みなさまへ❤

 

おげんきでおすごしですか。

 

「コロナ後の世界に寄せて」

見てくださったかたに、

「何度でも何度でも読みたい!」と感想を頂きました。

ありがとう、

わたしも何度でも読んでる(・v・)

もう一度、記事を抜粋します。


『わたしたちは、まだ世の中の役に立つ人間だから、
生かしてください』

って、コロナ後の世界を
障害者や高齢者が、
条件をつけて
お願いをして
他者の承認を得て
生かしてもらう世界にしては、ダメなんだ。

「だれはだれより、存在の価値が高い」
「だれはだれより、存在の価値が低い」

こんなふうに比べっこする社会では、
なにがしか医療や住居がひっ迫すれば、

障害者だって
高齢者だって
いくらでも理由をつけて、
死ぬことをおすすめされてしまう。

勉強が人よりできるからわたしを誉めてください!!
仕事が人よりできるからわたしを認めてください!!
人より活躍ができるからわたしを生かしてください!!

こんなふうに、がんばってがんばってがんばって
人と競争をして
他人に認めてもらって、他人にご許可を貰わないと
自らの生きる価値を得られないような

「能力主義の社会」
「許可制の人生」を

今、日本中で、ひとりひとりが、
降りるときが今なんじゃないかな。

許可制の人生を、降りよう。


ホント、いのちまで能力主義で順位が付いたらジョーダンじゃないわけなんだけど

「生存にご許可を貰わなきゃいけない」って

 

仕事がなくなったら

体が不自由になったら

トシをとったら

自分にはロクな価値もない

って 多くの人が考えやすくなってしまっているのって

 

「認めてもらうこと」

「誉めてもらうこと」

「他者の承認=生きる価値の寄与」だと思ってしまうこと

 

これ、、、最初どっから来てんだ?って

考えるとさ

はじまりは

母親

しかなくないですか?

そう

お母さん。
 

そりゃわたしたちゾウやキリンやシマウマじゃないから

生後1日目から立つわけじゃないし
虐待親や毒親じゃなければ
親の元に育つわけなんだけど。
 
お母さんの言ったことができない=自分は存在価値が低い
お母さんの言ったことができる、誉めてもらえる=自分は存在価値が高い

って思うのって 幼児期まででよくない?
 
でも、日本人って特に親への依存って強いのか
 
「お母さんの顔色や言葉(評価)によって
自分の存在価値を確認するくせ」
「親」の次は「学校の先生」
その次は「会社の上司」。
 
で、大人になって会社へ行って
仮に 人から認められるためにもんのすごいがんばっても
定年して、無職になったら、
「自分はもう仕事も無くて、年金暮らしで、人様に必要ともされていないから価値がない」
 
って
 
思い込む人があとを絶たないわけでしょ?
 
そりゃもういくらでも死ぬわ。
 
「障害者や高齢者は助ける優先順位が低い」って
言っちゃう世の中ができやすくなるわそりゃ。
 
 
思うんですよ。
 
みんなして 乳児期から死ぬまでかい?
 

「いつまで赤ちゃんやってんの?」

って思う。

 

あのね 

 

「ひとりの人間」という存在にはね、

だれがなんといおうが

等しく

めっっっっちゃくちゃ価値があるの。

 

理由はひとつ。

だって

「この世にひとり」しか

いないんだもん。

 

「あなたの代え」は だれにも利かない。

 

よくさ、従事する職業の上で

「わたしなんかの代えなんかいくらでもきく」っていう人がいるけど

それはその組織の中でそうだったってだけの話で

 

あなたが死んだら

あなたの代えは この世のどこにも もういない。

 

なんでこれを

この世の中で

教えられる大人の人がごく少ないのかと思うよ?

 

だれがだれより価値があるとか

だれのことならバカにしていいとか

高齢者なら無視していいとか

障害者なら死んでもいいとか

無職だったらコケにしていいとか

貧困層ならバカにしていいとか

 

人が人にガタガタ抜かされて いいほどね 

 

誰の存在も

 

安くないんだよ。

 

この世のすべての人間が

速くそのことに気づけ
って思う。

 

「お母さん」という他者に
自分を認めてもらうことでこそ生存し

自分自身の価値を確認、肯定できる。


それは、「赤ちゃんの時代」で終わり。

そのあとは、自分を他の誰よりも認め

慈しみ
愛してあげるのは

「親」でもない

「学校の先生」でもない

「会社の同僚や上司」でもない

「友達」でもない
「自分」でいいの。

それが肚からわからないと

親の次は学校の先生、

学校の先生の次は会社の同僚や上司
高齢になって病気になったら最後は医者
「だれかに意見を伺うこと」

「だれかに認めてもらうこと」

あなたが生きる上での「生存の条件」になっちゃって

 

「こんなわたしなんかでも

生きていたいって言うのって『わがまま』ですか?

こんなわたしなんかでも

生きていてもよろしいんでしょうか?

