みなさまこんにちは☆彡

お元気でおすごしでいらっしゃいますか。
わたしは 歌 歌 歌の日々です。

このごろブログを書いておりませんでしたが
ゆめコンの準備に取り組みながらも 他の企画なども ご縁が連なって動いており
日々の中であらためてやってきたことの振り返りをしていました。

今年、そして来年は、これまでの
「現実は心に反映して作られる」
という(自分の中の実証実験が目に見えて実る年になりそうです。

見直したら、わたしがこのブログをあけたのは震災の翌年2012年でした。

昔、私には、在宅生活の中で介助さんから心理的虐待を受けた経験があります。
あとにも先にも、自分の魂をこれ以上に虐げた日々があろうか、という約3年を過ごしました。

それが、2011年の震災の直前くらいまでにすべて解決し
(もうこれは、何度書いてもすべてが神様のお計らいとしか言えない。)

2011年3月11日に東京で
「やっと今から ここから 
本当に自由に生きられると思っていた矢先だったのに。
今ここで絶対に死にたくない!!!」
という命の底から燃え上がるような気持ちを全身全霊で体験。

「ここから、ゼロから生き直す。」
と 当時自分に誓いを立てて 今があります。
(本当にあの日に死ななかったこともまた一生の感謝です。)

でも 2018年の今だから より言葉にして振り返ることができるのですが、
当時には「ここから、ゼロから」と 思っていたことでさえも
ゼロやマイナスになったわけではなかったんですね。

人生で幾年かは暗い闇の中と思っていた月日があったけれど、
「それ以前の毎日」だって、私は私だったし
精神的に追い詰められた状態ではない、冷静な自分に立ち返って見ることができれば

だれがなにを言ってこようが
生まれてこのかた
「人は人。わたしはわたし。」
だったんです。

私だから、私を愛してくれる人もいる。
わたしの場合は、家族とか、本当に近い関係の友人とか、
著書や歌の本当の本気のファンのかたなどです。

私だから、私を嫌いだという人もいる。障害者だから、とか、生活保護のくせに、とか、ブログの書き方がむかつく、とか、
そういうようなことです。(←嫌なら見るなよと思いますけど。)

それで
今にして
「自分の人生として、やりたいことはやってきた。」
と 言える人生は強いな と 思います。

自分で自分を誉めるなんて、心がザワザワしてしまって
なんかこう、書くことに抵抗があったんだけど

今にして誉めてあげたい。

「好きなように生きてきました」

と 言って 見せている体現者の人だけが

話したり ものを書いた時一番強い。

強い、っていうのは、「説得力がある」ということです。
その説得力を持っている人だけが
ものを書いたときに影響力を持ちます。

何年か前に<ドリームキラー>とか<エナジーヴァンパイア>とか
人の夢や意志を奪おうとする者 を表わすキーワードがネットで話題になりましたが

<毒親>もそうだよね。

<毒友>もいるかも。嫉妬から足をひっぱる、とかさ。

そういう抑圧というか、
人間個人の「生きる力を奪おうとする他者の力」に負けなかった人は強いね。

「自分以外の人のご機嫌取りのために行動を決めてしまう自分」
「顔色伺いをしてしまう自分」
「好きだと思う相手だからこそ、嫌われるのが怖いと思う自分」

「育てた恩を忘れるのか とか 親の言うことが聞けないのか」
とか これは 夫の 上司の プロデューサーの 家族でも仕事でも なんでも当てはまるかも
そういった
「もっと自分になりたい自分を 所有物のように手元(場合によっちゃ足元っていうかね)に
留めておいて動けなくさせるだれかの存在・・・ ・・・に・・・・負けそうになる自分」

自分をごまかせば楽。
自分に嘘つけば楽。
その場はしのげる。
その場は事なきを得る。
ことを荒立てないで済む。
裏切者とか言われないで済む。
嫌われないで済む。

でもそんな相手好かれたいかよ?

