【ゲスト】藍原寛子さん
【課題図書】『震災後を生きる13人 フクシマ、能登、』(婦人之友社)※各自でご購入下さい
【日 時】2026年9月5日(土)※17時~19時
【会 場】未定(決まり次第ご案内します)
【参加申込】メッセージへご氏名を記入してお申込み下さい
【参加費】会場費が発生する場合は、人数に応じてご負担いただきます
【開催趣旨】 ※各自でご購入下さい
【開催趣旨】

福島在住のジャーナリスト・藍原寛子さんが著された『震災後を生きる13人 フクシマ、能登、』を、著者と一緒に読む会を開催します。
藍原さんのこれまでの取材の中から編まれた一冊です。
この13人の中にはいつもお世話になっているフォーラム福島支配人・阿部泰宏さんもいらっしゃいます。
また、残念ながら2021年に惜しまれながら永眠された詩人・若松丈太郎さんもいらっしゃいます。
震災・原発事故をめぐるひとり一人の物語は、その個別性にこそ誰をも共鳴させる普遍性が込められています。
藍原さんが直接面会され話されたご経験などに耳を傾けながら、個々の物語を拾い集めることの意味を参加者の皆さんで語り合いたいと思います。
本書の内容については出版元の婦人之友社の紹介記事をご参照ください。

https://www.fujinnotomo.co.jp/book/essay/b2412/

 

【ゲスト】松谷彰夫 氏(元福島県立高校社会科教諭)
【課題図書】『裁かれなかった原発神話―福島第二原発訴訟の記録』(かもがわ出版) ※各自でご購入下さい
【日 時】2026年7月18日(土)※14時~16時
【会 場】福島市写真美術館多目的ホール(福島市森合町11番36号)
【参加申込】メッセージへご氏名を記入してお申込み下さい
【参加費】会場費が発生する場合は、人数に応じてご負担いただきます(200~300円程度)
【開催趣旨】

本書は、松谷彰夫氏が2011年の福島第一原発事故が起こる36年も前から、原発の安全性に疑問を抱き、設置許可の取り消しを求めて国と闘った住民たちの記録をまとめたものです。
地裁、高裁、最高裁と、いずれも司法は住民の訴えを退けましたが、その訴えはさながら旧約聖書のノアのごとく「3・11」の原発事故を予言してしまいました。
松谷氏は長年にわたり福島県立高校の教諭として教壇に立ち、多くの教え子や後輩たちに大きな影響を与えてきた伝説的な社会科教師です。
その著者をゲストに迎え、共に語らう機会を企画しました。
多くの皆様のご参加をお待ちしております。

 

      

 

【ゲスト】松谷 満 氏(中京大学現代社会学部教授)
【課題図書】『「右派市民」と日本政治』(朝日新書)

     
 ※各自でご購入下さい
【日 時】2026年8月22日(土)14時~16時
【会 場】福島市写真美術館多目的ホール(福島市森合町11番36号)

 

 


【参加申込】メッセージへご氏名を記入してお申込み下さい
【参加費】会場費が発生する場合は、人数に応じてご負担いただきます(200~300円程度)
【開催趣旨】

「極右」政党の席捲は、欧州においてそれほど新しい社会現象ではありませんが、それでも2024年6月の欧州議会選挙においてEU加盟各国で極右や右派が大きく勢力を拡大したこと衝撃的な出来事でした。
そのことが外国人差別とテロの恐怖を増幅させながら、社会の分断を深刻化させている問題は、現在もなお深刻です。
翻って日本社会をみれば、2025年の衆院選におけるポピュリズムによる右派政党の躍進や政権の誕生は、事情は異なれ、こうした欧州の社会現象とパラレルに起きているものとみることができます。
加えて、2026年1月の米国・トランプ政権によるヴェネズエラ攻撃、3月のイラン攻撃といった暴挙が、国際秩序を破壊するさなか、こうした右傾化がどのような社会現象を巻き起こすのかは予断を許しません。
しかし、そうした時期であるからこそ「右派」とは何か?それを支持する市民層の心性とは何かを考える必要があります。
このたび、『「右派市民」と日本政治』(朝日新書)を出版された松谷満氏をゲストに迎えて、同書を手がかりに以上の問題を語り合う企画を立てました。
松谷氏は福島高校出身で現在、中京大学現代社会学部で政治社会学・社会意識論を専門とされる研究者です。
本書は綿密な社会調査データの裏付けをもとに「右派市民」の意識背景を論じた本です。福島市内の書店での売り上げも大きく、この問題に対する市井の関心の高さがうかがえます。
ぜひ、色々なご意見の方々のご参加を得て、議論を盛り上げたいと思いますので、どなたでも遠慮なくご参加下さることをお待ちしております。

【日時】2026年6月27日(土)17時~19時
【会場】本と喫茶コトウ(福島市大町9-21 ニューヤブウチビル2階)
【会場費】800円(飲み物代込み)
【申込】メッセージへご氏名を記入してお申込み下さい。
【駐車場について】駐車場はありません。近隣の有料パーキングをご利用下さい。

 エチカ福島は、2013年から〈3.11〉という出来事を考えるための対話活動に取り組んできました。
 ここ数年は水俣とのつながりができ、当地からゲストを招いたり、福島と水俣をつなぐパネル企画展を開催してきました。昨夏には、メンバー全員で水俣を巡検する機会にも恵まれました。
 その流れで、今回は弘前大学の哲学研究者である横地徳広氏が執筆された『苦海のエチカ』を読む会を企画させていただきます。
本書第7章には「福島の物語論――魂の翻訳は可能か」とあり、エチカ福島にふれる箇所もあります。
 水俣から福島へ、福島から水俣へと、その往還する思考を読みあいながら思考を深める機会にしたいと思います.

