今では大学に復帰し、講義をしているが、

あの頃の教授は落ちるところまで落ち、薬漬けだった。

教授が大学を休むようになって2-3ヶ月した頃かな、

僕は教授に会いに行った。

その頃、僕は悩みを抱えていて、

いつもなら教授に話を聞いてもらえていたのだけど、

教授は待っていても大学に復帰しなかったし、

僕も、教授のほかに話を聞いてもらえる人がいなかったから、

思い切って教授を尋ねて行くことにした。

その頃、教授は安アパートに住んでいて、

貧乏美大生の僕でも驚くぐらいだった。

教授は僕の訪問に困惑していたが、「帰れ」とは言わなかった。

玄関先で少し話をした後、アパートの中に入れてもらった。

教授の復帰の話ではなく、僕の悩みを聞いてもらいに来たと分かって、入れてくれたに違いない。

そうでなければ、追い払われていただろう。

想像していた通り、アパートの中は荒れていた。

和室と台所だけの狭いアパート。

寝室である和室には、布団が敷かれたままで、

その近くにはヨレヨレになったカーキの綿のズボンが脱ぎ捨てられていた。

窓を開けていないようで、アパート内の空気もかなり疲れているようだった。

教授は、大学で元気に講義をしている頃から、

着る物にはあまり気を使わない人だったし、ひとり暮らしと知っていたので、これは容易に想像が付く。

が、やはり、心が乱れているのが手に取るように分かる。

空気が違う。

台所がきれいにしてあるのが少し不思議に思えた。

使っていないのだろうか。

話をそこそこに、教授は僕を喫茶店へと誘った。

僕は教授について行くことにした。

教授がその頃どんな生活をしているのか、僕も興味がなかった訳ではない。

大学に帰って来てもらいたかったし。

とは言え、教授の大学復帰を懇願するつもりはなかった。

だた、敷かれっぱなしの布団近くには注射器があったようで、気になった。

教授のアパートから6-7分の所にある喫茶店まで、

ぽかぽか陽気の中、僕らは無言でトボトボと歩いて行った。

僕は教授の少し後ろを歩きながら、

悩みでいっぱいの頭の隅にある空いた場所で、ぽかぽか陽気を楽しんだ。

10月も中旬を過ぎ、時々、寒い冬が近づいている事を知らせる様な寒い日がある。

が、その日は珍しく、小春日和の様な、優しいぽかぽか陽気だった。

教授は気づいていただろうか。

季節の変わり目を目にしていただろうか。

ぽかぽか陽気の優しさに気づいていただろうか。

あと何年かして、教授と二人で飲みに行く事があったら、聞いてみたい。






本当にそうだと思う。


若いうちに尊敬できる人を探し、

その人の下で働かせてもらえるように頑張る。


もしそうなったらまる儲け。

その仕事は一生の仕事となり、教えにもなるんだと思う。


もちろん、大好きな事や一番の趣味が仕事になれば最高だろう。

だけど、そこには尊敬できる人が必要なんじゃないかな。

目標となる人が。








約4-5日前の話。

早朝からカラスが大声を上げて飛び回り始めた。

「カァー!カァー!」と言うより、「アァーッ!アァーッ!」という感じ。


私の部屋は二階にあり、24台ほど収容できる駐車場に面している。

その駐車場の向こう、私の家と平行に4階建のビルが建っている。

その駐車場の奥、私の家に対して垂直にまた違う駐車場があり、大きなマンションが建っている。


そんな立地条件なので、共鳴する。

あの大きなカラスの鳴声が共鳴してものすごく大きく聞こえる。

和田アキコさんの声もきっとこんな感じなんだろう。と思った。

カラスの鳴声と比べると聞こえは良くないけれど、ものすごく元気ハツラツな感じで、

早朝にもかかわらずお腹からしっかり出ているようなあの鳴声。


自由に飛び回り、私の部屋のベランダ近くまで接近しているような感じ。

そして大声で叫ぶ。


ものすごくうるさかったけど、「なんて自由なんだぁー!素敵じゃないか!」と思ったりして。

別にストレスが溜まっているわけでもないし、

そんな大声を上げて叫びたいわけでもないのだけど、

「あの自由さがステキだぁ。」と思ったのでした。


それで、「カラスとして生きるのも捨てたもんじゃないかもね。」

と思いました。


その後、近所の人が音を鳴らしてカラスを追っ払ってくれました。

みなさんまた眠りについたことでしょう。








「和して同ぜず」

=人と仲よく交際はしても、おもねって自説を曲げるようなことはしない。


なぁーるほどっ!

これです!


「和して同ぜず」

これが私の2009-2010年の個人的な目標!

勇気を持って「和して同ぜず」!

