
横地徳広『苦海のエチカ』を読む会
⏰日曜日 2026.06.28 04:52 · 127mins
横地:「くがい」には苦しい海、あと苦しい世界の両方でてくるんですけど、苦しい世界の苦界は九鬼周造の世界なんです。つまり、親に売られた遊女が、世間で生きている客と「いき」な孤悲仲に落ちる二人の場合。元禄文化は心中しちゃうんですけど、でも化政文化はこの生を無限に繰り返すことで、自分で何度でもこの苦しい世界を自分で選んだことによって、善美の世界にできる、だから、その苦しい世界の場合は、人間の意志で何とかしようっていう話になっています。
それに対して、この苦しい海、つまり「苦海」の方は胎児性水俣病患者の子供たちを九鬼周造のような意志論で語っていいのかどうかという問題があります。九鬼周造のような生き方を否定するわけじゃないんですが、胎児性の水俣病患者の子供たちに関しては、そういうことを外から私が何かを語っていいのかという問題があります。
たとえば、人工内耳ってありますが、聴覚障がい者の方がその人工内耳をつけると手話の世界とか、聴覚に支障がある人なりの豊かな世界があり、それがその人工内耳をつけたことで、その豊かな世界を失ってしまったと障がい者の方が語ることはOKなんですけど、ただ、私にはそれは言えないという問題です。障害者基本法によって障がい者と健常者の区別ができて、そういう法律的な区別から生まれた差別のようなものの見方は通用しなくて、健常者が豊かで、その聴覚障がい者の方が豊かではないではなく、別のハイクオリティの豊かさをそれぞれに生きていると。〔わたしはそれを〕体験したことない、ただ、話は理解できるから、この本をどこまで書いていいのかという時に、高村さん、渡部さん、荒川さんのおかげで理解はさせていただいた。
ただ、どこまで書いていいかわからないっていう時に、一人称の語りということで、高橋洋充さんがおっしゃっていたことや彼の問い自体は生きていて、一人称がその単数、つまり「私一人」なのか、一人称複数、つまり「我々」なのか、その私からあなたへ、我々からあなたへ、あなたたちへという人称で区別することで、ナラティブ・アイデンティティといますけど、やはり語ること、考えることで、自分が誰なのかを考える、かつ、その私は誰と一緒にいたいのか、考えるという、ハンナ・アレントの哲学に開いていけると思います。 その具体像について話を伺ってる方が多いので、皆さんから教わってるっていう感じなんですよ。 だから、この本が書けました。
渡部:はい、ありがとうございます。
僕の方から、この本から考えたことをレジュメに即して少しお話をさせていただきたいと思います。横地さんが本書を書かれたのは、まさにその当事者じゃない横地さんが、水俣のことを語っていいのか、福島のことを語っていいのかという問題なのだと思います。おそらく、こうした問いに誰もが直面すると思うんですけども。ただ、このレジュメの最初の方に「脱底」、つまり底が抜けるっていうんですかね、この言葉が一つキーワードになってるんですけども、水俣的エートスに即した言葉では直接に語り得ない「形而上学的深淵」に水俣の被害者たちは落ちた。これも難しいんですけども、その前の文章を読んでいくと、その意味はよくわかります。
例えば、「正義を顕わしてくれる国というものはどこにもない」(p.84)という言葉。これは福島の原発事故の裁判傍聴でも聞いた言葉です。けっきょく東電側の弁護士は「最後は金目でしょ」みたいな話に持ってくわけですよね。でも、訴える側はそうではないと訴えても、「賠償金はいくらがいいんですか? 四万円じゃ少ないんですか?」 とか、そういう言い方でしか反論してこない。でも、我々がその不正に直面して被害を被った時に訴える側はとりあえず裁判という方法しかないんですよね。でも、裁判所に訴え出ても、水俣の患者団体同様にそこで絶望してしまうわけですよね。 それが「「ああ情けなか! なして生きとるか」(『苦海』、443頁)(p.84)という言葉に表されている。裁判所に正義を求めても、そこに正義は実現されない。むしろ、裁判で解決されればされるほど、自分たちの言葉が簒奪されているというような思いに至ってしまう。
「なぜ自分たちが「逆世の真実を見に負うとる」のか、この問いに社会的思考が応答する可能性がすっかり消えた、まさにこのとき、『苦海浄土』第二部「神々の村」(2004年)はどこへ向かったのか。/被害民が生まれ育ち、住まう水俣、往還道の出発地として終着地である」(p.88)
ここでいう「社会的思考」というのは、裁判の思考もそうだし、あるいは政治解決っていうものだと思うんですけど、そういうパブリックな場で正義を求めても、全部自分たちの言葉が届かない、どこかすり落ちてしまう。そういう時に、水俣の人たちは「水俣病のなんの、そげん見苦しか病気に、なんで俺がかかるか」(「苦海」、45頁)(p.94)という絶望的な問いに直面してしまうわけですよね。
これは、僕らもエチカの始まりがそうだったかなと思い起こすものがあります。つまり、その出来事に宛がう言葉が見当たらないんだけど、でも時間の流れと共に、社会的にいろいろこう上書きされていくわけですね。いろんな言葉で。政治にせよ、経済にせよ。横地さんは、あえてそこで隙間に落ちてしまうような言葉を見出そうとしている存在に光を当て、しかし、それが言葉にならない魂の叫びを翻訳と名指し、しかしそれを他者が翻訳できるのかということを書かれたと思うかなと思っています。
いろんな視点から書かれている。例えば、「沈黙」とは遠藤周作の『沈黙』のことですけども、「転び」というのは棄教ですよね。その中の「わしが転んだのはな、いいか。聞きなさい。その後でここに入れられ耳にしたあの声に、神が何ひとつ、なさらなかったからだ」(『沈黙』、262頁)(p.100)という言葉に注目すると、この「後でここに入れられ、耳にしたあの声」というのは、拷問をかけられている人たちの声ですよね。その声に神が何一つなさらなかった。つまり、応えてくれなかったということを、遠藤周作の『沈黙』から引用されているんですけども、まさにこんなに足掻いているのに、何も応答がない。それに宛がう言葉がどこからも来ない。
「歴史的水平性の観点から言えば、水俣の被害民たちは衆生の「存在者的」匿名態から空が空ずる「存在論的」匿名態へとみずから深まりゆくなか、その状況を突破口にして存在の脱底的思索におのずと与りえたのかもしれない」(p.102-p.103)
これは、めちゃめちゃ難しい表現ですけども、自分自身でも言葉を見いだせないところで、その存在者的匿名態から脱底的思索に自ずと与かり得たというのは、神から応答がないという経験に直面したが故に、逆説的にもその状況を突破しえたということかなと読みました。
我々も去年水俣を訪れた際にお会いできた緒方正人さんという水俣の漁師さんがいます。この人は、ある意味で水俣の象徴的な存在ですけども、この方に触れる部分というのは、いわゆる僕の言葉で言えば「転回」というか、そういう経験がいかにして可能になるかということを考えさせられた人です。
「社会的自己、社会的他者、社会の存在意味が折り合わされた役割存在論にあって、緒方もその一部であったことを知る」(p.163)
つまり、社会的に緒方正人も漁師とか父親とか、女島の住民だとか、いろいろ社会的な役割がある中で、この人は狂ってしまうんです。テレビのような近代文明の道具を全部ぶっ壊すほど狂ってしまったと言うんですけど、その行き着いた先が「チッソは私であった」という有名なテーゼが 開かれるわけです。
こういう言葉に出会うと、法外な出来事に巻き込まれた時に、「これだったんだ」という言葉を見つけられるのは希望に感じました。しかし同時に、こんなに狂わないと、そういう言葉には辿り着けないんだろうかという思わされたのが緒方さんの言葉だったわけです。それはまさにここに書いてあるように、「自我崩壊の果て、緒方がこのことを肌身で気が付いたとき、つまり、社会的原理の役割存在論を脱却する決定的なアスペクト転換が緒方に到来したとき、緒方の中で響く〈何か〉は〔……〕小さな石仏を緒方に彫らせた〈何か〉であったように思われる」(p.163)
