みなさまへ☆

お元気でおすごしですか。

去る10日、日曜日は、埼玉県三芳町の中央公民館にコンサートへ行ってきました!

 

昨年9月に発起人として開催いたしました最終回 彩の国ゆめコンサートのクラウドファンディングを応援いただいた皆様への
御返礼企画を兼ねたコンサート。マリンバも含む、3名チームでゆきました。
(実行委員長や介助さんも入れると6人チーム❤)

 

 

 

最終回彩の国ゆめコンサート
クラウドファンディング御返礼コンサート企画

mamacare法人化記念イベント
朝霧裕コンサート
「みんなにひとつのたからもの」
出演 朝霧 裕(うたとおはなし)
奥野裕介(ギターサポート)
高瀬陽子(マリンバ)
主催 NPO法人mamacare

 

 

 

主催のママケアのみなさまは、さまざまな障害をもつこどもたちのお父さん、お母さんが中心です。

特に医療行為を必要とするような、重度の障害をもつお子さんのお母さんたちが、ちょっと一息、一杯のコーヒーを飲みながら
同じような体験をもつお母さん同士で語り合えたり

障害のある子とない子、どちらもが気軽に出会い、交流ができたり

 

地域での交流の拠点をつくりたい、と、数年前から有志で活動され、このたびNPO法人化なさった
その記念のお祝いの会にお招きいただきました。

 

生まれつきウエルドニッヒ・ホフマン症(進行性脊髄性筋萎縮症)という難病をもって生まれたわたしも、

3歳くらいまで、ミルクをごくんと飲みこむ力がなかったので、鼻から胃まで管を通して、けい管栄養を入れてもらって育ちました。

見えますか?鼻のテープ↓(・v・)これはたぶん1歳くらいのときの写真です。

(あれ、2さいかな?)

 

 

これ4歳くらいでしょうか?動物が大好きな子供でした。(今も動物だいすきです。)

 

 

わたしの母は、障害があるからと、わたしを世間に隠すようなことはせず、とてもよく外にも連れ出してくれました。

ですが、体が本当に弱くてすぐにかぜをひいては熱を出し、トイレも着替えも、障害のない子ならば

年齢が上がればできるようになるものですが、

介助も大変なので
わたしの子育ては、母の立場に立って思い返すと

本当に大変だったろうと思います。

 

22歳で実家を出て、当時の支援費制度、現在の重度訪問介護という制度を使って、
介助さんと暮らせるようになるまでは、

まだまだ駅にエレベーターもめずらしかった時代背景の中で
家族の支えなくしては生きられない、
大人になるまでの、長い長い時間も必要でした。

 

現在では、在宅で家族と暮らしている方々も、

介助さんを利用できるようになり

訪問医療も発展し、家族の負担も昔よりは軽減をされているのか、

現在の、特別支援学校や、普通学校の中の、支援学級はどのような様子か、

現代のこどもたちやお母さん、お父さんたちに、お話を聞いてみたいなあというきもちは常にあります。

 

 

障害をもつ子を育てているお母さんたちの多くが

一度は「なんでうちの子だけが、、、、」と障害のない子と自分の子をどうしても比べてしまって

自分だけが暗い穴に落ちたような気持ちがする、と子育ての初期にはおっしゃると、

実際に、ご本人からの言葉もお聞きすることもありますし、

障害をもつ友人や、介助等の支援に携わる仲間から聞くこともあります。

 

ですが、障害をもつわたしたちが生きていることで

どれほどたくさんの介助や医療に携わる人材に雇用を生んでいるか。

 

街の中に姿を見せることで

一段の段差をスロープに

ベビーカーを押したお母さんや妊婦さん、杖をついたご高齢のかただって

上りにくい階段をエレベーターに

 

「人と違ったら排除」

「動けなくなったら終わり」ではなく

 

「どんな体 どんな心に生まれても

どんな状況下でも

『その人』がありのままで

生きやすい社会をつくること」に

存在し、生きてるだけで

社会貢献をしているか。

 

障害をもつ仲間たち

そして その横を共に歩む障害の有無を問わない仲間たちは

 

心をふくめた、バリアフリーを生み出していく先駆者であると思っています。

 

よく彩の国ゆめコンの実行委員長だった大野さんと語ることですが、

できるにマルを

できないにはバツをつける社会を

わたしたちは変えたい。

 

だって、「できない」があるから

「だったらこうしたらどう?!」というアイデアが生まれ

商品が生まれ雇用が生まれ

 

「困ったときはお互い様❤」

 

「だれだって、できることとできないこと、その両方があるじゃんか」

 

と言い合えるまあるい社会が生まれるの。

 

そんな街づくり、社会づくりのために

どうぞみなさまの知恵と力をわけてください。

 

わたしも、人と人との懸け橋になれるような歌を
だれかとだれかが会うための目印になるような活動をしてゆきます。

 

 

本コンサートを以って、彩の国ゆめコンサートにかかるすべての事業が終わり。

 

今後、ゆめコンの実行委員長だった大野さんとの共同企画は、

去る7月22日にさいたま市のギャラリー彩喜にて第1回講演を開催しましたスマイルシードプロジェクトに引き継いで、

音楽ライブだけでなく、お話しの講演、来てくださるかたもしゃべれる交流会(オフ会)など、

体力や生活に無理のない範囲で続けてゆきます。

mamacareの皆様、本当にありがとうございました!!!

 

三芳町、実は、車で通りかかったことはあるのですが、はじめて降り立ちました!

歌を通して、すきな人や街が増えて幸せです。

 

 

朝霧 裕エッセイ4冊目。
車いすで遭った東日本大震災の体験。
一人暮らしの家の中で起きた介助者からの虐待と再起の経験。

「自分を生きたい。」すべての人に届きますように。

 

 

★次回ライブのご案内(11月15日、16日 北海道北見市へ!)★