皆様へ

 

お元気ですか。


このたびは、12/22のうまれる うみだす芸術祭への出演キャンセル

FBにしか出演告知も中止の告知も間に合いませんでしたが

多大なるご心配と、主催の皆様には、ご迷惑をおかけいたし

出演のみなさまへも フォローいただき ほんとうにありがとうございました。

 

15日から突発的に 劇的に発症致しました

腸閉塞にてご心配をおかけいたしておりましたが、すべての治療を終えて、
27日に無事退院することができました。

 

ホント ついに 生きながら即身仏になったまま 

逝ってしまうかと思いました。

 

でもとても変な話ですが退院して

どすっぴんの やせて縮んで 

でも全身フルデトックスで

悪いものが体液から血から何から全部出て

つるるるるんと 二皮 三皮向けたような 

まゆげもまつげもないような

自分の顔を 

私はとても綺麗だと思いました。

 

たましいと顔が つるんぷるんとつながったような

感覚です。

 

我ながら 良い神になれたと思っています。

 

以下は、FBへ掲載した退院と年末の節目のご挨拶ですが

1年後

備忘録として 1年前大変だったけど 今年は穏やかだねと言えるように

わたしの癒しのために掲載します。

 

治療は、一週間の絶飲食
鼻から十二指腸の下のほうまで管を通して腸の中の廃液を抜く などで

 

身体が小さいので管が体内に入っている自体が本当に痛かったこと
 

背中のそくわん(骨のまがりかた)と、病院のベッドの傾斜やクッションの硬さが、

もう1センチないような、1ミリ、2ミリ、の違いなのですが、合わなくて

ベッドに眠ることができず
骨と皮と 自分の服やシーツのしわがこすれてあたると身体が痛い という初体験をして

「痛いー、、、、痛いー、、、!!お母さーん!!」
と 介助さんのことをお母さんと呼んで叫んだり

「どうせ死ぬならもう管を抜いてくださいお願いですー!」
と 精神錯乱したり
と毎日大泣きしました。 


目の前の30分
 

1時間
 

今夜一晩を生き延びる 長い 長い 長い 長い夜

 

一時的につわりのきつい妊婦さんがこうなったり
こどもでもおとなでも
ガンや白血病などの予期しない大きな病気を体験するかたがこうなったり

腸閉塞でも盲腸でも過労でもストレスでも
突発的になる人も

いるんだろうけれど

どれほど辛いか

 

知りました。

 

でも、辛い中にも、

知ったことは痛みの中にもたくさんあって

 

今まで心のどこかで

 

「今はまだいいけど
障害が進行して
介助が大変になったら
介助さんはそれでも
うちにきてくれるだろうか
続けてくれるだろうか
いつまで
どこまで
介助に入ってくれるんだろうか
どういった状態になったら
在宅生活をあきらめるべきなんだろうか」

 

自分の心の中でだけ考えて
不安になることもあったけど

 

1,2センチどころか
1ミリ 2ミリ 自分の手足が 自分で動かせない
 

トイレは紙おむつ
食事は全介助
 

カレースプーンは鉄アレイ
プラスティックの、コンビニのプリンについてくるようなスプーンを やっともてるかどうか

 

このような様態になっても

 

うちの介助さんは全員がわたしの介助に関して
世界一だし
 

実家の親だけじゃなく
家を出て


「介助さんたちと暮らす」
「自分の介助を自分で育てる」
(っっていいながらもお世話になってばかりですが)
 

これをわたしも あきらめなかった
 

介助さんたちも
単に給与がもらえるだけじゃない 思い入れをもって

「このだっこさんという人を、生かしたい」
という思い入れをもって
支え続けてくれた。

 

こんなに大きな 愛の中に生かされてきたんだと
知りました。

 

わたしも
介助さんも
わたしという重度障害者の暮らし方の実例を
あきらめなかったことの
ひとつの結実を見ました。

 

3年前
神奈川県の福祉施設 津久井やまゆり園で
重い障害を持つ人を故意にターゲットにした
殺傷事件があったとき
 

その犯人は
「障害者はなにもできない、人の税金で生きて、生産性がない、

車いすに縛られているだけで生きていてもかわいそう」と言ったけど、
 

そして「障害者を殺すことは正しいことをしたんだ」
と言ったけども

 

世の中の 人を生かそうとする現場には
 

介助も医療も

いつぞだれが
何で動けなくなっても

 

「殺そう」じゃなくて
「生かそう」とする人が

 

本気になって
最後まで
生かそうとしてくれる人が
こんなにいるんだよ。

 

わたしは
「殺そう」じゃなくて
「生かそう」とする人が
居る世界に生きる。

 

最後まで。

 

全介助・完全看護の病室で、誓いました。

 

今年は、8月に、「自分の中の、善玉菌、悪玉菌みたいな、

なんらかの常在菌が悪さをして、

自分で自分を攻撃してしまう、免疫不全と思われる」という特殊な肺炎になってから、

そのときに、徹底的に点滴で打った抗生剤なども
ちょっといまだ効きすぎているのか(?)

 

最高に楽しみにして
かっこよくキメて締める予定だった
うまれる うみだす芸術祭の出演キャンセルで
 

入院で締め。

 

調子よく走っているはずが

自分だけ背中を蹴られて落とし穴にバタンと落とされるような


楽しいこともあったけど
入院の多い年でした。

 

もともとの難病である
ウエルドニッヒ・ホフマン症の進行や
加齢による体力の変化

 

向き合いながら 

丁寧に暮らしてゆこうと思います。

 

難病をもって そのことを書いたり話す場合
 

自分が半端なことを書くと
 

ファン層でもない
 

『安全圏から茶を飲みながら人の不幸を見ていたい』
というどうでもいい人たちの層 に
囲まれてしまうことがあり

 

自分自身が
「かわいそうでいれば人に応援してもらえる」という
<悲劇のヒロイン中毒>
<不幸中毒>に陥ってしまうこともあり

 

わたしはそういったことが反吐が出るほど嫌いなので
(ほんとうに吐いちゃうよねえ)

 

何が辛かった
あれが辛かったと

治療の経過なんぞ書くべきか迷いましたが

 

でも

「それでも、生きる。生きた。」

という、自分の記録として


また、どうでもいい 通りすがりの人ではない、
本当の 朝霧 裕のファンの方や

 

ここを見て

私も生きようと 励みにしてくれるかたが

一人でも二人でも
見てくださればうれしいなと
この数日の生きた記録を、書いて置くことにしました。

 

今わたしは
まだ介助さんに自分で家事・炊事の指示をするところまで体力が戻らないので


24時間介助さんにもいていただきながら
両親のいる実家に帰ってきています。

 

ついにいよいよ
親にまで
 

介助さんにね
ベッドから車いすに抱き起こしてもらい
乗り移るときとか
 

「ご本尊様つれてきて」
「ご神体様がトイレいきたいんだってよ」
と 呼ばれています。
・・・ ・・・神の誕生です。

 

ほんとうに痩せてしまったので
まずは体重が少し戻るようにがんばります。

 

みなさまも

どうか

 

健康で

 

楽しく

 

良いお年をお迎えくださいませ。

 

これに懲りずに

まただれかライブに呼んでね。

 

2019.12.30 朝霧 裕