緒方さんは、この後いろんな石仏を掘ってドラム缶をいっぱい埋まってるエコパークに石仏を掘って並べる活動をされるんですけども、その緒方の中で響く何かというのが、この〈何か〉ということでのみ示されていて、これは何であるかというのは、まだ茫漠としていると思うのですが、それを最終章でですね、エチカ福島のことに触れていただきながら、「一人称の語り」ということで書かれてました。
自分でもなんだかよくわからない、言葉にできない、でも他者から、外側から「お前はこうだよね」という雑音がきたり、「福島ってこうだよね」とか規定される。僕のかつての同僚で福島市へ避難されてきた方は、やっぱり長年ずっと相双地区で教員やってきて、もちろん原発でこんな目に遭って、自分も家とか奪われ、福島市へ避難してきて子供たちも相双地区のアイデンティティなくなっていくのは寂しいなって話をされている中で、でもやっぱり「脱原発」ということを言う自分は違うんだよねと語ってくれたことがあります。もちろん、原発に賛成なんかしないけど、だけど今までそれを積極的に反対してきたわけじゃないし、むしろ教え子を東電とかに就職させたりしてることを良しとしてきた過去の自分と、いきなり戦争に敗けたからといって一昼夜で民主主義者に転換するみたいな、そういうのは「ちょっと違うんだよね」と話してくれたことがあるんです。自分の中でもその折り合いがつかない、言葉にできない。だけど、外側からいろいろラベリングされることには抵抗する。
横地さんは、古井由吉の言葉で 「作家が器としてパッシーブになる、楽器になる」という表現にヒントを得て、ここで髙橋洋充さんの「一人称語る会」にふれている。この会は2024年11月4日に、如春荘でやったわけなんですが、髙橋洋充さんという方は、実はこの六月一日にお亡くなりになられました。僕の同僚で、年齢は55歳でしたね。 彼は浪江町出身で、とにかく浪江に帰りたいと語っていました。自分の故郷が奪われたことに対して、ものすごい喪失感を覚えて、それをとにかく訴えずにはいられないという人でした。彼のことは語り尽くせないんですけども、その彼の語りを一人称で語る会という形でエチカ福島で開催したわけですね。
僕の不手際で、実はそれを録音できてなかったんですけども、いろんな形で別のところで録音しているので、なんとか再構成したいなと思ってます。でも、その続きを読むならば、表現の対象は「3.11」という出来事で言葉を失った髙橋洋充さんが、自ら自分から発する私とは誰かという問いかけに自分自身で応答し、言葉が紡がれた時に、初めてその存在が表れるという事なんだろうと思います。それは、自分で何だかよく分かってないんだけれども、自分で語った瞬間に、自分ってこうだったんだって分かるような経験ですかね。
「表現の対象は、〈3.11〉という出来事で言葉を失った高橋たちが自分から発する「私は誰かという問いかけに自身で応答し、言葉が紡がれたときにはじめてその存在があらわになる〈何か〉だろう。古井の言葉を模していえば、高橋の〈何か〉に対して「髙橋が器としてパッシーブになる、楽器になる」。とはいえ、「パッシーブというのはパッション(受難)に通じるわけで」、それはなかなかきついし危ない」(p.228)
古井の言葉に重ねて言えば、高橋の内観に対して高橋が器としてパッシブになる、楽器になる。この辺の表現については、横地さんに後でもう少し確認しながら進めたいんですけど、自分自身が器になる、楽器になるって言うんですよね。 だから自分自身がこういうことを語りたいんだということとも、ちょっと違うわけですよね。「『パッシブというのはパッション=受難に通じるわけ』で、それは実はなかなかきついし危ない」という言葉を古井から引用されています。
もう一つは、もうやっぱりこちらのレジュメの方も出てきますけども、アウグスティヌスの言葉を用いて、「記憶なしには私は『私』という言葉すら発することができないはずなのに、その自分の記憶の力を、私自身完全にとらえることができない」(アウグスティヌス)(p.229)という矛盾したような状態は我々にもあったような気がします。
なんとかあの出来事に宛がう言葉を見つけ出したいし、それは自分が被災した経験、記憶から紡ぎ出したいんだけど、でもその記憶すら実は大半はもう忘れということがほとんどだし、その記憶がない私を「私は私だ」なんて言えないのに、実は私自身けっこう当時の記憶が曖昧になっている中で、しかし、その記憶の力が洋充さんの語りもそうですし、高村美春さんの語りもそうですし、一人称の語りを通じて、自らの魂の洞窟という暗がりの奥底までの歩みを自分に生きられたことの記憶として語るとき、それに相応しい時間が動き出すのではないか。
「一人称の語りを通じて〔……〕自らの魂の洞窟におり、その奥底までの歩みを自分に生きられたことの記憶として語るとき、いかなる時間が動き出すのか」(p.230)
横地さんが書かれた『苦海のエチカ』は、ここで終わっているわけではないんですけど、こういう問いかけに、ちょっと難しい表現ではあるんですが、何年か経った後にふと回帰してくる、あの場面のあの記憶っていうことから、もしかすると言葉が紡ぎ出されるかもしれないし、多分それは自力ではできない。自分の記憶であるにせよ、自力では思う出すことができない。こういう対話の場でいろいろ語りながら、想い起していくという感じなのかなと思います。
それで、横地さんに問いかけますけども、魂の翻訳は可能かということですから、そういう自分自身にも説明できない言葉を、自分もまさに自分を翻訳できないし、それを他者が翻訳というか、代わりに語っちゃっていいのかっていう問題があるのだと思うんですよね。まさに今、洋充さんも本当に不在になっちゃいましたから、洋充さんの言葉を僕らが都合のいいように解釈して、「洋充さんってこういうことを言ってたんだよね」ということを、善意であっても簒奪してしまっていないかという疑問が残る。でも、一方で彼のことを語らなくていいのかというと、そうではないと思うし、その問題をどう捉えるかというのが、この本の主題かなと思って読んでました。いかがでしょうか?
横地:はい。「魂の翻訳」の方は、まず『水俣――患者さんとその世界』をドキュメンタリー映画として撮影した土本監督や、その上村智子さんのご両親とか、あるいはそのフィルムに出てくる親御さんたちが、〔土本監督が〕自分もそういうことをできるようになりたいっていう形で、その子供の話を聞く場所に共に一緒にいるんですよね。
そういう意味では、その、もう亡くなった方に対しての「魂の翻訳」にはならず、その時に言葉が神経毒なので喋りにくいという話が出てきて、それでも、その存在の響きみたいなものを受け取れるのはなぜかというとパッシーヴなんですよね。
古井由吉さんの例が、ハープってすごいピンと張ってあって、鳴らすと[削除]ハープAが鳴るとハープBは鳴る共鳴現象を起こす。ただハープがピンと張ってあると指が切れちゃうわけですよね。でも、高村さんの話だと、そのかさぶたを剥がすような、あれはそんなピンと張ったような古井由吉さんや大江健三郎さんみたいな、ある種の社会正義があって、強い音を鳴らし合いながら一緒にどこかへ向かっていく、そういう時代のパッシブではなくて、もっとこう、なんだろう、感受性の中でやっと受け取れるような。
レヴィナスの触覚論ってあるんですけど、何かに触れるっていうことは、自分の皮膚が削れることだというんです。それでやっと何かを感受できると。そうすると、やっぱり傷っていうのは敏感ですから、その方が相手の何か存在の響きを受け取り得る。そういう意味でいうと、このパッシブの方は、私としては古井由吉さんや大江健三郎の頃のはわからず、むしろ自分に傷があるから響きを受け取りやすくなってるんだっていう可傷性、ヴルネラビリティVulnerability、「傷つきやすさ」というんですけど、高村さんのお話を伺っていると、そういうところから倫理が立ち上がる感じなのかなと思うんです。
渡部:高村さんの傷の話っていうのは、高村さんご自身に喋ってもらった方がいいんですけど、私の生徒たちにも講話で聞かせてます。だいたい、みんな傷なんて見たくないだろうし、その話を聞くと自分の傷にはうずいて共鳴しちゃうわけですよね。でも、高村さんが南相馬の語り部をやるときには、むしろ自分の傷を引き剥がしながら、相手の傷に応答や反響させるような語りをされている。僕自身はそれにすごく刺激を受けて、僕も色々書かせてもらったことあるんですけど、そんな理解でよろしいでしょうか?