本書を読まずに話を聞いているだけの参加もOKです。

ただお喋りに参加したいという理由での参加もOKです。

「3.11」や水俣-福島の何かにふれたいという方であれば、お申込みの上、どしどしご参加ください。


【勁草書房の本書案内】https://www.keisoshobo.co.jp/book/b10158535.html
水俣病に苦しむ子どもたちと親たちとのあいだ、魂の底なき深みで交わされる慈しみ。「魂の翻訳者」ともいえる石牟礼道子、ユージン・スミス、緒方正人などの言葉を通じ、わたしたちはその深淵で、子どもたち一人ひとり、それぞれにとりかえのきかない〈あなた〉であることに秘められた善美を受けとめる。そこにある哲学的問いの探求。
【庭文庫 泊まれる(古)本屋)の本書案内】
https://x.com/niwabunko/status/2033405335244083216

 

     

 本会は、エチカ福島の第24回目の活動として開催され、東日本大震災から15年を迎える節目に「子ども世代は3.11をいかに経験したのか」をテーマとして設定された。司会の渡部により、当時小学校入学直前だった3名の大学3年生(A氏、B氏、C氏)を招いて開催された。  

 渡部は背景説明において、自身が高校2年生の担任として総合的な学習の時間で3.11をテーマに取り上げた際の経験を共有した。卒業後にその授業実践や【3.11】に関する思いについて3名の学生からレポートを受け取り、予想以上に深い内容が書かれていたことに驚かされたという。  

 A氏は浪江町請戸出身で、津波により家が土台しか残らない被害を受けた。現在東京の大学に通う彼は、メディアの震災報道に対する強い批判を展開した。特に3月11日前後にのみ福島を取り上げる東京のメディアの姿勢を「アリバイのため」と表現し、地元の文化が全く紹介されない現状を問題視した。また、能登半島地震の復旧状況を見て、福島の経験が全く活かされていないことに失望を表明した。  

 教育面では、A氏は高校時代の受験偏重教育に疑問を呈し、「命があるからこそ受験ができる」という当たり前のことが教育現場で軽視されていると指摘した。15年前の経験を知った人間として、防災教育の重要性を強調し、地域ごとの具体的な災害リスクを教える必要性を訴えた。就職活動を控えたA氏は、自分が批判してきた「嫌な大人」になってしまうのではないかという葛藤を率直に語った。メディア業界への就職を考えているが、既存の社会システムの再生産に加担することへの不安を表明した。  

 B氏は福島市在住で、父親が小学校教員として県外で避難児童の支援に従事したため、小学2-4年生の間は父親と離れて生活した経験を持つ。当時は父親の異動理由が分からず寂しい思いをしたが、高校の探究学習を通じて父親の仕事の意義を理解できたという。B氏は自身の勉強不足を認めつつ、震災について語ることの難しさを表現した。父親が被災者でありながら支援者でもあったため、家庭内でも軽々しく話題にできない雰囲気があったと振り返った。現在塾講師として働く中で、震災を知らない子どもたちが増えていることを実感し、どのように伝えていくべきか悩んでいると述べた。  

 C氏は東京の大学で社会学を学び、卒業論文で震災後の家族間での語りについて研究している。県外の学生との交流を通じて、福島の原発事故に対する認知度の低さを痛感したという。C氏は震災時に母親がスーパーで泣き崩れた体験を通じて、「大人が揺るぎないもの」という認識が変わったと語った。その後の学校生活で、教員たちも道しるべがない中で教育に取り組んでいることを理解するようになったという。  

 3名に共通するのは、震災について「語らない」「語れない」状況が続いてきたことへの問題意識である。C氏は特に、被災地の子どもたちが「復興の象徴」として扱われることへの違和感を表明し、家族間でも話せないことが多いと指摘した。  

 参加者からは様々な質問や感想が寄せられた。教員からは予定調和的な震災教育への反省や、命を守ることを最優先とした教育の必要性について議論があった。また、語ることの重要性と同時に、語ることの困難さについても深い議論が交わされた。  

会議の最後に、渡部個人的な体験として、避難所で出会った小学生の親子の話を語り、原発を容認してきた世代として「とんでもないことをしてしまった」という思いを表明した。その子と同じ年齢である3人を含めた担任学年への特別な思いと、今回の対話の意義を強調して会議を締めくくった。  

 

【チャプター】

## 開会挨拶とエチカ福島の活動紹介 

 島貫氏による開会挨拶で、エチカ福島の4名(島貫、渡部、深瀬、荒川)による13年間の活動について紹介された。今回で24回目を迎え、福島の中でどんな声が聞けるか、どんな声を出していけるかを考え続けてきた活動であることが説明された。

 

## 司会による背景説明と企画の経緯‎   

 渡部が司会として、今回のテーマ「子ども世代は3.11をいかに経験したのか」の設定背景を詳細に説明した。3名の大学3年生は震災当時小学校入学直前で、渡部が高校2年生の担任時に総合的な学習で3.11を扱った際の生徒たちであった。当時の授業実施には多くの困難があり、浜通りの被災地出身教員の言葉や被災生徒への配慮など、リスクを伴う取り組みだったことが語られた。  

 

## A氏の体験談とメディア批判

 浪江町請戸出身のA氏が、津波で家を失った体験と現在の思いを語った。メディアの震災報道について厳しく批判し、3月11日前後のみの報道を「アリバイのため」と表現した。地元の文化が全く紹介されず、移住者の文化ばかりが取り上げられる現状に疑問を呈した。能登半島地震の復旧状況を見て、福島の経験が活かされていないことへの失望も表明した。  

「私自身、その十五年をということなんですけれども、浪江町の請戸と言いながら、どれだけの皆さんに伝わっているのかなというふうに思うところがあるんです。

 請戸にどれぐらいの人がいて、何があったのかとか、そういう人の営みって消されてるのかななんていうことを思ってました。 メディアの皆さんによる福島の復興っていうものをある意味定義づけ、あっちから押し付けてきてるような感じがすごいしてしまうんですね。 今年の15年目ですけれども、ある意味アリバイのために流しているような気がして」

 

## 教育への問題提起と就職への葛藤

  A氏は高校時代の受験偏重教育を批判し、「命があるからこそ受験ができる」という基本的な認識が欠けていると指摘した。防災教育の重要性を強調し、地域ごとの具体的なリスクを教える必要性を訴えた。就職活動を控え、自分が批判してきた「嫌な大人」になることへの不安と葛藤を率直に語った。  