わたしにはちょっと自信がないので

あなたがわたしの代わりに決めてもらえませんか」


だれからでも蔑ろにされる

同調圧力にすぐ負ける

『本当は』生きていたいのに

「わたしはもう年よりなので、若い人に呼吸器を譲ります」とか

「わたしは障害者で生きていても人様にご迷惑がかかりますから

延命をしないでもいいですよ」

とか

 

蔑ろにされたままで「言わされる」人生の最期になるからね?

 

「自分の意思」と

「自分の意思だと人から思い込まされていること」とは違う。

 

でも たとえばさ 今回のコロナ禍の中で

『本当の自分の本音』は

まだ生きていたかったけど

「他の人に医療を譲るのはいいこと」って

周囲の空気の圧に思い込まされたり

無理に思い込もうとしながら

亡くなった人が

少なくとも

医療崩壊のあった国の中にはいたのだろうなと思うとさ

 

自分のことみたいに涙が出てくるの、くやしくて。

 

わたしはね

すべての人に思い出してほしい。


あなたの存在
あなたの生命には価値があるって。

0歳の人にも100歳の人にも。

 

「こんなにもなにもできない

親にも一度も褒められたことのない

こんな なにやってもうまくできない

こんな 世話がかかるばっかりの

こんなわたしなんかでも

生きている意味なんてあるんでしょうか。
こんなわたしに、生きる価値があるなんて思えないんです。」

 

って ビクビク生きるのを

もう止めろ!って。

 

あなたがここに生きていることの価値に優劣はない。

 

「わたしには、わたしを生きる、価値があるんだ!!!

こんなところで、軽視されていい、殺されていい命なんかじゃないんだ!」

って

 

ほんとうは

あなたはわかっているはず。

 

自分の中から

声が聞こえたら

魂の中の燃える火を思い出せばいいだけなんだ。

 

それでもね

幼少期の親(多分特には母親)の影響って絶大でしょ?

そのせいで、

こじらせたままひきずって

大人になっても、ほんと40代、50代

ヘタしたら一生がかりで、60代すらすぎても

 

ちいさなこどものころに、親から否定されまくったり、

親にとっての良い子か悪い子かの「評価付け」をされまくって育ったり

何かの理由で「お母さんんのお母さん(顔色伺いやヤングケアラー)」をやって育ったりして

自己肯定感を養えない人もいるよね?

 

自分責め、最悪感

「言われたことがうまくできなくてごめんなさい」

「生きててゴメンなさい」みたいなのが凄く強い人。

 

そんな人はね、そのまんま障害負ったり病気になったりトシを取ったら

それもっと強くなるから(年取れば放置しても勝手に治るとかはないから)

 

どうしたらいいかっていうと

 

自分で自分のお母さんになるの。

 

傷ついたときかけてほしかった言葉。

ほんとうは話したかったこと。

ほんとうはやりたかったこと。

親本人に全部ぶっつけなくてもいいの。

 

自分がぜんぶ

ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ

心の声を聞いてあげて

泣いても怒ってもわめいてもほんと途中経過はなんでもいいから

自分ひとりで

ひとりの部屋で

向き合って

出したかったらノートに書くとかブログに書くとかしながらね

傷付いた日

辛かった日

あの日も

あのときも

あのときも

あのときも

 

ぜんぶ聞いてあげて できなかったことは叶えさせてあげるんだよ(・v・)

 

わたしは、歌の活動がそうだった。

最初はね、

両親にマジでまったく応援されてなかったからさ。

「うた?!お前音痴なんだから歌だけはやめとけよー」

「うたー?!えー?やめなよー 笑わせるなよー」

としか言われてなったんだよ?

 

でもね その期間(長かったですよ!)すっごく辛かったけど

わたしだけは、わたしがどうしたいかを知っていたから

 

音楽や表現の部分については

家族は一切、感性を育ててくれなかったし、

家族や親族的コネクションもなんもなかったし

応援もしてくれなかったけど

 

「(あなたの夢を守ることについては)

わたしがわたしのお母さんになってあげるから大丈夫。」

 

って

 

さすがにさみしいよなーって孤独を感じるときは

いつもね

自分で自分に言ってたの。

 

「あなたのやりたいことはわたしが叶えさせてあげるから大丈夫」

 

「あなたの意志は私が守るから大丈夫」

 

って。

 

そう思って生きていればね

必要な時は必要な声が肚から出せるようになるから大丈夫だよ。

 

「生きること」に

他者の承認なんか要らない。

 

あなたには

天寿まで自分を生き抜く権利があるの。

 

生命力を爆発させて、最後まで、生きる権利があるんだよ(・v・)

 

思い出して。

 

小さいときは、万人が知っていたことだと思うから、書きました。

 

今日もあなたのいのちと暮らしが

だれからも どんなこの世のしくみからも 蔑ろにされたり

無視されることなく

 

無事で 元気で いてくださいますように。

 

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