この言葉を心に頑張るのです。








"よその子は良い子、ぼくだけ悪い子?"

「お母さんは、よその子は良い子だと行ってほめるけど、
ぼくのことは叱ってばかりいる。」

(私も彼にこんな感じで接している時がよくあります。)


子供は親の「期待」と「声援」にこたえることによって成長していくものだそうです。

(男の人もそうなような。)

なので、叱ってばかりだと「良い子」になれないらしいです。


うんざりしたような目で見ていませんか。 (あるある)

ほんとうにあなたはどうしようもない子ね、という顔つきで接していませんか。 (あるある)

「ダメね」という判断をしたつもりでも、これは判断ではなく、独断だそうです。


隣の芝生が青々してきれいに見え、
自分の芝生と比べてしまうかもしれないけれど、
彼や家族の悪いところが見えるのは、それだけ長い時間一緒に過ごしているから。

隣の芝生が青々してきれいに見えたとしても、
他人を家族ほど深く知る事ってまれ。

「きめつけ」は百害あって一利なし。








"良い子"も"悪い子"もみんなともだち

この回は、先ず、「良い子」って、どういう子?「悪い子」ってどういう子?
という問いかけから始まっています。

そうですよね。
この本の中でも問われているのですが、
物静かで親の言う事だけを聞いて、
自分の意見を言わない子供が良い子なんでしょうか。

親の立場からすると、そういう子は素直で手のかからない
(親が楽できる)「良い子」になるんでしょうけどね。


ここでは、「子どもは、一日に何回か、「良い子」になったり、
「悪い子」になったりするもの」と書かれています。

(男の人もそうですよね。少なからず私の彼はそうです。きっと私もそうなのかな。)

また、「「反抗期」は、自分を主張する子どもの声であり、
幼児の成長に欠くことのできない自発性のあらわれ」だそうです。

 (だけど、子ども(彼)の自己主張があまりにも激しくなってきた場合の
 対処法ってあるのでしょうか。。上手く手の平でコロがす感じの。
 後に書いてあると嬉しいですね。)

そして最後に、
「「おとなしくて素直な子」ばかりとつきあっていると、
子どもは自分を主張する必要がなくなり、
いつの間にか自発性のない子になってしまいます。」

「少し粗暴だが自己主張の強い子、やさしい子、
いろいろなタイプの友達のなかで、自己主張しあい、
もまれることによって、子どもは自分を発見してゆくのです。」と。


 「なるほどー。」と、私。
 これって子供の世界に限ったことではないですよね。

 今回は私の私生活と照らし合わせながら読みました。
 
 私も海外での生活でまだ言葉がままならない時、
 その地での対人関係や対話のし方にまだ慣れていない時、
 パーティに行ったところで会話が楽しめないんじゃ面白くないと言って
 家に引きごもりがちになるというか、
 気の合う友達(自分にとって良い子?)とだけで遊んだりしていました。

 もちろん、文化の違う国の大人の世界にポッと入って、
 みんなの輪にどうにか入り込もう、溶け込もうと頑張って振舞ってみても、
 笑うポイントが違ったり、ジョーダンが違ったりで、
 一人空回ってしまったり、みんながノッてきてくれなかったりで寂しくなったり。

 そんな事はよくある事。海外での対人関係って結構キツイものがあるのは事実。
 
 だけど、だからって引きこもらないで外に出て色んな人と会って、
 色んな事を学ばないといけないんだなぁ。と思いました。

 そんなこんなしてる内に自分のポジションが分かってきて、
 自分の発言のタイミングとかも分かってくるのかもね。

 (だけど、政治・経済の話ばっかする人達の輪に入るのはやっぱりキツイかも。。)

 
 あっ、今書いていて、かなり大きな反省点に気づきました!
 
 ハウスパーティやBBQなど、知り合いの知り合いが来るような場で、
 まるで前から知ってる友達とパーティをしているかの様な楽しさを
 知らず知らずに私が求めていました!

 求め過ぎでしたっ!
 
 日本でもあまりよく知らない人達の集まりの中で
 前からの友達のような盛り上がりを期待するのは無茶な話ですよね。

 なんでもっと早くにその事に気づかなかったんだろう。。
 ちょっと自分自身に疑問です。


 『和して同ぜず』の『同ぜず』という事ですよね。やっと気づきました。
 
 私がみんなと違うのはしょうがないというか、当たり前なんだし、
 みんなが私や私の友人と違う事だってそう。

 私だけが違うんじゃないんだもんね。

 友達の輪だって、パーティの盛り上がりだって違っていて当然。

 どうにかその場の空気にスッと溶け込めればいいなぁ。。

 
 今後の課題。

 パーティの音楽が自分の音楽じゃなくても、
 集まってる人達と私の感覚が違っていても、
 何かを楽しむ。出て行って、楽しむ。
 色んな興味をもって、「今日はどんな事が待ってるかなぁ♪」的に。

 同じ事を同じように楽しむのではなくて、
 似ているけどちょっと違っている、もしくは全然違っている
 そんなバラバラ具合を楽しめる人になりたいと思います☆


 そいでもって、「今日はちょっと。。」って思う時は、『頑張り過ぎず、求め過ぎず』。

 何とか合わせられれば、それで良し。取りあえず行ってみる。
 
 そう思ったら、会話も少し適当になっても良いのかなっ☆と、気持ちが楽に。








『和して同ぜず』
この言葉を皆さんは聞いた事がありますか?

