月7日(土)14時~16時

【会場】 如春荘(福島市森合台13−9)

 ※当日は県立美術館でゴッホ展開催中のため、近辺の道路事情や駐車場が混みあうことが予想されます。お車でのご来場はお控えください。

【参加費】 投げ銭制(ゲストへの謝礼としてお気持ち程度をいただければ幸いです)

 

【エチカ福島について】エチカ福島は、東日本大震災・原発事故について話し合いながら参加者どうしで考えを深めるために、2013年2月から始められた対話活動です。

◎共同代表: 荒川信一・齋藤純一・佐藤伸郎・島貫真・深瀬幸一・渡部純

 

 

福島市の俳人・中村晋さんが、句集『19→25』を出版されました。
この句集がつくられたきっかけは、2024年11月につくった俳句による連作「生きるガザ」です。
いまなお言葉を失う暴力が吹き荒れ、破局の時間が続くガザを忘れないために書かれたこの連作を含め、2019年から2025年までに詠んだ俳句の集成が本書です。
中村さんは「激動する社会の中で、俳句に何ができるか」と挑戦的に問いながら本書を綴られました。
さらに巻末エッセイを、会場となるBook&Cafeコトウの店主小島雄次さんが執筆されています。小島さんは中村さんの俳句の視点と切り取りに「どこまでも地続きで、どこまでも境目がない」ことを看取します。
「19→25」は1925年、すなわち昭和元年とも符合し、昭和100年となる2025年との不思議な符牒を表しています。アメリカのヴェネズエラ侵攻という暴挙から始まった2026年ですが、中村さんの「19→25」を読み/詠み合いながら、激動の世界を語り合ってみましょう。

 

【日時】2026年3月14日(土)17時~19時
【会場】本と喫茶コトウ(福島市大町9-21 ニューヤブウチビル2階)
【会場費】800円(飲み物代込み)
【申込】こちらのメッセージもしくはコメント欄へお申込み下さい。

【駐車場について】駐車場はありません。近隣の有料パーキングをご利用下さい。
【書籍販売】定価2,000円(税別)
Book&Cafeコトウうさぎや(福島市大町3-10)はなみずき書店(福島市森合丹波谷地前29−10)にて販売しております。