●「自分が通った高校は大学受験して国公立大学に行きなさいっていう学校なんですけど、受験勉強、受験勉強、受験勉強、偏差値云々っていう話ばかり。でも、それって命があるからできるじゃないですか。 それは日常が当たり前が当たり前としてあるからこそ、三年間の学習が終わり、受験が終わり、大学だ専門学校だ就職だ、いろんな道に進んでいくわけであって、その当たり前が当たり前じゃないっていうことは、十五年前我々知ったはずなんですよ。それがどこにも入ってない。」

「でも先生方だって保護者の方だって被災をしている。それを使ってやるっていうことを高校二年生のときに、純先生が、いろんな葛藤があったみたいですけれども、授業でやってくれたっていうのはすごい自分の中で大きかったですね」

 

## B氏の家族体験と語ることの困難さ‎

 福島市在住のB氏が、父親の県外異動により小学2-4年生の間離ればなれになった体験を語った。当時は理由が分からず寂しい思いをしたが、高校の探究学習で父親の支援活動の意義を理解できたという。父親が被災者でありながら支援者でもあったため、家庭内でも震災について語りにくい雰囲気があったことを振り返った。  

●「両親の姿を見ていた自分の自分が体験したというよりかは、家庭内の様子の記憶が結構大きいなって思ってて。父が支援の形で県外に行って、 父自身も被災者の一人であるにも関わらず、支援者という形で 2つの役目を持って働いている姿っていうのも見ていたので、私自身が何の知識もないのに、支援を受けを受けている側の私が軽々しく話題として出せるような空気感ではなかったし、私自身が勇気がなかった。 家庭で話題を出した時に、ご飯を食べながら喋れるような軽い話題でもないし、お父さんからしたら個別性のあるものだし、私が知ってどうするの? っていう話でもあるし。 ただそれに向き合わない限り、私自身もちょっと寂しかったなとか、あの時こういう思いをしてたなっていう部分を忘れてしまうんだろうなっていうのが最近思うこと。 プラス今。 塾講師をさせていただいてて、今の中学生とか小学生とか高校生になる子たちとかも関わる機会があって、東日本大震災のことについて、やっぱりその前に生まれてない子たちがいて、その歴史のこの東日本大震災っていう言葉を書くこともできない子がいる。 そこに福島に住んでいても、これってやっぱり生まれてないと勉強しようと思わないと、知ろうとしないと、やっぱりわからない子たちがどんどんどんどんこれから増えていくんだなっていうのをすごく身近に感じて。」

●「私以外にも小学校を避難して、小学校の時に避難して帰ってきた小学生のお友達って結構いっぱいいて、図工の時間に「あなたの故郷、地域の故郷を描こう」みたいな課題があって、さらっと「私の故郷ってまだ帰れないんだよね」って言った。 この言葉が結構忘れられなくて。 でも、小学校の当時の私からしたら、何も返せる言葉もないし、今も返せる言葉はきっとまだ見つかってなくて。 今は福島市にずっと住んでいられるけど、もし次の日に帰れませんってなった時、周りの周りにいた大好きな友達はどこに行っちゃうんだろうとか、私の大好きな地元の食べ物とかフルーツとか食べれないじゃんとか、リアルに考えるようになったのが今で。 より一層今ある生活の中での価値っていうのをすごく感じていて。 私自身こう知識がまだまだ浅い、知らない情報もいっぱいあるし、その情報っていうのもいろんな人の声を聞いて作っていくもので、一方の面じゃなく、てまだまだ答えは出ないんですけど、何かこう、自分の中で東日本大震災と向き合って、じゃあ自分はどうしていくのかとか、答えは出てこないんですけど。 」

 

## C氏の大人観の変化と研究への取り組み‎  

 東京の大学で社会学を学ぶC氏が、震災時に母親がスーパーで泣き崩れた体験を通じて「大人が揺るぎないもの」という認識が変わったことを語った。卒業論文で震災後の家族間での語りについて研究していることを紹介し、県外学生との交流で福島の認知度の低さを実感したことを述べた。  

●「今、東京の大学に通っております。その中でほぼ東北出身の子がいない中で、東日本大震災の話を授業の中で取り上げ、自分が話題を出して何か話し合おうっていう時に、他県の子とか首都圏の子たちの認知度が低いというか、どういうことがあったのか、どういうものだったのかっていうところを知っている子が本当に少ない。 なんなら宮城県出身とか、岩手県出身、山形県出身、近県の子でも福島県の原発事故っていうものがどういうものだったのかっていうことを知っている子が少ない。 卒業論文では、この東日本大震災以後のこの家族間でどういうふうに語りが行われているのかとか、情報共有とか心情共有がどういうふうにされているのかっていうところを主題にして研究していきたいなというふうに現在考えているところです。 私たちは当時小学校に上がる前の6歳だったので、大人っていうものが揺るぎないものだと私自身感じていたんですけれども、一番震災の時ですね。親というものがなんか揺らいだというか、人間なんだなってすごい感じたエピソードがあって。 スーパーに買い物に行ったら、やはりなんかこう何もないわけですよね。 棚の中に何もなくて、缶詰となんかちくわしかなくてみたいな。 で、母がなんかスーパーのなんかもう電気も消えてて、なんかガラスとかも割れてるスーパーで、「ちくわしかない…」って言って、そのスーパーの通路で泣き崩れちゃった時があって。父はこう父で震災のそのホットラインの電話番とかで当時はいなくて、母が子供 3人抱えた状態で多分ギリギリだったんですけど、そのスーパーの異常さを見て、すごいもうなんか精一杯になっちゃったみたいで、なんか泣き崩れてしまったんですけれども。 なんかその母を見た時に、「あ、大人って人間なんだ」っていう風に感じて。 そこから小学校に上がっていく中で、なんか先生たちもこうつらい経験をしていて、小学生の私たちのことを導いてくれる存在ではあるんだけども、先生たち自身もこう道しるべがない中で教育というか、関わっていかなきゃいけないっていう状況に置かれているんだなっていうのをなんか感じることが多かったかなと思っています。」

 

## 参加者との質疑応答・語ることの意義について

  参加者から3名への質問や感想が寄せられた。家族間での会話の困難さ、語ることの重要性と同時に語ることのリスクについて議論された。教員からは予定調和的な震災教育への反省や、命を守ることを最優先とした教育の必要性について意見が出された。  