高村さん:先月末、横地先生の本を持って水俣に行きました。13年通ってます。今回息子と一緒に行きました。息子とは 2回目なんですけど、ずっと「魂の翻訳ってなんだろう?」と飛行機に乗ってからずっと考えてたんですね。で、今回行ったのは「からたち」の大沢さんという支援者の2世のところなんですよ。今、彼女はディープな水俣ではなくて、明るい観光的な、あるいは柑橘から農業から、山から海からという多角面から水俣を紹介したいといって、水俣旅っていうのを始めてるんですね。で、大学2年生だった息子に、ディープな水俣から入らせるよりは、そういった多角面な水俣へ連れて行きたい。で、阿賀野にも今、新潟水俣病の方にも親子で通って 2年目なんですね。
で、なぜディープな水俣じゃないのかっていうのは、 6年生の春休みに連れて行ったんですよ。うちの子は一度も海に入ったことがなかったんです。要するに地元の海に釣りをしたことがない。お母さんがいつも放射線が、放射能がって言ってるから海水浴なんかできないよねって言ってる息子は、保養の先でしかできないんですよ。水遊びというもの。 それを緒方正実さん、同じ語り部の緒方正実さんに伝えたら、よし、じゃあ一緒に船に乗って信濃川で釣りをしようって言って、初めて釣りをするんですね。小学6年生で。
その時に息子が僕もいつか語るのかってつぶやいたんですよ。私は息子に語り部をしてほしいと一言も言ってないんですよ。だけど、いつの間にか私の行動、私のそういったものを、言動を彼は見ていて、彼に私は背負わせてしまう。そして、今回、新潟の大学に行ったので、新潟水俣病の学びを行ったけど、そして自分から水俣に行きたい。学校のフィールドワークは 3年生からだから、今回お母さんが何かあるって言うから、こういうのがあるよって言ったら、じゃあ行きたいと言って。その時にディープな水俣病で行くのか、単なる水俣で行くのかでは、入る片足が右なのか左なのかがその後全く違うんですよ。それは福島と一緒なんです。 だから私は背負わせてしまった息子に、そうじゃない水俣を見せたいと思って行ったのが、すみません、長くなったんですけど、今回の水俣旅ですね。
でも、その反面、私はずっと魂の翻訳ができるかどうかっていうのは、私もそうなんです。 どこかで福島のことを福島の人が話すのに抵抗があるんですよ。被災地の人じゃない人が被災地の話をすることにまだ抵抗がある。じゃあ、かといって、何も知らない子供たちが話をするのがいいのか、そこには抵抗がある。じゃあどうすればいいのか。 語り継ぐためにはどうすればいいのか。 それは私のわがままなのか。それが正直自分の中でも答えが出なくて。今回先生の本を抱えて行ったのが実はきっかけでもあります。はい。だから傷というよりも、私がずっと持ってるわだかまりが、今の水俣、公式確認から 70年、新潟は 61年で、福島が 15年で節目ですけど、節目なんか関係なく、私たちの人生の中にはずっとそれがあったにも関わらず、実はなんか。ですね、その爪の先に本当はずっとあったはずなのにも関わらず、いじってもこないし、だけどたまにいじるとあ、痛い。だけどもうそれを無視することもできるのも自分だしっていう、なんかほんとそれこそなんかすごい矛盾した中で、今回の水俣はちょっと自分の中でもすいません、ちょっと言葉が出なかったんですけど、そんな感じで行ってきました。はい。その息子がグレープフルーツを自分で取って喜んで 20個も一人で持って帰りました。 母に1個もくれずに。
参加者:20個も!
高村:もうスーツケースに入れて。はい。
参加者:美味しいんだよね。
高村:そうなんですよ。隣の完熟のグレープフルーツをそこに無理やりサラダ玉ねぎも突っ込んで、スーツケースの中は全部野菜と野菜と。
参加者:大学生時代ですから。
高村:そうですね。 だからまあいいかな。母としては。患者さんにも息子はもちろん会ってます。(坂本)しのぶさんとか松永さんとか、いろんな方たちにお会いしてて。だけどそこだけが水俣病はないっていうのを見せたかったなっていうのが正直ですね。
エチカ福島参加者S:加賀田清子さんにお会いできて、本当に私は満足した旅路だったので。でも、私も本当に苦海浄土がすごい好きで、苦海浄土の景色を見たかったっていうのが一番の目的だったので、やっぱりいろいろ本当に石牟礼さんもあれはそのまま書いてないっていうかっていうところが、私もそれはなんか結構すいません。2話から初めてというか、どのぐらいその創作なのかなみたいなのも、現地行って聞いて、清子さんが自分は愛してる水俣患者だから、自分はまだ喋れるから、喋れない人たちの代わりにも、やっぱり自分にやっぱ大変な状況でもやってるっていう姿に、やっぱりすごく心打たれるというか。
うん、まあそれはなんかでも、じゃあ清子さんが特異的な何かというわけでもないと思うので。ただやっぱり、そういうなんかやっぱり対象の関わり方とか、自分の主体、だからどこまでその共有かなみたいなのはあるのかなと思うんですけど、ただ私自身、水俣にまた来たいなと思うし、行って満足じゃなくて、また来たいなっていう思いでちょっといて。実際やっぱり見て、お会いして、ずっと話を聞いて、すごくやっぱり貴重な体験だったので、その話と、なんかすごく翻訳っていう、まだ読まなくちゃいけないんですけど。 ただ、その話をちょっと今お聞きしたから、ちょっと話を聞かせてもらって。
渡部:石牟礼さん自身がもう完全翻訳ですもんね。だって言葉を喋れない水俣病の人々の声を言葉にしてますからね。そこへの批判というのはあんまりないんですか?
