みなさまへ☆彡

 

おげんきでいらしゃいますか(・v・)

 

今日わたしのブログをはじめて見てくださった人は

 

はじめまして。

 

朝霧 裕といいます。

 

あだなはだっこです。

 

階段や段差を お姫様だっこで介助さんに抱えてもらって移動するからだっこ。

 

わたしには、ウエルドニッヒ・ホフマン症1型 という 生まれつきの難病があって

そのために 立つこと 歩くこと 重いものを持ち上げることなどができません。

電動車いすにのっています(・v・)

 

22歳まで埼玉県比企郡滑川町というふるさとで暮らして

そこから先は、親元を出て

年度により入れ替わりもありますが、毎年、十数名の介助ヘルパースタッフさんたちとともに

さいたま市に暮らしています。

 

幼いころから 書くことや歌うことが夢で

家を出てからは 詩を書いて歌ったり

エッセイの本を書いたり

表現活動を仕事であり生きがいとしてきました。

 

いろんな街へ行って いろんな人に出会いました。

 

歌やエッセイの収入のお金だけでは生活ができないから

わたしの暮らしは 障害基礎年金という年金をいただいて

どうしても足らないところを生活保護を受給して

歌やエッセイや 講演で収入があったときには 区役所に申告をして暮らしています。

 

障害や病気を負ったから人生ぜんぶが絶望だということもないし

こういうふうにも暮らせるよということを

多くの人に伝えたいと思っています。

 

これまでいろんな街で歌いましたが

来月 はじめて 沖縄県南城市へ行きます。

 

2泊3日だから

介助さんの足腰の安全を守るためにも

介助さんがどうしてもふたり必要。

 

でも公的に出せるお給料は

わたしの場合はひとりしか介助をつけるのを認められていないからひとり分。

介護事業所も わたし 介助さん 事業所 そして法律の順守

すべての折衷案を見つけるために 介護事業所のご苦労も たいへんです。

でも わたしの暮らし 介助さんの働き方 両方によりそって

なんとかいっしょに 

「あきらめる」

ではなく

「行ける」

ほうへ 舵を切ろうとしてくださいます。

 

障害者でオンナがひとり。

まあ性別は男性でもたぶんおんなじだけど。

生きていくのはほんとうに大変です。

 

あの法律この法律その法律

(介助の法律 生活保護制度の法律 労働基準法の法律)

みつどもえ よつどもえの中に

常に介助者たちとの生活があって

 

介助さんと自分とを

お互いがお互いに

守り合えないと暮らせない

 

かといって

過剰にびくびくしてしまい

及び腰ではなにもできない

 

でも

歩ける人とおなじような

介助の一切要らない

「ただの自由」

たとえばそれは

 

今日晴れていたから

思い立って

ひとりで

沖縄に飛行機に乗って行っちゃおう

 

これが

 

できない。

 

レアな人生だから

楽しくもあるけど

 

ほんのたまには疲れて

ふっとこころが

暗闇のほうへひきずられて

 

「なんでこんなに

まあたとえばいきなり沖縄とか北海道とかではなかったとしても

 

『ただ出かける』

だけが

 

障害者になったらとたんに

(わたしは障害は生まれつきだけどね)

 

たいへんなのかなあ、、、、、」

 

出かけることも

講演やコンサートも

「なんかもうこれ、いっそあきらめちゃったほうがラクじゃん?」

と 思う瞬間が

 

あることに負けそうになることがある。

 

それで沖縄のコンサートも

準備期間の中で一回

 

ほんとにね わたしが あきらめそうになったの。

 

介助の法律に対して

わたしの動き方がたぶん特殊なだけなんだけど

 

「なんかこれもうなんにもしないほうがラクじゃん

もうぜんぶ投げちゃおうかな

朝霧 裕やめちゃおうかな」

っていうくらい 捨て鉢みたいなきもちにね

 

自分の日常の中で 

「生きて動くことのために、交渉がいること」

に 疲れ切っちゃって

なったの。

 

あと

「あなたみたいな重度障害者でも

ここまでみんなに協力してもらって

動けているなんて、それだけでもありがたいことだよ。

(だから常にありがたがれよ。)」を

社会のいろいろな場面で強要されやすいことにマジで疲れちゃったの。

 

そりゃもちろん、ほんとにありがたいし感謝もしているんだけどもさ。

 

介助制度って「お恵み」じゃないし、

 

本当の感謝って

 

「常にありがたがれよ?」って

人から圧をかけられるものではなくて

 

内から湧いてくるものでしょ?

 

介助さんとのひとり暮らしや

音楽活動を続けることを

去年一回 ちょっとあきらめそうになってね。

 

「一回あきらめそう」 なのか

「一回止めてみたい」と思ったのか

(両方かしら)

 

ウルトラネガティブな時期があったのですよ 去年に一度。

(今振り返ると鬱状態だったかもしれない)

 

でも一人暮らしは一回止めたら最後だし

(これはもう動物的本能よね。生存本能。)

 

その 一番かなり悩んでた時に

主催のね 優花さんやモクさんのことばを思い出したんだよね。

一番最初に浮かんだのはモクさんに夏に初めてお会いしたときの言葉だったな。

 

「ぼくは、失礼ながら、車いすユーザーのかた、身体に障害をもつ方と

相対して、お話しをさせていただくことが、人生で今日が初めてなんです。

学校にも、職場にも 身近には いなかったです。

だから、なんにもわからないから、障害のことをなどを聞いてなにか言葉足らずで

だっこさんを傷つけてしまったり、失礼なことを言ってしまうことがあるかもしれないのですが

ぼくのような人に

障害のある、ないを越えて

『こういうふうに、歌を歌ったり、活動しているすてきな人がいるんだよ』ということを

ただ知ってほしいんです。

知らなかった同士が 知り合うきっかけを作る。

ぼくに今できるのはただそれだけだけど

福祉や介護を、知らないからなにもしない

知らないから何もしてはいけないということはないし

知らないから 知る努力をする

ということで いいと思っているんです」

 