●「その時子供だった私たちって、なんかこう、復興ですよとか、復興してます、福島が復興してますとか、なんか東日本大震災後、こんな大変なことがあったけど、今頑張っていますっていう、すごいわかりやすい、なんかこう商品じゃないけど、そういう代名詞にされてる感じがするのが私自身はすごく嫌で。 なんか記事を書く側としてはすごいドラマチックだし、なんかそういう被災地の子たちが今は明るく元気にいますよっていうのってすごく分かりやすくて、すごく心にも響く内容なんだけど、それだけで終われないというか、家族間ですら話せないことがいっぱいあって。  私がすごくずっと感じてたのは、避難した子が戻ってきた時に、「あ、誰々ちゃんって転校生だよね。 で、戻ってきたんだよね」みたいな話になって、「あ、そうそう、山形行ってたんだよね」とかになったら、「あ、そうなんだ」って言って、そこから先、その山形でどんなことがあったのかとか、その時私たちはどうだったのかとか、そういうなんかすごく他愛もなくて、本当だったらなんか全然話してもいいし、聞いてもいいことが絶対に聞いちゃいけない、なんか暗黙の了解みたいになって育ってきた認識があって。 なんか、そういうことも話せない。話してこなかったからこそ、なんかどう話し出して、周りの人に聞いたらいいのかなとか、聞いてもいいのかなとか、そういうのがわからないし」

 

## 教育現場での震災教育の課題‎

 教員参加者から、予定調和的な震災教育の問題点と、本質的な教育の必要性について議論があった。小学校教員からは、自分たちの教育の成果が見えにくいことへの悩みと、今回の3名の成長への感動が語られた。理想的な小学校教育のあり方についても議論された。  

● 「3月11日なので黙祷しましょうってあったと思うんですけど、なんか四年生ぐらいの時に初めてなんか体育館で映像を流したんですよね。 で、そこで今から津波の映像が流れますから、なんかまあ各々目をつむりたい人はつむっていいし、見る人は見てくださいみたいなアナウンスがあって。 先生たちもなんかいろんな表情、その時にすごいいろんな表情をしてたなって、子供ながらに思って。 なんかそれまでって先生たちのことを別に人間として見てなくて。 なんかこう、「先生っていう生き物」だとして確立されていたので、なんか先生たちにも個人の感情があって、好き嫌いもあるっていうのが、その時すごい人間として見えたというか。 それで先生たちも多分賛否両論あって、言葉にしづらいこと、だから先生たち一人一人のその状況っていうのは。 そのことをきっかけに、先生たちも全員が同じ考えを持ってやってるわけではなくて、一人一人に何かこう、これをやるのには反対だとか賛成だとかもあるし、そういう震災教育について触れていきたい先生もいれば、触れていきたくない先生もいる。 自分の傷を公開して、先生はこういう出来事がありましたって言ってくれる先生もいれば、別にその公言を差し控える先生もいらっしゃったので。 なんか私たちは被災して、こう、大変だね、かわいそうだねって言われて育ってきたけど、その周りにいた大人だって同じように被災して、そういう経験をしてきて、私たち以上に責任とかいろんなことがあったんだろうなっていうのを、その時なんかぼんやり思って、多分家で母とかと喋ったんじゃないかな。」 

●「防災訓練なり避難訓練なりあると思うから、なんかそこっていうよりかは、じゃあ何が予定調和かなって思うかって言ったら、あの、今までだったら震災だけじゃなくて、戦争教育とかもそうだと思うんですけど、なんか辛いことがありました。 みんな辛い思いをしました。  大変でした。 こういうことがありました。 はい、感想を書いてね。 すごくつらかったと思いますみたいな。 大変だったと思います。 書いて出せば OK みたいな。 それが予定調和だなってすごい小さい頃から私は思って。 なんかもっと紐解いていったら、個々の事例っていうのがやっぱりあって、なんか大変だったことばっかりじゃなくて、なんかその中でも、じゃあこういうことがあって、なんかこうだったんだよみたいな。 私だったら、例えばお母さんがちくわを持ってスーパーで泣いたっていう話があったら、なんか大人ってなんか絶対じゃないんだなみたいな。 いつもは強いお母さん、いつもはなんて言うんだろう、子供たちのことを叱りつけて、なんかこう。 でもやっぱり大きな愛で包んでくれる母だけど、やはり母も一人の人間であってっていうところが見えてくるから、なんかそういうことをなんか紐解いていける教育であってほしいなって私は思っていて。 震災っていっぱい揺れて、いっぱい津波が来て大変だったなって思った、こういうことがあったってことじゃなくて、なんかもっと紐解いて、子供に今から生まれてくる子、育っている子に言えることとすればつらいし、親に語ってもらうことって容易ではないんだけど、自分の親がその時何を感じていて、どんな不安を持っていてっていうところが聞ける家庭環境であるとは絶対には言えないですけど、そういう家庭環境であるとか、周りの大人に聞ける環境があるとすれば、なんか人間のなんか営みっていうのがどんどん見えるのかなと思っていて。 なんか本当に辛かった、大変だっただけじゃなくて、そこに生きてる人間が今も生きていて、それってこういうことなんだよねっていう流れが見えるというか。  より実際に自分の経験というか気持ちというか、自分の中に何かが残るんじゃないかなと思うんですよ。 なんかこう、戦争教育って小学校、中学校でやってきたけど、自分の中に何かが残ってますかって言われると「大変だったな」とか、そういうことしか残らなかった。その時の人たちはすごい悲惨な思いをしただろうなとかも思うけど、その人たちの生活が見えるのかとか、その人たちの顔がわかるかとか、近いものだと思えるかどうかっていうのが物事を伝えていく時に、その人に残るか残らないかの差だと私は思っているので、そういうところが近いところの存在として捉えられるかどうかっていうところで変わってくるのかなって思いました。」