横地:渡辺京二さんが、やっぱり石牟礼さんがモデルにしてる人に話聞いてみたら、石牟礼さんの創作じゃないかと。全然違うじゃないかって。でも内情は公にしちゃってるので、それでもなお伝わるものがあるのは、やっぱり化身、その化身とこの化けるに身の方ですか。ちょっと胎児性水俣病患者の子供たちに自分自ら化身してというか。
参加者S:憑依するということですかね。
横地:だと思うんですよね。
参加者S:受動的といえば憑依され能力が高いって憑依していって、自分で語るパペットみたいにするんじゃなくて、憑依される能力っていう風に考えた方が古井とは違いますけどね。憑依され能力だと思います。イタコっていうか。そっち系ですよ。どっちか言うとね。
この私小説っていうのが、この本の中で一番渡辺京二がそういうこと言ってたんだって、すごく初めて知って、すごく衝撃を受けたっていうか。チェルノブイリの祈りと並べて、違うよなぁ、これどういうスタンスでっていうのを言葉にできなかったのが、昨日の夜ようやく読んでですね、そこものすごくああそうかって腑に落ちました。でもチェルノブイリの祈りも僕は翻訳っていうか、限りなく文学なので、やっぱりそのあそこまで面実に多分喋ってるとも思えないんですよね。
でもほら、スタンスの方向性がちょっとこう、何枚か違うっていうね。それはつまり社会性っていうところがチェルノブイリの祈りにはやっぱあると思うんですよね。ところが、石牟礼さんのは社会性とか、あのお話のやつをこう、何て言うんですか、対してすると、それが壊れたところで、手放されたところで、こう垂直に行くっていう、その方向性の違いを昨日感じたってそういう話です。まああんまり硬くない話。硬くはない。硬くはないんですけど、これもういつも俺が考えて、つまり自分で喋るってなんだよってずっとこの 15年思ってて。俺、別に当事者でもねえし、放射能浴びても浴びてんでしょうけど、感じたこともないし、外側からカウンターでちょっと上がったぐらいの程度で俺関係ねえしなみたいに思う自分と、でもやっぱり福島磐城、磐城に私住んでるんですけど、やっぱ俺他人事として喋られると頭にくるっていうのはものすごくあるし、じゃあ自分なのかっていうと、いやいやいやみたいなところもありつつ、その誰に憑依されたらいいのかっていうと、自分に憑依されるっていうのもなんかちょっと違うし、そんな中で高橋洋充さんの話を伺った時っていうのは、一つのなんかこう、光が見えたような光って、その辛い話を聞いて光っていうのも失礼っちゃ失礼なんですけど、それはものすごく感じて。それは横地さんの本を昨夜読んだ時も同じく感じましたね。それはね。
渡部:よく言われるのは、自分の言葉で語ってるかどうかの違いっていうのがやっぱりあるのかな。 そのあたりどうかなと思って。洋充さんはもう完全に自分自身が自分に憑依してるとしか思えない語りだった。高村さんもそうですけど、僕はそういう言葉や声に敏感で、社会的に言われてることに自分の経験を重ねて喋ってる人の言葉には、全然響かないんですね。どっちかっていうと、そういう社会的文脈からから外れちゃったりとか、漏れちゃったりしてる人の言葉や声には敏感なんですけど、そのあたりも関係するのかなと思っています。
横地:哲学だとちょっと授業っぽくなるんですけど、自己理解、他者理解、世界理解、この 3つは相即していると言われていて、例えば渡部さんは先生として、その時にその子供たちは学生A、学生B、学生Cとして、で、そこのいる場所は教室として。急にクマが入ってきたら、そのクマに怯える人たちとして、中にその護身術が得意でクマを追い出してくれる学生さんAがいたら、自分たちを守ってくれる人として。で、教室は事件現場としてっていう意味だと、その憑依する語りとかっていう、その、なんだろう、それのもっと手前の世界理解、私の理解、他者理解は実はつながってるんだと。その中から言葉によって限定していくっていう作業があるっていうのは、哲学で言うんですよね。まあ、あの言葉にするっていうことは、その限定が強くなることだから、その限定の仕方が憑依する、憑依されるパターンで、その高橋さんみたいに自分で自分と一致して喋るパターンとかって出てくる。哲学だと一応ありはするんですけど。
参加者:今の話だと、教室の中のその役割関係ですよね。それがもう崩落したというか、ぶっ壊れちゃったのが水俣であり、福島なんですね。
横地:そうですね、社会性が全て壊れた中で、その役割存在論を超えて、その私って生身の私が出てきた時にどう語るのか。そうするとやっぱり高村さんの傷じゃないですけど、自分が傷になるのはやっぱり存在の感受性そのものになるしっていう、自分からも存在の響きを発するわけですし、そこに頼ったのがきっと土本監督とかのその「魂の翻訳を自分がやりたいんだ」っていう人たちなのかなっていう。私はだから、なんだろう。あまり言えないんですけど、いつも私が言えることじゃないんですけど、聞いて理解してると、そういうことなのかなっていう。
渡部:一方で、その翻訳を強いる流れがあって、つまり今の高校生語り部事業みたいなのして、これをとにかく伝承しなきゃいけないと。風化が課題だと。で、高校生語り部養成するんですけど、それはちょっと待てと言いたい。高校生にこれを例えばその事件現場に行って語らせる、説明させる。これ何だということですよね。 高村さんの話はさっきすごい関係するのかなと思ってますね。
高村:あれは何年前かな。3年前か。相双地区の高校 2年生の子が、いつまで私は被災者と呼ばれるんだと対話で言ってたんですよ。で、もうこんなに大熊は人が戻ってきて、もう住んでるじゃないか。でも、その子の親は東電の関係者だったよね。 だからもう言われたくないんですよ。でも、そのことは絶対口にしないんですよね。私は被災者じゃない。 だからなぜ私がそんな語り継ぐことをするんだっていうことを対話で言っていたのが、またすごく残っていて。でも、あなたはあなたの言葉で語るとみんなわかるんじゃないのかなって言ったら、どうして私がやらなきゃいけないんですか?って。だけど、私の友人たちは、大人が言っていることを理解して、大人が聞きたいことを言ってます。はっきり言ってるんですよ。はい、それが語り継ぎですね。すごい歪められてるなっても思ったし。
渡部:被災体験を高校生に翻訳させてるわけだけど、なんか、単なる情報伝達ですよね。気づいてるんだろうなって思うんですよね。
参加者:きっと語り部は、その権力筋からの圧力で、その社会性が最も強い歪め方っていうことなんですよね。だいたい既定路線のストーリーがあって、それ以外は風評加害とか名指されるし。
高村:私、風評、哀しいですって面と向かって言われました。
参加者:すみません、先生質問です。
横地:先生でも全然ないんですけど 笑。
参加者:一瞬。あの、その〈何か〉っていうのは、要するに言語化されない以前っていうと以後から見たことになっちゃう。遡及して見たことになっちゃうんですけど、その辺がものすごく難しい感じがしていて、話はそうだよなと思って読んだ後で、待てよみたいなことになって、〈何か〉と名指しえない〈何か〉とは言えない〈何か〉みたいな。これは無限遡及自分の中でちょっとしていってしまいそうなんだけど。
でもやっぱりエッジかなんか立ち上げてやっていく時には、やっぱりここでこの体験をどっかで共有したいっていう体験なのかなんか思いを共有したいっていうのは残ってるわけですよね。 その、その、なんていうと言語化するっていうことと、そのそれ以前の〈何か〉、僕ら、わだかまり、あの、高村さんがおっしゃったそのわだかまりみたいなところっていうか、そういうものとの関係で、こうなんか鬱々としながら、こう忘れてるんですけど、思い出すと、鬱々がこう扉を開けると出てきちゃうっていうんですが、その辺のその〈何か〉っていうのをどういうふうにこう、まあ本を読めってことなのかもしれないですけど。
横地:それは私も書いてなくて、先ほど申し上げたのが、やっぱりその傷の問題、その傷つきやすさ、ある種自分が傷そのものになることによって、その他者の存在の響きを感じてしまうと。それを言語化しろっていうのは大変難しいことで、言語化するってことは限定しちゃうことだから、受け取ったまんまを喋れないと。だから〈何か〉って言ってるぐらいの方が、受け取ってるんだけど、〈何か〉でとどめない。
参加者:受け取ってるって信号をとりあえず〈何か〉という風に言うみたいなことですか。なるほど。
横地:あと私も何も言えないですし、外側からっていう。〈何か〉を言語化できるのは、皆さんのそのやっぱり語り部の活動の時とかに、〈何か〉がちょっとその分節化されて、その言葉になっていくっていうのはあると思うんですけど、それは私は待ってないと。そのお話を伺うのを待つしかないですよね。
渡部:その翻訳って問題は、横地さんにね、恥ずかしくも引用されしていただいた文芸雑誌の「文鯨」に書いたことがあります。
横地:面白かったです。
渡部:雑誌に書いたんですけど、テーマが「叫びを翻訳する」でしてね。叫びが語りに変わる時みたいな感じで書いたんですけど、叫びを別に語りに変えなくてもいいんじゃないかなと、最近思い始めています。
横地:一応、この本の索引にありますけどね。「叫び」、結構長く引用しています。
渡部:「叫び」というと、そこで思い出す場面が 2つあります。一つは、仙台の哲学カフェをやっていた時にね、その対話が終わった瞬間、狂ったようにある女性が「署名をお願いします。本当に本当に被ばくから子供たち守りたいんです」って。2011年の割と早い時期でしたけど、その時にやっぱり場がシラケるわけじゃないけど、その女性の気持ちはわかるけど、場が一斉に引いていく感覚がりました。でも、そんなこと言ってないっていう切迫感を持ってきた女性はまさに僕は叫んでるとしか思えなかった。