私は初めて聞きました。
目から鱗でした。

『周りの人々と仲良くしているけれど、人は皆それぞれ違うのだよ。』 (それが自然なんだよ。)
という意味のようです。

 「なるほど!そうなんですよ。」と、私。
  2年程前、私はベルリンに居たのですが、
  その頃出会った友人たちとそんなハーモニー(和)を感じていました。
  違う文化の中で育ち、職業もバッラバラの外国人たちが集まって楽しくしていたんです。
  趣味も好きな音楽も着ている服もみんなそれぞれに違ったのだけど、
  なぜか心が通じて、妙に居心地が良くて、よくみんなで集まっていました。
  私はすごく私で居られたし、彼らもきっとそうだったと思います。
  
あの時は摩訶不思議で奇妙なハーモニーだなーって思ったりもしたのですが、
それが本来あるべき自然で調和の取れたなコミュニティーの姿だったのかもしれません。


この本の中で児童文化研究家の吉岡たすくさんは、こうおっしゃっています。
「同じであって、和せず」という人間がふえているのは、悲しい事です。」

「子どもも、おとなも、『和して同ぜず』の心をしっかりと身につけることが、
『勇気のある人間』に育っていくものと、私は思うのです。」と。


みんなが違っていて当たり前。
人それぞれ違う意見や考え方を持っていたり、性格が違うのは当然の事。ですよね。

「右向け右!」ではなく、
「みんなの個性を大切にし、そしてみんなと仲良く☆」って事ですね。

私は賛成です!








思いっきり、愛あるふれあいを - 勇気あるしつけのすすめ (監修 吉岡たすく)

この本を実家で見つけました。
対象読者は小さいお子さんをもった母親なのですが、
「これって、将来私の旦那さんになる人とのやり取りにも使える?」
と思い、読み始めました。

男の人と子供って似てるところありません? ありますよねー。

「きっと、「なるほど、なるほど。」って思えることがたくさん書いてあるはず!」
そう思ったんです。
それがこの本を読む事になったきっかけです。

発行が平成1年なので、古書になってしまいますが、
「なるほどぉー。」と思える内容が盛りだくさんな気がするのです。


それでは、私が「なるほどぉー。」と思った事や目から鱗的な事、
素敵な言葉などをを紹介させて頂きます。
『学習視点でものをみる習慣をつける』
 仕事のための12の基礎力 -"キャリア"と"能力"の育て方- (大久保 幸夫)

日々いろんな事が起こる。
物事は自分の見方、捉え方で全然違うものになる。
全然違うメッセージを自分に送る事ができる。

どう捉えるか、どう理解するか、自分にとってプラスになるかどうかは自分次第。

凹むような事を言われても、マイナス要素のある事が起こっても、
それから何を学べるのか。学べる事は自分の周りに溢れているはず。


「あいつって、かなりの楽天家。」

そう呼ばれる人って大した人だなぁと思う。
色んな事を学んでる人なんだろうなと思う。
何でもポジティブに考える自分なりの方法を見出してる人なんだろうと思う。

それくらい色んな事をプラス思考で考えられる習慣を身に付けることも大切。








『ご先祖様が見ているから、お供えをしていたら何か良いことが起こるはず☆
だからお供えは欠かさずしないとっ!』とか、
そんな事を思ってお供えをしてたりする人いませんか?

私はそんな事を思いながらお供えをしていたのだけど、
それがなぜかかえって気持ちに重ぉ~くのしかかってくるようで、
気が重かったのですが、

最近、お供えをするって、結構自分にとっての自分勝手な癒しなんじゃないか、
と思ったんです。

『さぁ、今日もお供えをした。』
『ご先祖様に良い事をしたぞっ☆』
『はぁ~☆気持ちが良い♪』ってな感じで。

そしたら気が楽になりました。

きっと、変に見返りを期待してたりしたからダメだったんだと思います。

人と接する時もこんな気持ちで接するようになって、心が軽やかになり、
段々とですが、心から優しくなるという事がどういう事なのか分かってきている今日この頃。