●「確かにその 80年、戦後 80年というところで、じゃあそういう教育をその予定調和の中でやって、可能性として見えてくるものはほぼ確かにないんですよ。 それはある意味、教科書的なものを習ってて。 でもそのまいた種が、それこそ 10年後、 20年後、何かで咲くかもしれないしっていうきっかけになるんだったら、果たしてこれ無意味じゃないんだろうなっていうことも思っていて。  なので予定調和をどれだけ予定調和として全力でやるかっていうのも大事なのかなと。 その言い方悪いですけど、予定調和を、なんだろうな、ロボットかのようにやるんじゃなくて、やっぱり予定調和の中にもできる限り心を込めるというか、そういうのも見えてこないので、なんかそれがああ、お決まりなんだろうなって見えてくる理由、ちょっとそこにほんのひとひねりスパイスとして入れてくっていう、この難しさですよね。」

 

## 政治的行動と市民活動の多様性‎

 参加者から政治的な解決方法と市民活動の多様性について議論があった。トップダウンのアプローチだけでなく、草の根の活動の重要性についても言及された。柏崎市長選での市民候補の例を通じて、様々な社会参加の形があることが紹介された。  

 

## 震災当日の記憶の共有‎   

  参加者からの質問を受けて、3名が震災当日の具体的な体験を詳細に語った。A氏は幼稚園での避難体験と津波への恐怖、B氏は卒園式直前の混乱、C氏は家族が一箇所にいたタイミングでの地震発生について、それぞれ生々しい記憶を共有した。    

    

 昨夜、本と喫茶「コトウ」を会場に「中村晋『19→25』を読む/詠む会」が開催されました。参加者10名程度の会でしたが、初参加の方もいらっしゃり、終始和やかかつ深い読みの議論が交わされました。
 今回の報告はAI自動文字お越しソフトによる会の記録報告を試みました。率直に言って、AIのまとめ、すごいです。議論の核心をしっかりつかんだ要約となっています。ご一読ください。

【対話の記録】
 この会は俳句集『19→25』に関する読書会として開催され、著者である中村晋さんを中心に、参加者が俳句の内容や表現技法について深く議論した。会議は約2時間にわたって行われ、社会的俳句の伝統から現代の時事問題まで幅広いテーマが扱われた。 
 中村晋第二句集『19→25』は、連作「生きるガザ」を挟み込んで編集された。これはアーティフ・アブー・サイフ『ガザ日記:ジェノサイドの記録』(地平社)を、俳句という形式で翻訳的に表現した句である。そこに日常を描いた句を差し挟みながら、いわば時系列順にモンタージュ的な形式として編まれた句集である。
 また表紙の装丁などについても、ジャズギタリスト・パット・メセーニのアルバム「TRIO 99→00」のジャケットからヒントを得たことも説明された。中村氏は冒頭で、戦時中の社会主義俳句やレジスタンス俳句の歴史について説明した。
 「生きるガザ」は自由律俳句から成り、ガザ攻撃を詠んだ社会性のある俳句となっている。そこにはガザの当事者ではない人間が詠むことがどこまで可能なのか、実験的な意味があると中村氏は言う。
 現代俳句では社会問題を論じることがすでに常識になっている。中村氏は、マブソン青眼というフランス人俳人の「日本レジスタンス俳句選」をもとにしながら、戦時中から多くの俳人が時局に抗って表現していたことを紹介する。例えば、渡辺白泉が「戦争が廊下の奥に立ってゐた」という句で特高警察に検挙された話や橋本夢道の「皇居に脱帽して素朴な冬木の立ち」という自由律俳句になどの状況について詳しく語った。これらの例を通じて、社会的な俳句は俳句の邪道ではなく、むしろ一つの伝統の形であることを強調した。  
 長崎の原爆被災者である松尾あつゆきの作品についても言及し、「なにもかもなくした手に四まいの爆死証明」や「降伏のみことのり、妻をやく火の今ぞ熾りつ(八月十五日)」などの句を紹介した。これらの句は1946年頃に発表しようとしたが、今度はGHQから発表差し止めが来たという歴史的背景も説明された。  
 中村氏は自身の俳句朗読を行い、日常的な句から福島に関わる句、戦火に関わる句まで幅広く紹介した。特に「死者生者を曇天のガザに置きて去る」という句については、師匠である金子兜太の「水脈の果炎天の墓碑を置きて去る」という句との関連性を説明した。この句は、戦後金子兜太がトラック島から帰還する際の句であり、二度と戦争のない世界にしたいという強い思いを込めた記念碑的な一句。中村氏はこの句が揮毫された色紙を2017年海程賞受賞時に頂き、金子兜太の思いを受け継ぐミッションを課されたような思いになり、それが「死者生者を~」の句につながったかもしれないと述べた。  
 参加者からは様々な質問や感想が寄せられた。ある参加者は「合格発表風を来て風を帰る子も」という句の解釈について質問し、中村氏は合格発表で不合格だった状況を表現したものだと説明した。また、2011年の震災時の状況と重ね合わせて読む解釈も提示された。  
 鳥や動物が多く登場することについて参加者が言及し、中村氏はかつてバードウォッチングが好きで、最近ではアカショウビンを猪苗代の五色沼で聞いた経験や、自宅の庭にレモンの木を育てアゲハチョウを呼んでいる話を共有した。「九月の教師無印良品的笑顔」という表現については、九月の教師の複雑な心境を表現したものだと説明された。  
 俳句の記録的意味について議論が展開され、中村氏は忘れてしまいがちな瞬間の感情や体験を残しておくことの重要性を強調した。特に連作形式について、「父逝去10句」などの例を挙げながら、コロナ禍で父親に会えずに亡くなった体験を俳句として記録したことを語った。  
 ガザと福島の問題が句集の後半で交錯することについて、参加者からモンタージュ的な効果について指摘があった。中村氏は意図的ではなく時系列で並べた結果だが、社会がぐちゃぐちゃになってきた状況が反映されたと説明した。福島にいる人として、棄民という意識から世界中の同様の状況にある人々への共感が生まれたと述べた。  
 俳句の表現技法について、切れ字の効果や空白の使用について詳しく議論された。中村氏は「古池や蛙飛び込む水の音」の句を例に、モンタージュ効果について説明し、自身の句でも空白を切れ字的に使用していることを明かした。ただし、師匠の金子兜太はこの技法を「ふんどしに穴が開いてるみたい」と嫌っていたというエピソードも紹介された。  
 定時制高校の生徒たちについての句についても議論があり、中村氏は実際に精神的に病んだ生徒の体験を俳句として記録したことを語った。これらの句は通常なら削除するかもしれないが、プライベートには配慮しつつ、記録として残しておくことの意味を強調した。  
 震災の記憶と記録について深い議論が展開された。参加者の一人は電車の人身事故を目撃した体験を語り、社会が個人というものを数として処理し、死を単なる事象として処理してしまうことへの疑問を提起した。中村氏はそれに抗うために「紙碑」という概念を紹介し、個人がこの世に存在した証やその尊厳の記録を残す意味について説明し、俳句として残すこと、句集を出版することの価値を語った。  
 福島県内での避難者に対する複雑な感情についても率直な議論が行われた。参加者は高校時代に避難してきた人に対する同級生の心ない発言を体験したことを語り、中村氏も浜通りから避難してきた人々への複雑な感情を正直に吐露した。情報格差や補償金の違いによる軋轢、同じ被災者でも立場の違いによる分断について詳しく議論された。  
 俳句の可能性について、AI時代における文学の意味や、当事者性の問題、翻訳としての役割などが議論された。中村氏は従来の俳句の概念を超えていくことの重要性を強調し、「難民女性も生理はある生理用品がない」という句を例に、俳句とは何かということを問い直す姿勢を示した。  
 最後に、この句集の普及方法や今後の読書会の開催について話し合われ、参加者からは継続的な開催への希望が表明された。  
  