もう一つは、2012年かな、震災・原発事故から2年目の時に、「3.11」をテーマにした哲学カフェの場で、ある女性がそれこそ狂ったようにというか、対話をしてるさなかに「なんで皆さんこんなに冷静でいられるんですか? なんで怒んないんですか? 安倍首相が駅前で喋ってるのに、なんでみんな怒ってないんですか?」みたいな感じで、けっこう涙ながらじゃないけど叫んでいました。完全にその場はドン引きしたんだけど、同時にみんなわかるんですよ、その気持ちがね。だけど、そういうものに皆、蓋をしていた時期に、そういう2人の女性の切迫した「叫び」っていうのが記憶にあります。
じゃあ、それが言葉になって語るっていう形になっていけばいいのかっていうと、その当時はそう書いてたんですけどね。最近はちょっと違うかなと思ってきています。「語り」に変えるところ、それ分化するって、「叫び」を飼いならしてコントロールしていってしまう過程かもしれないという風に思うわけです。
島貫:あんまりひどい状況でもう持ちきれなくて、その状況ゆえに叫ばされているわけですよね。その人はね、もうこんな大変なのにって、その大変なことに押しつぶされてるような感じで、救われたいと思ってギャッと言ってる。ここ〔=エチカ福島〕に来ればって思う。
渡部:そうそうそう。救われたいっていうのもあったんだろうし、共有したいっていうのもあったんだろうと思うけど、街頭で叫ぶわけにもいかないから、この場所に来ればってことで来た。
島貫:それはいわゆる魂の叫びで、これが届くか届かないかっていうより、ほんとこう、圧搾器にかけられてギャッて言ってるみたいな感じですよね。叫びっていうより。
高村さん:それこそ水俣の「悶え」。
渡部:ああ、そうですね。悶えてるって感じなんでしょうかね。
高村さん:悶えて、その悶えがどこに突破するのか。私は3月14日の夜に本当に悶えて悶えて、原発に向けて叫びがあって。
横地:なんか質問なんですけど、緒方正人さんの場合は狂いがあったとか転回があったとかいうじゃないですか。それで、渡部さんが叫びから語りじゃなくて、叫びのままでいいのじゃないかといったじゃないですか。私も〔今の渡部さんは〕薄々そうなんじゃないかなと思ってたんですけど、これは緒方さんの狂いと叫びは違うんですか? 転回って言った方がいいんですかね?
渡部:叫びではあっても転回ではないですよね。でも、緒方さんも根本から転回としか名づけようがない。宗教的な回心に近いかもしれない。例えば僕が明日からお坊さんになるみたいなことのぐらいの転回だと思うんですよ。それは話としては聞いたこともあるし、そういう経験をする人間はいるんだろうなと思うんだけど、じゃあ自分もそういう言葉を求めていながらできるかっていうと、なかなかできないというところですよね。
参加者:当事者じゃなければ狂えないですよね、きっと。もし僕らが共感共鳴して、それこそその人と一体化してできるんだったらするけども、どうしても理解しようとできるだけなんですよね。でも共感はできると、一緒に黙るしかない、あるいは一緒に叫ぶしかないっていうところに行くような気がする。だから、石牟礼道子さんも最初は、言いたいことが全部言えたかっていったら、言えていない。彼女は救いを不知火っていう能の形式に見出して、表現して一息ついたようなことがありましたけど、やっぱり表す言葉がないので。だからさっき違和感があるっていったのは、翻訳っていう言葉を使ってますけども、そうそう置き換える言葉がないんですよね。ないものに対する言葉に置き換えなくても、ないものに対するなんか身振りを翻訳にするんじゃないか。
参加者:そうすると、それを受けた行動を、まあ僕らはこうやってね、こういうことをやってるんだけど、それも一つの受け取ったものとして、やむにやまれずにやってることだと思うんだけど、そういう表現をするしかないんですよね。だからやっぱり道子さんも当事者ではなかったから、そっちにはなれないんですよね。でも、緒方さんはもうほぼ当事者ですので狂えたし、狂った末に言葉を見つけたんじゃなくて、彼の場合は息ついたところが石仏づくりだったのかなって思う。だから解決したわけじゃないけど、これをやるしかないかなっていう、まあ翻訳ってこういうことですね。
高村さん:当事者と当事者でない関係性であれば、その共感か黙るしかないとおっしゃったんですけど、杉本栄子さんが「水俣病は「のさり」であった」とおっしゃっていました。私はそれが理解できなかった。だけど、栄子さんの言葉の中に「他人は変えられないけれども、自分を変えることができる。だから私は話す」という言葉があって、私は資料館でそれを読んで、もう大泣きだったんですよ。私も同じ気持ちで語り部を始めたので。語り部じゃないんですけど、私の言葉で誰かの中にやっぱり傷という影響があったらいいなという。本当にちっちゃな一縷の望みだったのが、栄子さんも同じだったんだろうな。
だけど私は「原発はのさりだ」とは言えない。そこは違う。じゃあ、正人さんのように「東京電力は私である」か?それも納得することはできない。それは坂本しのぶさんと話をしていて「私は東京電力が憎いんです。でも、のさりだっていう人がいるんです。チッソは自分だっていう人がいるんです。私はいい子にならなきゃいけないんですか?」ってしのぶさんに言ったら、しのぶさんが「私は憎い。憎くていいんだ」って共感して下さったのが、すごく安堵したんですよ。あ、いいんだ、私でって。だから、それは多分当事者と非当事者の翻訳ではなくって感じ合った何かなのかな。
渡部:感じてしまったこと?
高村さん:そうです。そうです。だからシンパシーみたいなものが。だから私が水俣に通ってるっていうのがそこにあるのかなって思うんですね。
渡部:だから、それは「のさり」という言葉では言えないかもしれないけど、受け取ってしまった。
高村さん:そうです、そうです。
参加者:僕も水俣を知った時はそれと同じ。こんなに何にも知らないことだけど、こんなとんでもないことが起きたのか。そしたらこれはもう日本中で力を挙げてこれを何とかするためにものをしなきゃいけないだろうと最初はみんな思ってたから、水俣大学を作ろうっていう話になったわけですよ。ところが、それはね、潰れてしまったわけだから、なくなってしまったわけじゃない。今までずっとまだ残っているから、それを話し続けているっていうことだよね。
参加者A:通じるものはいっぱいいっぱいあるよね。この原発もそうだし、あちこちにいっぱいこういう状態のまま埋もれさせられてしまうというのかなんかね。ここが不条理だね、本当に。山本昌さんね、言ってましたよね。水俣も福島も沖縄も、よく国策と言われて不条理に強いたままになってるのがたくさんあるんだっていうふうに言ってましたね。なんか水俣に私は三泊四日ぐらいしか行ったことなくて、去年の夏頃行ったんですけども、魂の翻訳というところに当てはまるかどうかわかんないけど、水俣のあの空間自体がこう、なんだろう、その翻訳の先を生み出しているあの雰囲気というか、空間というんですかね、それはちょっとなんとなく感じて、なんか行ってお会いしたり、風景見たり、なんか食べたりしたものすべてがなんかこう、懐かしさだったり、なんかこう、「水俣病っていうネガティブな歴史がそうさせてるのか、もともと持ってるポテンシャルなのかわからないけれども、そのそこにいるのはすごくある意味居心地がいいというか、救われる感じがするんですよね、あの街が。それを感じて、言葉では翻訳されてないのかもしれないけど、なんかこの空間として、その翻訳されたものがなんかそこそこに形として残ってるというか、つながってるような気はちょっとしましたね。また行ってみたいなって思います。さっき高村さんがおっしゃったディープじゃない水俣から入ると、ディープなこと入るとだいぶ違うっておっしゃってた。 ディープじゃない水俣から入ると、その辺もうちょっと聞きたい。
高村さん:私は今回、水俣へ何をしに行ったかというと、SUPをしに行ったんですよ。太平洋はサーフィンはできるけど、SUPはできないじゃないですか。サーフィンやると思ったら猪苗代湖だけなんだけど、猪苗代湖って私にとっては海じゃないので。だからSUPがしたいなっていう。あとはちょっとダイビングして、それは後々なんですけど、結局ここの海には私入れないんですよ。やっぱり怖くて。津波も見てますし、セシウムのこともトリチウムのこともあって。だから憧れもあって。水俣。静かな海。
参加者:静かな内海ってやつだよね。
高村さん:だけど、あそこにはまだ仕掛け網の、もう今はないかもしれないけれども、その痕跡がまだあるといいます。で、ちょっと別の話なんですけど、その杉本栄子さんの一番下の息子さん、稔さん、みーちゃんっていうんですけど、みーちゃんに私年前に船乗せてもらって、あの人絶対船に乗せないんですよ、お客さんとか。で、乗せてもらった時に初めてお母さんの話をしてくださったんですよ。見ろって。鹿児島から出水はコンビナートがあって進んでいるだろうって。でも、水俣は原生林だって。なんでかわかるか? みんな水俣が怖かったからみんなここに来なかった。だからここは守られたと。うちの母ちゃんはそれを「のさり」って言ってた。
参加者:それは事故の後、公害の後にも来なくなったってことですか?