と いうような 一言一句こうじゃなかったかもしれないのですが

趣旨内容のことを おっしゃってくださって

 

「ぼくは、失礼ながら、車いすユーザーのかた、身体に障害をもつ方と

相対して、お話しをさせていただくことが、人生で今日が初めてなんです。」

 

ということばは

 

わたしの中で

なぜか燦然と輝く御守りのようなことばになっている。

 

「ああ、こういう出会いのために、わたしはたぶん

うたをうたっているのだし

わたしはたぶん 朝霧さんをやっている必要があるんだな」

と。

 

その日 そのときね わたしをもうひとりのわたしが観察して見ているような

不思議な気持ちだったの。

 

障害者だからといって

その人の

まわりに集う人間関係、そばにいる人が

全員福祉の専門家ということはないし(そんな世界があったらこわいよね)

 

とくに歌や表現の活動について

「ぜったいにここであきらめちゃいけない。」

と 前を向くときその力を後押ししてくれるのは

むしろ介助や福祉の専門家でない人であることも多い。

 

介護事業所の介助さんにできること

介助の制度のその中でできること

制度外であればできること

むしろ 友達であればできること

無償ボランティアだからこそできること

立場や状況により

 

いろいろな人との つながりの中で はじめて 外出できる範囲

できることの質が拡がっていく。

 

モクさんは

「僕がすてきだなあと思う人をみんなに知らせ広めたい」

という思いと力の物凄く強いかたで↓↓↓


有名無名を問わず、社会に風穴をあけるような活動や、表現活動をしている人をどんどんまわりの人に紹介してくださるし、

「この人とこの人が手を携えたらすてきだな」

という人をつなげてくださる。

 

「介助の法律はああでこうでそうで

生活保護制度の法律はああでこうでそうで

労働基準法の法律はあれがこうでそれがこう」

 

 

どこの県へ介助さんと行くにも(うちはさいたま市で、さいたまと東京くらいは困らず行ける時代にやっとなりましたが)

介護事業所と話し合い

行政と話し合い

外出のしかたを考え

現行の法律の中でどうできるかを考え、、、、、

 

と 介護福祉の専門家ばかりの中で頭を突き合わせていると

だんだん頭が煮えてきて

 

「なんだこのやりかただってあったじゃーん!!!!!(・v・)」

 

という 実はウルトラCがある ということも 制度上 あったりするのに

気が付けない なんていうことも あるかもしれないところ

 

「ぼくは、わたしは、介助や福祉はやってません(^▽^)」

という人が間に入って

 

「ほら、やっぱりできたじゃん!」

 

となることも 経験上 生きる上で ほんとうに 大いにあります。

 

「こうすれば 外出しやすさ

暮らしやすさ

生きやすさが拡がるじゃない?」

 

という幅を ひとつでも 拡げる

ひとつでも多くの前例を作る

 

日本人は「前例があるか/ないか」に弱いから

 

「あの人ができていました。

なのに、わたしはあきらめなければいけないのはおかしい。」

 

だれかが いつか 生きる上で必要になったときにわたしを使ってくれる。

 

そうなりたい。

 

介護福祉の専門家とも

そうでないたくさんのいろいろな 職業や 知恵のある人とも

どちらかとは敵対をするのではなく手に手をとって。

 

これはわたしだけじゃなくずっとずっと

何万人の障害当事者の人がつないできたバトンなんだと思う。

血縁ではない、障害当事者というアイデンティティの中にあるDNAみたいなバトン。

 

だれかが生きて死んで

だれかが生きて死んで

わたしも生きて死ぬし

モクさんの記事の中に登場するパステル画家の辻友紀子ちゃんも

今、生きて

いつかは、死ぬし

でも、その一度の今生の中で

 

できることをやった姿を残しておけば

 

いつかどこかで

自分と同じようなことで悩んで

同じようなことで不自由を感じているだれかが

 

「あの人がああやって生きている姿を見たからわたしもできる」

と わたしのことや 自分に重ねて見られるようなだれかの姿を使ってくれる。

 

わたしは こういうきもちのバトンを

足指で綴るエッセイストの小山内美智子さんや

ジャーナリストのみわよしこさんや

社会福祉法人ありのまま舎の 山田富也さんや

おなじくエッセイを書いたり 人権活動家の海老原宏美さんや

 

友人としての画家の辻友紀子ちゃんや、ゆめコンの実行委員長のかずちゃんにもらった。

 

わたしも

だれかに知らせたい。

 

わたし自身のことも

障害の有無に関わらず、今生で会えた、わたしのだいすきな人達のことも。

 

「何度でも区役所へ交渉へ行って

何度でもだれとでも話して

沖縄の次はもしほんとうに北海道から依頼がきても

『あきらめる』じゃなく

行ってやる。」

ふつふつと心燃えていたところに

 

モクさんがゆきちゃんのことを書いてくださっているのを見て

 

自分があきらめさえしなければ

 

味方は多いなあ

 

 

感動したので ちいさいまつりの おおきな懸け橋 

モクさんのご紹介を 含めて書いてみました(・v・)

 

これからも

「外出介助について」や

「うちの介助について」や

「生活保護について」や

 

「ほかの当事者のかたのことは

みんなおんなじというわけではないからわからないけど

わたしの暮らし方は、こうだよ?」ということや

 

「イマココ」

「これを体験してこう感じてこうだった」

ということは

できるだけ 書いていきます。

 

ちいさいまつりや いろいろなライブで お会いできるのを楽しみにしています。

 

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