◎チャプター
【 戦時中の社会主義俳句とレジスタンス俳句の歴史‎ 】
 中村氏は戦時中の社会性俳句について詳しく説明した。マブソン青眼というフランス人俳人がフランス語と日本語とで出版した「日本レジスタンス俳句選」をもとに、渡辺白泉が「戦争が廊下の奥に立ってゐた」という句で特高警察に検挙された話や、橋本夢道「皇居に脱帽して素朴な冬木の立ち」という自由律俳句を解説し、これらの俳句が当時の社会情勢を批判し、からかったりする形で抵抗の意味を持っていたことを説明した。そして社会的な俳句は俳句の邪道ではなくすでに現代俳句の伝統の一形態であることを強調した。  

【長崎原爆被災者松尾あつゆきの俳句と戦後の検閲‎  】
 中村氏は長崎の原爆被災者である松尾あつゆきの作品についても詳しく紹介した。「なにもかもなくした手に四まいの爆死証明」や「降伏のみことのり、妻を焼く火今ぞ熾りつ(八月十五日)」などの句を朗読し、家族を失った体験を俳句として表現したことを説明した。これらの句は1946年頃に発表しようとしたが、今度はGHQから発表差し止めが来たという歴史的背景も明かした。ただ、これら社会性を帯びた俳句の多くは当事者が作った作品である。それに対して句集『19→25』における連作「生きるガザ」は当事者でない人間が作り、発表している。著作権の許諾を得ているとはいえ、当事者でないものがこれらの句を作ることは実験的であるといえる。  

【 中村氏による俳句朗読会‎ 】
  中村氏が自身の句集から選んだ俳句を朗読し、解説を加えた。日常的な句として「夜学子罹災す「先生借りた本が、借りた本が…」」、「合格発表風を来て風と帰る子も」などを紹介し、福島に関わる句として「草青むここは校庭だっただっただった」「フクシマの更地の白さ韮の花」などを朗読した。戦火に関わる句では「筆始め平和と濃く書く図太く書く」「ガザの少年遺体を運ぶ驢馬励ます」などを紹介し、特に「死者生者を曇天のガザに置きて去る」という句については師匠金子兜太との関連性を詳しく説明した。  

【参加者との質疑応答と句の解釈‎】   
 中村氏からお話しをいただいた後、参加者からの質問や感想が始まった。「合格発表風を来て風と帰る子も」の解釈について質問があり、中村氏は合格発表で不合格だった状況を表現したものだと説明した。参加者からは2011年の震災時の状況と重ね合わせた解釈も提示された。また、句集に多く登場する鳥について参加者が言及し、中村氏はかつてバードウォッチングが好きだったことや、最近アカショウビンを猪苗代で聞いた体験、自宅の庭にレモンの木を育てでアゲハチョウを呼んでいる話を共有した。  

【俳句の記録的意味と連作の効果‎ 】

  俳句の記録的意味について深い議論が展開された。中村氏は忘れてしまいがちな瞬間の感情や体験を残しておくことの重要性を強調し、ガザや福島の問題も時間とともに埋もれていってしまうことへの危機感を表明した。連作形式について「父逝去10句」を例に挙げ、コロナ禍で父親に会えずに亡くなった体験を俳句として記録したことを語った。参加者からは連作の余韻の大きさについて評価があり、10句重なって最後に句があることの効果について議論された。  

【ガザと福島のモンタージュ的構成‎】
  句集の後半でガザと福島の問題が交錯することについて、参加者からモンタージュ的な効果について指摘があった。中村氏は意図的ではなく時系列で並べた結果だが、社会がぐちゃぐちゃになってきた状況が反映されたと説明した。福島にいる人として、15年前の経験から棄民という意識を持ち、国家がいざとなったら国民を捨てるという思いから、世界中の同様の状況にある人々、特にガザの人々への共感が生まれたと述べた。ALPS処理水海洋放出なども含めて、自分の大事なものが侵されたという感覚が混じり合ってきたと説明した。  
 
【 俳句の表現技法と切れ字の効果‎】
 俳句の表現技法について詳しい議論が行われた。中村氏は切れ字の効果について古池やの句を例に説明し、モンタージュ効果について詳しく解説した。「戦争 人の名を剥ぎ数字に」という句の空白について質問があり、中村氏は空白を切れ字的に使用していることを説明した。映画の黒味で繋がるような効果を狙ったと述べたが、師匠の金子兜太はこの技法を「ふんどしに穴が開いてるみたい」と嫌っていたというエピソードも紹介された。  