高村さん:そうです。もう水俣病が怖い。伝染病かもしれない、風土病かもしれないっていうことが、結局医療が健康調査も何もなく、そのわからないまま、その水俣病だけが進んでいってしまった時に、誰も来なくなって、ここを何とかしようとする人も来なかった。 だからここは守られたんだっていう言い方で、みのりさんがおっしゃった時に、あ、そういう見方をしていいなんだなって。 だから先ほどおっしゃったように、いろんな方たちのその考え方一つで見方が違うんだなっていうふうに。
でも、実際はみのるさんじゃなくて、もう一人のヤウチのひーちゃんも実は認定をされてないというのです。私は、もうお付き合い始めて13年ですけど、初めてこの前知ったんですよ。だからひーちゃんは絶対水俣病の話をしないんですよ。自分はそこから弾かれたから。だから本当に奥深い憎しみとか悲しみがあるんだなと。
渡部:洋充さんを翻訳するわけじゃないですけども、彼はやっぱりどんどんどんどん浪江も双葉もどんどんどんどん変わってっちゃっていて、だけどもう元々住んでいた俺たちの話なんか誰も聞きやしないよね。だけど、そろそろ水俣客でどんどんどんどん産業化され、最先端を入っていく産業の喧伝をされ、だけど自分での言葉が故郷に対する思いとか、そういうのを全部抜きにして語ることに対する恨み節をずっと最後までね、語っていた。最後の最後までそれは語っていましたね。だから本当に隙間にどんどんどんどん落ち込んでいく。 そういったたちの話で。 水俣の話ばかり。 水俣とか全然行ったこともないという。
参加者:すごい、こう聞いてると、なんていうか触発されるっていうか、知らないことも多いので、皆さんのいろんな考え方を聞けて良かったなと思いますし、私もあの 3.11があって、自分の集合住宅住んでたんですけども、自分の部屋が4畳半ぐらいの小さな部屋与えられてというか、自分で机を置いてそこを使ってたんですけど、本棚がバンバン倒れたりなんかして。で、とりあえずそこを本棚だけ上げて寝れるスペースだけ作って、あと全然手がつけられないんですよ、ずっと片付けるのが。それもずっと何年もそのままの状態になってて、そういうなんか心の奥底にあるものを、こう、こういうお話を聞きながら、少しはこう溶かすことできるのかなと思って、今日は参加させていただいたんですけども、ありがとうございます。
渡部:いやー、大きい地震があの後に何回かあったじゃないですか。その地震で部屋がなんか壊れるたびにもなんか結構しばらくなんか手つけられない。手をつける気になれないというのは、ほんとによく理由わかんないんですけど、そういうのはありましたね。
参加者:いや、難しい話で。私も水俣には行ったことがないので、行ってみたいなと思います。苦海浄土はすごく読みたくなる。感激したものは多いですけど、今回やっぱり参加したのは、最近やっぱり全然私も原発のこととか考えないし、話すことがないので、なんか今年の 3.11 も何のイベントにも参加しなかったんで、だんだん毎年そういうイベントもなんか下火になってきてるなっていう感じがするし、まあ今日苦海とエチカ、ごめんなさい、苦海のエチカで両方苦海、水俣のことと福島のことを両方皆さんのお話聞いて聞いて、ちょっとはまたなんかあの頃のことを思い出そうかなと思って来ました。でも難しいです。語る言葉が。さっきの何でしたっけ? ヴルネラヴィリティってこれ(スマホの翻訳)ですか?
横地:そうですね。傷つきやすさですね。
参加者:このパッションっていうのは、パッシブっていうのはパッシブ、受動態っていうこと?
横地:そうですね。はい。形容詞の方ですね。パッションの受け身。受難とか、パッシブはなんだろう、それこそ自分自身傷になるみたいな。とりあえず哲学にパッシブはあんまりないですね。ヴルネラビリティもともとフランス語で入って、パッシビリティでつながってるので、あるといえばあるんですけど、古井さんの用語ですかね、「パッシブになる」のは。受動性の方が合ってると思います。あの容器のようですよ。
参加者:このこのパッシブは何語なんですか?
横地:古井さんはドイツ文学者だったんですけど、その後で芥川賞を取ったので、まあ大江健三郎さんと喋ってる。大江健三郎さんも共通言語として英語で喋ってるみたいですけど。
渡部:この本の中で横地さんが割とそのAさんの時間止まってる論みたいなのに注目されてたんですけども、どっちが近いですかね。
横地:ああ、私、さっきお話伺ってなんとなくわかったんですけど。 ああ、じゃあ答え合わせという言い方失礼ですけど、いいですか? なんか、やっぱりその魂の翻訳を生む空間なんだ、この水俣はって。そのいらして感じ取られたと。だから、やっぱ、あの、一人称の語りを、その福島についての一人称の語りではなく、水俣についての一人称の語りでも、同じ水準で、そのAさんの時間、ちょっと動き出してるんじゃないかなとは思ったんですよ。勝手にすいません。で、この本に書いてから、Aさんが変わったよなと感じました。〔【エチカ福島】13年目の『たゆたいながら』・記録、2024年03月12日に〕お話を伺った時と〔エチカ福島@水俣巡検記・報告座談会、2025年08月24日に〕水俣の報告を書いたのと。
エチカ福島メンバー参加者A:変わったと思います。今も高村さんの話とか聞いて、水俣はそういうところだったなって改めて思いましたけどね。 やっぱり百聞は一見にしかずですよね。行くと違うなって思いますけど。いや、あんまりなんだろう、あの、わかんないですね、あの本を読んだり映像を見たりしても、なんかあんまり頭良くないからわかんないですよ。 そういうところに行ってみると一発でわかるっていう。頭で受け止めるんじゃなくて、魂で受け取る。
横地:水俣って、やっぱり今でもその水俣病に対する差別みたいなものもあるんで、あんまり話せない、被爆者のと同じようにチッソに勤めてる人もいるから、親がそういう〔場合〕学校でも気楽にあんまり話しにくいみたいな、ちょっと言われてますけど、やっぱりそういう緊張感というか、ピリピリ感みたいなものも行くと感じたりするんですか?
