新型コロナで自粛が必要な理由 | エスプレッソに写真と陶芸に犬と猫

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気を紛らすために好きなことを書いていく。

日本と韓国の感染者の数を比べてみた。

 

2月下旬から3月のはじまりには「韓国大変だなー」という感じだったが、いまは日本がまさにその状態。

 

でも、日本ではPRC検査数が少なすぎて、いま分かっている感染者数は、氷山の一角だ、という人がいる。

どのくらい少ないのかというのは、100万人あたりの検査人数とかってググると出てくると思うので、他の角度から違いをグラフにしてみた。

 

1日あたりの検査の数と陽性になった数(日本は数じゃなくて人数だけど)を比べてみる。

2月6日から毎日の検査数と陽性数をプロットして線でつないでみた。

ちなみに原点から各日を結んだ直線の傾きが大きいほど陽性率が大きいってことになる。

まず韓国。2月下旬の多かったころは右上に広がっていったけど、いまは下の塊の部分でウロウロしている。傾きの線を引いたとしたら、とっても緩やかな傾きでほぼ安定していることが分かる。じっさい、陽性率が2%弱だ。そしてこれは人口に対する感染率と考えても大きく怒られないと思う。

 

次に日本。2月は左下の原点に近いところでウロウロしていたが、いまはどこを目指すわけでなく全体として上と右上に広く発散していっているのがわかる。もし線をひいたら、韓国に比べて相当急な傾きだし、毎日傾きが大きく変わることが分かる。

陽性率が分からないということだ。無理やり平均を出せば20%強だが、毎日ぶれるのでやっぱり分からない。

 

そこで、どのくらい分からないのかをビジュアルにしてみた。

2月6日からの陽性率%と、その分布をプロットしてみた。

確率でよくある釣鐘型のグラフを描く、あれだ。横が陽性率%で縦がその陽性率%になる確率。

韓国は感覚的に、2%内外に集まってんなーというのがよく分かる。

日本は、山が分からないほどなだらかに広がっているので、毎日どんな陽性率がでるのか分からない。

分からないから、「氷山の一角だ」というのも否定できない。

 

そこで、妄想を働かせてみた。

ぶっちゃけ、韓国と日本は共通なものがけっこうある。それぞれに反韓反日感情が強烈にあり、文化?の根っこには中国の影響がある。そして生物的にもとっても近いじゃないかな。

なので、感染症の広がり方も、けっこう似たようなもんじゃないかって妄想してみた。

どういうこ事かというと、韓国の平均の陽性率%を日本にも当てはめてみた。

そうすることで、氷山全体が見えるのではないかと思う。

それが、これ↓

 

もう、アメリカやイタリアと同じかそれ以上の感染者がいるという事になってしまった。

こうなると、検査を徹底的に拡大して、症状の有無にかかわらず感染者を社会から隔離して治癒などを待つしかない。

しかし、検査を多くして「実体」が見えることは医療崩壊も実体化することになる。

 

検査で陽性になっても薬がないので、基本は自然治癒で治すしかない。

重症になった時の人工心肺が増やせないのは、扱える技能者にも限りがあるため。むやみに機械だけ増やしても技能者がいないと逆に患者の肺をさらに痛めることになり致死率が上がってしまうというアメリカの記事もあった。

ECMOは、果たしてそこまでして生きながらせて、ごくわずかな生還率を追求することが、この緊急時に社会的なニーズと言えるのか、よく分からない。

おそらく、救える命の選択が重症者治療の現場には必要になる。

PCR検査を増やすことは、医師にこの判断の責任を突きつけることになる。

でもまだその議論が日本にはなく、医者や看護師の心を蝕むことになる。

そもそも医者は、新型コロナの専属じゃない。他の患者が沢山いる。病気もあれば怪我もある。その1人に明日自分がなることは普通に当たり前だ。交通事故だってあるし、盲腸だってある。その時、医者や病院がない、そんな状況になりそうだということ。

 

だから、自粛が必要だ。

 

 

 

 

おまけに検査数、陽性数(患者数)、陽性率、のべ陽性数(患者数)のグラフ。

日本のデータがめちゃめちゃに映るのは、氷山の一角のせいでもあるが、その影に必死で重傷者とクラスタを追い続ける保健所や行政や検査期間やみんなの努力もあるのも確か。ただ、その努力は間違った方向に向いている。厚労省/関係する研究者がその方向を是正し実行する責務があるように思う。そして政府はその実行を促進する超法規的な判断と一義的な責任だけ取ればいいだけだ。