こんばんは!


いよいよ間じかに迫った4月30日。

 40年前の1975年4月30日、サイゴンが陥落し、
旧大統領官邸(現 統一会堂)にベトナム民主国
(北ベトナム)とベトナム民族解放戦線の旗が
翻って、戦争が終わりました。

 ベトナム戦争に関しては、たくさんの本や映画で
描かれているので、あえて多言は必要ではないし、
民族の独立と統一というベトナム民族の悲願に
ついても他国の人間が干渉すべき問題では無い
というのが私のスタンスです。

 4月30日は外国勢力による不当な侵略戦争
の勝利であり、それは、何事にもかえられない、
と公式には言われているわけですが、独立と統一と
引き換えにその後のベトナムは苦難の歴史を歩みます。

 まず、隣国ではポルポト政権による国境紛争と虐殺が
引き起こされ、その後ポルポト政権排除のためにカンボジア
に侵攻し政権を打倒しますが(79年1月)、今度はポルポト政権
を支援していた中国による中越戦争(79年3月)、アメリカ
の経済制裁による世界経済の締め出しと、不本意なソ連全面依存
は、社会主義経済を押し進まざるを得ず、それを嫌った人々
はボートピープルとなって、難民が発生しました。

 86年にドイモイ政策が採用され、市場経済を取り入れる
ことによって、南部の潜在的な資本や経験が評価されるまで、
時間がかかりました。
 
 このような背景を考えると、単純に祝賀一辺倒ではなく、
新たな苦難の始まりでもあった、と見ることも出来ます。
 
 この過程は、ベトナムが望んだことではなく、むしろ
新冷戦期に当たって、そうせざるを得なかった外部状況が
大きいのですが、基本構造としては、冷戦が終わり、89年に
ベトナム軍がカンボジア撤退、そして、95年にアメリカと
国交回復するまで続きました。

 今、経済成長と発展で注目されていますが、こうなるまで
に戦後の国内処理で、日本以上の矛盾や課題を残して
突っ走っているわけです。

 4月30日に、改めて犠牲となった方の冥福を祈ると共に、
これからのベトナムの発展を見ていきたいと思います。