[横地付記:エチカ福島のみなさんは、2025年に水俣を訪問し、論考を記す。これは「分断された地域コミュニティの「対立・葛藤変容」に向けた分析とプログラムの提示」(研究代表・石原明子、日本学術振興会・科学研究費助成事業、基盤研究(B):23K20062)の研究成果の一部である。エチカ福島メンバーの論考はMinamata Impactで読めます。https://minamata-impact.com/]
参加者A:もちろんほら、熊本大学の〔石原明子〕先生のアテンドで行きましたので、いろんな方に会わせていただきました。普通にただ観光で行ったのとはやっぱり会う方とかお話を聞ける方違いましたから、そういう方々の話はただの観光旅行では聞けないでしょうからね。そこは違ったと思いますけど、差別とかなんとかっていうのは今も続いてますよって言っている人ももちろんいるし、そうじゃない、もうそういう話はしないでくれっていう人もいるし、いろんな人たちが混在してますよね、今もね。
エチカ福島メンバー参加者:市長選の話なんかもあったところで、やっぱりもういいじゃないかと。もう水俣〔病〕の名前やめようという話も一方ではあったりとか、それから隣の市でやるパンフレットがコロナの文章を書き換えたので、感染症みたいに市民に熊本県内ですよ。市民に渡すパンフレットに、その感染症であるかのように広げちゃったみたいな。風化っていうのと、もう終わりにしたいみたいなものと、やっぱりそうじゃないっていう人と、それがやっぱり分断は未だにその熱い戦いではない感じであるようには伺ってきました。
参加者:そういう面で、やっぱり放射能、福島とすごく似ていて、なんか私も喋りたいんだけど喋れないし。それこそ学校の生徒に対しても、その当時の〈3.11〉のことをしたいんですけど、話してないですね。なんかどうやって。
参加者:なぜ話せない?
参加者:きっかけがないし、私そもそも英語の教員なので、英語の授業であるんですけど、政治の話とか時々するんですけど、なんかやっぱり原発の話は目の前にいる彼らにとっては本当に全然わかんないんだろうなと思うと、自分自身が喋れなくなっちゃうっていうのはありますよね。私は一昨年、英語で私が書いた原稿をALTの先生に直してもらうので、そしたら原発に関する英語って難しいんですね。もう発音からしてこれなんて喋んですか?みたいな、もう訛っていいですか?みたいな感じで始めたんですけど、そういうところをなんか子供たちがこれはこういう言語だよみたいなこと言ってくれると、子供たちも耳から入っていくのかななんていうのを思ったんですね。はい。
渡部:でもやっぱ力は要りますね。僕はね、Sさんと同僚でね、去年の月から日のことを高村さんに来て語り部の講演をしてもらったり、俺伝の館長さん来てもらったり、教え子に来て子どもの頃の被災体験を喋ってもらえたのは、やっぱり同僚に一人でも賛同してくれる人がいたからなんです。一人でもいると全然違う。あと、やっぱ洋充さんの存在がやっぱり大きくて、職場に何人か仲間がいないと、俺もちょっと一人じゃできない。原発の話をやんなきゃいけないって、せいぜい授業で喋るぐらいしかできないね。
参加者S:なんかちょっと攻めましたね。まあね。あとはこう一人称で喋るのはできるんです。「俺はこういう被災したから反対だ」と、「ふざけんなって思う」っていうことは、本当の単なる一人称なら言えるんです。 それはいっぱい言ってきました。ただ、それはホリゾントに流れていくバックグラウンドミュージックみたいな感じで、弾は、魂にはというか、届かないようにしか喋れないみたいな。あーわかります、この現場の感じ? あまり〔も多くの学生たちに〕届いて、そんな〔私が〕一人でそんな洗脳していいのかどうか問題みたいな感じが。だから一人か二人に届く。あの中村晋さんっていう、あの映画「ホールディング・リアット」とのコラボで俳句書かれる中村さんが、一人か二人に教室届けばいいんじゃないかっていう、そういう感じでなんか喋るしかないっていうか。
あの、何て言うんですか、もちろん、さっきの水俣をいろいろな形で味わうっていうか、私も昨日ちょうどお茶が届いたんですけど、水俣の松本さんというところの桜の園、いつも飲ませていただいて、この値段でこのクオリティはないと思って、無農薬の新茶がまだ残ってるって、それ届いたんですけど、やっぱり水俣に行って、いろいろ大畑さんの話とか、なんかたくさんのお話を聞くと同時に、美味しいものを食べたりとか、あと柑橘類を取り寄せて食べたりとかしていると、それもそういう自然風土が前からあったっていうことなんだけれども、水俣病事件があってから、そのむしろ無農薬とか自然のものというものを大事にするというのは、70年間の歴史の中で積み重なってきて、だから僕が行った時に、うわぁ大変だと当事者の話を聞いて震えて帰ってくるっていうだけじゃないものとして、トータルに水俣っていうものを受け止めたっていう感じがありましたって。単なる感想ですけど、そのハイブリッドっつうか、その積み重ねられたって、自然と事件と、その後の営みっていうのがミックスされて美味しかったっていう面もあったっていう。
参加者A:決して一つじゃないんですよね。皆さん言ってることもね、決して一つじゃないし、決してまとまって何かみんな奇声を発してるわけじゃなくて、みんなそれぞれにそれぞれのことをしっかり主張してたりするんですよね。「緒方さんの石仏なんかも違うと思いますけどね」ってガイドしてくれる人がいったりする。裁判をガリガリやってんだから、これじゃない、こんなの慰霊とは言わないけれども、そういう感じで淡々と、いや、これは違うと思いますかなんか言って通り過ぎていく人にガイドしてもらったりとか、そういうところはああいうのなんだなみたいな。
横地:Aさんのお話を聞いてると、受け取る人もそれぞれだし、ただ、Aさんがおっしゃるように、やっぱり水俣という空間が広がっている。そうですね、きっと水俣史アプリオリ、水俣病的アプリオリと言えるとしたら、その空間のところなんですよね。だから意見が全然違ってよくて、でもその空間だから違ったことも言えるし、重なったことも言えるしって。
で、すみません、ちょっと硬く言うと存在論的アプリオリっていうんですよ、その空間。そのこの空間だと、Aさんはこうおっしゃる。Sさんがおっしゃるほうと重なることもあるし、違うこともあるけど、水俣っていう空間だから言えるっていうこと自体がその存在論的アプリオリで、空間を指す。まあ哲学で言うとどうしようもないですけど。
渡部:時間と空間という問題ですね。僕は、水俣でそういう人たちに出会わせていただいたので、思想や言葉がすごく豊饒な土地だというのは、2017年に初めて訪問した時にすごく感じたんですけど、他方で水俣の高校の先生の話を聞かせられると、もう水俣病の学習をすることはもういい加減にしてくれって、生徒の方も感じているし、授業をやる人たちも少なくなってるし、実はそれは水俣に住んでいる教員が少ないないことが一番大きいんじゃないかっていう話ね。住んでいない人たち、やっぱり通いなんですね。で、あの、何て言うか、僕らが出会った人たちの言葉だけ拾っていくと、すごくその水俣って何か特別感すごくあるし、もちろん特別な言葉しかないんだけど、でもやっぱり他方で水俣の人たちには石牟礼道子の本が読まれていないとか。読まれてないんですよ。
参加者:知らなかった。
渡部:そうなんです。だから、そのなんかパラレルワールドみたいな部分をやっぱりどう考えるかっていうのは問題で。水俣だからこうなんかみんなああいういろんな意見があって、言葉も豊饒でみたいなのは、やっぱり、どこか一面的なんだよね。
参加者:パラレルでその一面だっていうことが素晴らしいですよね。
参加者:『苦海浄土』が読まれてないっていうのは、あえて読まない?読みたくないから読まないんですか?