【定時制高校生徒たちへの思い‎】
  定時制高校の生徒たちについての句について議論があった。中村氏は「夜学子よ生きたねそして卒業だね」という句について、実際に精神的に病んで休学した生徒の体験を俳句として記録したことを語った。これらの句は通常なら削除するかもしれないが、プライベートに配慮しながら記録として残しておくことの意味を強調した。生々しい内容も含めて、形の整った綺麗なものだけでなく、ゴテゴテしたものやみてくれの悪いものも含めて日記に近い感覚で残したと説明した。  

【 震災の記憶と記録の重要性‎】
 震災の記憶と記録について深い議論が展開された。参加者の一人は電車の人身事故を目撃した体験を語り、社会が個人を単なる数として、個人の死を単なる事象として処理してしまうことへの疑問を提起した。中村氏は出版社の「紙碑」という概念を紹介し、紙による石碑として本を出版することで記録を残す意味について説明した。人の生きた痕跡や証を残すことの重要性を強調し、数として処理されてしまうことへの抵抗を表明した。  
 
【 日常の俳句の魅力と軽やかさ‎】
 参加者から中村氏の日常的な俳句の魅力について言及があった。「スイートピー音痴は鼻唄でも音痴」「パプリカ切ったらぷはっと息を吐いたよ」などの句について、みずみずしさや描写の巧みさが評価された。中村氏は「パプリカ切ったらぷはっ息を吐いたよ」について、実際にパプリカを切った時の体験を説明し、「よ」という呼びかけで読者を巻き込む効果を狙ったと述べた。重いテーマばかりでなく、軽やかな俳句の面白さも存分に入っていることが確認された。  

【俳句の可能性とAI時代の文学‎】
  俳句の可能性について深い議論が行われた。参加者は「なんかいいな」という感覚の重要性を強調し、最近は何でも理屈を求められる傾向への疑問を提起した。中村氏は俳句を作る際には、言葉がどのように作用するかを計算高く見極めている面もあることを踏まえつつ、その一方で、取り合わせの新鮮味や内容の現代性を追求していることを説明した。AI時代における文学の意味についても議論され、個別の経験性や感覚の重要性が確認された。星座の例を挙げて、不作為のものに、言葉によってどのように切れ目を入れ、新しい意味を見出すか、そのことの大切さについても言及された。  
 
【当事者性と翻訳としての役割‎】
 当事者性の問題について深い議論が展開された。中村氏は当事者でない人間がガザの問題を書くことについて実験的だと述べ、参加者からは当事者でなくても語ることの重要性について意見が出された。戦争を語り継ぐことの意味や、想像することの大切さについて議論され、中村氏は媒介者や翻訳者としての役割を果たせたかもしれないと述べた。感じることは人間ができる最後のことであり、AI では代用できないものだと確認された。  

【福島県内での避難者への複雑な感情‎】
 福島県内での避難者に対する複雑な感情について率直な議論が行われた。参加者は高校時代に避難してきた人に対する同級生の心ない発言を体験したことを語り、同じ経験をしても感じ方が違うことへの困惑を表明した。中村氏も浜通りから避難してきた人々への複雑な感情を正直に吐露し、情報格差や補償金の違いによる軋轢について詳しく説明した。相馬地域での津波被災者と原発避難者の軋轢や、避難ラインによる分断の問題についても議論された。  

【今後の読書会開催と普及について‎】
  句集の普及方法や今後の読書会の開催について話し合われた。中村氏は現在、本と喫茶の店「コトウ」、「はなみずき書店」、うつわと雑貨の店「うさぎや」の3店舗で販売を展開していることを説明し、ブックイベントでの手売りも行っていこうとしていると語った。参加者からは継続的な読書会開催への希望が表明され、場所を変えて開催することも提案された。このような話す機会の重要性が確認され、第2弾の開催が期待された。  

 

(大熊町熊町小学校教室・2025年7月12日・渡部純撮影)

 

 この写真は2025年夏に、大熊未来塾代表の木村紀夫さんの案内で入れさせていただいた大熊町立熊町小学校の教室の光景です。現在、中間貯蔵施設エリア内にある同小学校は、許可がなければ入ることができません。2011年3月11日当時のまま残されたその教室からは、あのときの子どもたちの怯えや動揺、泣き声が想起されます。

 このとき、木村さんは津波によって家族を失いますが、4月に父親と妻は見つかったものの、次女の汐凪さん(当時7歳)だけが見つかりませんでした。以来、木村さんは、原発事故によって警戒区域となり容易に立ち入れなくなった大熊町へ、汐凪さんを探すために避難先の長野県から通いつめて、2016年12月についに遺骨の一部を発見します。

 木村さんは汐凪さんを見つけた場所から、彼女のいのちが奪われたのは津波ではなく、警戒区域になったことで置き去りにされて奪われた可能性があると感じ、原発事故によって救助活動を中断されなければ救えたかもしれないと、深い悔恨を滲ませながら語られました。その痛切な思いに、あらためて原発事故の罪深さを覚えずにはいられません。

 何よりも、木村さんの語りと共に当時のままの校舎や教室、校庭を見つめるにつけて、あのときの子どもたちが何を見、何を考えていたのかと問わずにはいられなくなります。そして、あの出来事から15年が経とうとする今、汐凪さんがもし生きていたならば何を語ったのだろうか、とも。

 木村さんは現在、熊町小学校を原子力災害遺構として保存を求める活動にとりくまれていますが、こうした思いが喚起されたのは、まさにあの場が当時のままの空間であったからに他なりません。

 そして、このように喚起された思いから、〈3.11〉から15年目の3月を迎えるエチカ福島では、当時の子ども世代であったゲストを招き、あの出来事でどのような経験をし、その後の15年間にどんなことを考えてきたのかをお話しいただく機会を設けます。

 ゲストは、当時小学校入学を目前に〈3.11〉を経験した大学生の3人です。

 お一人は浪江町で小学校入学直前に津波・原発事故に襲われて福島市へ避難を余儀なくされた方です。彼は、高校時代に〈3.11〉に無関心な周囲に対して、なぜ他人事でいられるのかと鬱屈した思いを抱いていた男子学生です。

 お一人は、福島市で地震・原発事故に被災し、そこで葛藤する大人たちの姿を垣間見てきた経験をもちながら、今の学生生活を送る中で周囲の無関心ぶりに危機感を抱いている女子学生です。