S:やっぱりチッソ関係者もやっぱりいっぱいいるから。チッソの方はやっぱり読まないみたいですね。だからそのチッソの方たちと、あとやっぱり患者の方とかの本当に狭い町の中で、こう本当に入れ回しっていうのが、その、そういう街なのかな。
渡部:だから、授業をやっても 理系っぽい探究学習しかしない。つまり水俣の水銀はそんなに危険じゃないですよという調べ学習みたいな。それは福島の放射線量は安全ですよと高校生に言わせたい放射線教育と同じみたいな。なんかそれちょっと感じました。
でも、伝承学習になってしまうとお腹いっぱいになっちゃうんですよね。もうね、つまんない。だからパラレルワールドでよくて、子供たちに何か喋った時に弾が当たらないように喋れって〔Sさんが〕言ったじゃないですか。それ本当にすごく大事なことで、その時は当たらないけど、そのうちの何年か後に当たった、時限爆弾みたいに爆発する子がいて。
高村さん:それは期待してますよね。喋るからには。
参加者:そこで当たっちゃうと問題になるから、その当たった時限爆弾がその子たちが大人になった時に爆発するように埋め込んでおいて、その子たちがそう思った時に寄る場所が福島に作られてるといいなって思うんですよね。
高村さん:新潟水俣病を学んだ大学生が学んだだけだった。卒業してから「阿賀に生きる会」っていうのを、今の若い子が立ち上げたんです。
渡部:この前、浪江の映画上映会で、S君っていう東北大の大学院生が環境アクティビストとして、グレタ・トゥンベリみたいなことをやってて、彼のドキュメンタリーができて、それを観に行ったんですね。で、S君に高校時代とか中学校時代に何かそういう社会的な問題意識とか何かあったの? って聞いたら全くないと答えたんです。で、なんでこんなことできたの? って聞いたら、大学に行ってフードバンクの活動にちょっと誘われて行ってみたら、そこでやってる弁護士さんとか先輩たちのその熱い熱さに絆されたというんですね。
参加者:だから、出会うしかないのかな。
参加者:全員の魂に響いたら大変なことになる(笑)
参加者S:それはもう、それはやばい。神様いることになっちゃうから(笑)
渡部:Aさん、この本の最初にさ、「私自身、〈3.11〉が近づくからという理由だけじゃなくて、あの日、福島に逃げ惑っていた自分を思い出します。 今現在も同じ思いでいるんだろうな」という言葉が引用されてるじゃないですか。これはもう変わったってことなんですか?
Aさん:なんか、止まってどうしていいかわかんなかった。止まってるってことは、どうしていいかわかんなくて、とどまっていたわけですけども、水俣に行ったら、あ、こういう風になっていけばいいんだなっていう、一つのモデルケースみたいな雰囲気を感じましたよね。
渡部:じゃあ今現在も同じ思いけど、そこから変わった?
参加者A:かもしれないね。 言われてみればですけど。ああ、こういう風になっていくんだ、こういう風にソフィスティケートされていくんだなとか、ああ、こういう風にみんなじべじべた忘れないでいるんだなとか、いろんなことはないですけど、そういうのは感じはしましたよね。
渡部:この辺はどうなんですか?皆さん。
高村さん:私自身も私は一番最初に水俣入ったのは「もやい直し」からなんですよ。 地域の分断、分裂、どうやったらできるんだろうと。私は個人としてしか動けないんだけれども、じゃあもうやり直しって何?っていうので単純に入っただけなんですけど、結局もやし直しはないんだよねって言われた時に、はい? だってもう、水俣イコールもやし直しじゃないですかって思ったら、一人一人が変わらなきゃ無理でしょということになって。一人一人がその前のその前の結局もやし直しなんかないよっていう、一人一人が変わんない限りは無理なんだからっていうので、一人一人が変わるって。水俣でもまだ答えはないよねって。それをずっと私たちも考えてるんだよって言われて。 え? 70年って?と思って。 それこそ西田敏行さんの伝承館のシアターで「俺の目の暗いうちには廃炉になんねべな」って。そのことだよなって思って。私が生きてるうちには絶対廃炉になんないから。ずっと、もうずっと私はカスかだっているんだなと思ってて。 私の語りではカスカダリなだけですよ。
参加者:カスカダリは毒舌を吐く。毒舌を吐くっていう意味。要するに悪口っていうか。いや、それぐらいの調子でいいと思いますけどね。
参加者:話変えて申し訳ないけど、もやい直しって、あれって人間関係のことを基本的に言ってると思うんですけど、私今回思ってるのは、自然と人間とのもやい直しが必要なんだろうなって。それは水俣でも一生懸命やっているけれども、なかなか難しくて、コンクリートで埋めたけど、なんかそれも今ちょっとだいぶ何そのコンクリート盛り上がってきてなんかだとかいうのもあるし。なんかその福島もそれが一番難しいんだろうなって。人間同士は人間、そのうち死んじゃって世代が入れ替わっていくだろうけど、自然、自然は許してくれないだろうなっていう。
参加者:魂の翻訳は可能かっていう、私は可能だと思いました。それはまさに創作者じゃない第三者が何か本を書いて出すことで始まるんだなと思うんです。私の〈3.11〉を他の人が書いたのを見て、ふざけんなよと思うこといっぱいあるんです。私じゃねえのに。その気づきが自分も何者かわかんなくて。その気づきとか怒りがまさに自分の翻訳につながって、それを他の人が書いてくれなきゃ気づかなかったことなんですが、自分はこういうところに怒りを感じるんだっていうのがわかって、それが翻訳なのかなって今日聞いてわかったので。 第三者が書くと多分文句言われたりすると思うんですけど、それは気にしないか、覚悟の上で出すしかないんですけど、それが翻訳の始まりかなって今日思ったのと、あと今日救われたっていうのは、この国と東電に対して怒りしかないんですよね。でも、生徒が言ってくるんですよ。「先生、世界平和とか言っていますけど、その企業、東電、国を許さなければ平和を語る資格がないんじゃないですか? 」みたいな。
そう言ってきて、それをずっと悩んでたんですよ。だけど、水俣にいて怒ったままでいいと聞いて、ああ、それでよかったなって。で、伝承が今歪められて、私の中の伝承、やっぱり子供にこのもやもやした怒りを引き継ぎたいんですよ。でも直接俺は東電怒っているからお前も怒れ、そんな押し付けができないじゃないですか。子供は知らないし。でも身近にニュースとか見ながらこうこうだよねとか言ってると、だんだん洗脳されてきて、選挙権持ったんですけど、絶対与党には入れないわけですね。あ、しめしめ引き継いできたと。それが今の喜びと。洋充さんの葬式出て、やっぱり自分の死を意識して、3つしか(年齢が)違いないので、我々と伝承をどうやってしようかっていうのを今考えてて、一人二人って言ってたけど、やっぱり子供なんですよ。2人いるので。水俣でいろいろ書いたノートとかは見せてないんですけど、取ってるんですよ。私が死んだ後、子供が発見して遺品整理して発見して、お父さんこんなに怒ってたんだっていうのを引き継いでもらいたいな。今の夢。でもだんだん洗脳されてきたので、この作戦はこの怒りを引き継ぐ、モヤモヤを引き継ぐ作戦はうまくいってるなって。今日はこの 2時間、すごい自分が肯定された感じで、とても勉強になって嬉しかったです。ありがとうございます。
参加者S:すいません。最後ちょっと話伝えて終わりたいんですけど、あの、すごく文学的だなっていう風にこの本思いました。失礼かもしれない。 「横地は」って出てくるところが「うわっ!出てきた」みたいな感じがあって。横地はこれは言えないみたいなところがありつつ、でも粘るじゃないですか。 しかししかし、これはしかしこれ違うよねって話あんまりしないんですよね。 しかしで積み重ねてバームクーヘンつーかなんつーですか、こうミルクレープみたいになりながら、そして時折横地はってこう出てきつつ、その何か何かには触れないんだけどっていうのは、その横地さんがやっぱりその受容体として様々な。だから聞きたいことは神様がいるのといないのとの違いもあるし、それから九鬼周造のそれとこの水俣のそれは違うアグスティヌスとか聞きたい。もう生徒として聞きたいことはいっぱいあるんですけど、それはもう聞ききれないんだけれども、そういうものに触れながら、脇に行って触れながら、この苦悩の話を、道行きをずっとね、同業二人じゃないですけど、読者と一緒に横地さんがこう歩んでいってくれてるっていう、そういう文学作品的に読みました。以上です。感謝。