 お一人は、震災原発事故後に父親が県外へ単身赴任したことに動揺した経験から、高校入学後に探究学習を通じてその意味を理解していった女子学生です。

3人ともに汐凪さんと一歳しか違わない年代であり、その当時の記憶を保持していられるほとんど最後の年代かもしれません。さまざまな世代の方にお集まりいただきながら、当時の子ども/大人がどのような思いをしてきたのかを語らう場にしたいと思います。

【日時】 2026年3月7日(土)14時~16時

【会場】 如春荘(福島市森合台13−9)

 ※当日は県立美術館でゴッホ展開催中のため、近辺の道路事情や駐車場が混みあうことが予想されます。お車でのご来場はお控えください。

【参加費】 投げ銭制(ゲストへの謝礼としてお気持ち程度をいただければ幸いです)

 

【エチカ福島について】エチカ福島は、東日本大震災・原発事故について話し合いながら参加者どうしで考えを深めるために、2013年2月から始められた対話活動です。

◎共同代表: 荒川信一・齋藤純一・佐藤伸郎・島貫真・深瀬幸一・渡部純

 

 

福島市の俳人・中村晋さんが、句集『19→25』を出版されました。
この句集がつくられたきっかけは、2024年11月につくった俳句による連作「生きるガザ」です。
いまなお言葉を失う暴力が吹き荒れ、破局の時間が続くガザを忘れないために書かれたこの連作を含め、2019年から2025年までに詠んだ俳句の集成が本書です。
中村さんは「激動する社会の中で、俳句に何ができるか」と挑戦的に問いながら本書を綴られました。
さらに巻末エッセイを、会場となるBook&Cafeコトウの店主小島雄次さんが執筆されています。小島さんは中村さんの俳句の視点と切り取りに「どこまでも地続きで、どこまでも境目がない」ことを看取します。
「19→25」は1925年、すなわち昭和元年とも符合し、昭和100年となる2025年との不思議な符牒を表しています。アメリカのヴェネズエラ侵攻という暴挙から始まった2026年ですが、中村さんの「19→25」を読み/詠み合いながら、激動の世界を語り合ってみましょう。

 

【日時】2026年3月14日(土)17時~19時
【会場】本と喫茶コトウ(福島市大町9-21 ニューヤブウチビル2階)
【会場費】800円(飲み物代込み)
【申込】こちらのメッセージもしくはコメント欄へお申込み下さい。

【駐車場について】駐車場はありません。近隣の有料パーキングをご利用下さい。
【書籍販売】定価2,000円(税別)
Book&Cafeコトウうさぎや(福島市大町3-10)はなみずき書店(福島市森合丹波谷地前29−10)にて販売しております。

      
 2024年より始まった高校生哲学対話サークルは、高校生が考えた哲学的な問いを皆で考える対話活動です。
 2026年新春企画は、福島東高校の総合的な探究の時間で哲学ゼミに所属する2年生が提起するテーマについての哲学対話を、5週にわたって連続開催します。
 高校生に限らず、一般社会人や大学生、中学生、小学生も参加できます。
 対話を聴いているだけでもけっこうです。
 ご興味が少しでもおありの方は、ぜひふるってご参加ください。歓待します。 
お飲み物は会場2階カフェメニューからお選びいただきますが、学生は無料です。

◆会  場 
 ペントノート4階セミナールーム(福島市上町2-2・県庁通り文化堂)
 https://pentonotelife.com/
※    1階エレベーターで4階までお越し下さい。飲み物は4階会場で注文できます。

◆開催日時・テーマ・提題者
1月11日(日) 14時~16時  「人類はなぜ戦争をくり返すのか?」
1月18日(日) 14時~16時  「死刑を問う――死で罪は償えるのか?」
1月25日(日) 14時~16時  「なぜ人にやさしくできないのか?」
2月  1日(日) 14時~16時  「正直とウソつきはどちらがいいのか?」
2月  7日(土) 14時~16時  「友達の意義とは?」

◆参加申込・連絡先
 こちらのメールアドレスに、参加日・ご氏名・連絡先(メールアドレス)・所属をお書きください。
 koukouseitetsugakutaiwa@gmail.com

【高校生哲学対話サークル共同代表】
久保 文(桜の聖母学院高校教諭) 佐藤篤志(川俣高校教諭) 佐藤伸郎(福島東高校教諭) 髙橋洋充(福島東高校教諭) 林 裕文(ふたば未来学園高校教諭) 富良謝和信(福島高校教諭)  渡部 純(福島東高校教諭) 
 

      

 

《開催日時》 2025年9月27日(土) 14時~17時

《会  場》 ペントノート(福島市上町2-2)

《参加申込》 特に必要ありませんが、できればコメントに参加意思を書き込むか、Facebookに「参加予定」をクリックしてください。

《 参 加 費 》 会場費・資料代として300円程度ご協力下さい

《報  告 者 》 荒川信一 齋藤純一 佐藤伸郎 島貫真 

           深瀬幸一 渡部純

 

 

この夏、結成13年を迎えたエチカ福島が、満を持して水俣へ訪問してきました。
これまでエチカ福島は、「公害事件と世代間伝達―水俣事件を第二世代はどのように考えてきたのか」(2019年月)、「いま、水俣から福島を想う」(2023年3月)、「水俣の漁師たちに出会う夜——水俣ー福島対話篇、再び!」(2023年11月)と3つの水俣関連イベントを開催してきましたが、今回は2023年に開催した二つのイベントにご尽力下さった熊本大学の石原明子さんの研修プログラムに、エチカ福島のメンバーで参加して参りました。
実に濃密な研修プログラムで、涙あり笑いあり美味しさあり、とジェットコースターに乗ったようなスリリングさと不知火海のスルメのように味わい深く、しかし深く深く考えさせられる学びの経験をしてまいりました。
今回の報告会は参加メンバー6名がこの巡検から考えたことを報告しながら、参加者の皆さんとの対話を深める機会とします。
ぜひ多くの方々にご参加いただければ幸いです。
ちなみに、画像は水俣の漁師・緒方正人さんのご自宅を訪問した際に床の間に飾られた石牟礼道子さんの書です。