自分の心の底にある本当の声を、絞め殺さないで生きた今日までの自分と

日々の小さいところから 

自分の心のほんとうの声を聴いて
(ほんと、今寝たいとか 今ごはん食べたいとか 今は食べたくないとか、
今外へ出たいとか 今は外へ出たくないとか、ほんとに小さい、小さいけど一番大きい、そういうところから)

セルフセラピー的日々を生きてる

自分の魂を生きようとしている

すべての人を私は本当に本当に心から尊敬します。

自分自身が、過去の人生の一幕でまさか虐待事例に当たった、という体験のあと
私はそのことをエッセイに書き、それは売れて、
全国に同じような・・・・・・もしくはもっとさらに酷いにわかには信じられないような体験を過去に持つ人、
もしくは「今まさにその地獄の中にいるので助けてほしい。」という声を身の内に持っている人が
想像以上にいるのだと知りました。

その中には、ばんばん テレビに出て活躍してるような
「え?!まさかあの人が?!」という障害当事者の方も複数人いました。

私は、自分がどうして、大変だった当時、「誰にも相談しなかったのか」ということを振り返り、

「嘘をついているとか、大げさに言ってると思われたら」
「通報して報復をされたら」
「最初の1日からこんな関係性ではなかったのに、私にも悪いところがあったんじゃないか」



自分が心の中で たったひとりぼっちで悩みすぎて考えすぎて外に対して言えないうちに
どんどん状況を家の中という密室で悪くしていったことを思い返し

「とにかく、わたしが、声と声、人と人をつなぐ<場>になろう」と思いました。

わたしが、本やこのブログを読んでいただいて寄せられたすべての声に
個人的に電話でおしゃべりをしながら答える ということはできませんが

障害者虐待に詳しい弁護士さんだったり
「こんな法律の本(障害者虐待防止法の本)あるよ!」という紹介だったり
自分が知っていることはここに紹介できる と思いました。

それから

「とにかく、『助けて!!!』という声は外に向かって遠慮はなしで出してください」
ということと、

わたしも体験者だけど

今は、こう生きてるよ

という体現者として

外へ出ていようと思いました。

特に長時間介助を要する人にとって
どんな介助さんが自分の家の中に入るのかによって
人生の質のほぼすべてが決まってしまうのだということ。

その意味では、「介助体制を含めた意味での住環境が、すべて」と言えるほど
「生きたい場所にいたい人といること」が大事であるということ。

たとえば、親元から一人暮らしになって
最初の最初の1日目から
いきなり1000%理想通りではなくっても
1歩ずつ
「わたしはこうありたかったんだ。
こう生きられる毎日の中にいたかったんだ。」
という日々に
あきらめず
近づけ
ということ。

自分を蔑ろにしないこと。

少しでもできたら

うんとうんと自分を ほんと こころを抱きしめるような気持ちで
いいこ いいこ と 自分自身で うんとほめてあげること。

現実は自分自身の思い通りに絶対に創られていく。

自分を、ごまかしたり、嘘ついたり、殺したら殺したように。

解放して 自由に 思い切り 一度や二度の失敗なんて恐れずに
勇気をもって 生きれば生きたように

自分の思いは

絶対に天まで届いて必ず自分に還ってくる。

それをね、もうこの実証実験を自分を使ってやっている実践者のかたって
たくさんいるけど

その たくさんいるんだ って 知るより前に

2011年に 決めたんです。

今8年目。

でも

たとえば

エッセイが、それまでの本よりは売れたにしても何十万部のベストセラーではなかったし

ブログアクセス100万件 とかでもないし

「わたしはダメなのかな。
自分の望む、結果を出せないのかな。」

と 今日までの間には

「目に見える結果が欲しい」と

影響力の少ない自分に絶望したり 自分責めをして一睡もできなかったりも したわけ。
それは

まわりがどんなに誉めてくれても

「自分が望む自分」
「自分が見たい自分」

を 自分が自分で見られるかどうかの 自分との勝負なんだよ。

いや ごめんね 自分 自分ってこんなに書くと 読みずらいけど(-▽ー)

ほんとにそうなんだもん。

基本、誉め言葉は謙遜しすぎず素直~に受け取るほうがいいって思ってるけど
それはほんとにただ「純粋に受け取る」で
「自分ごまかし」に使ったら意味がなくなっちゃう。

だから

「こう感じた。こう考えた。
こう動いた。
これを創った。
そして結果はこうだ。
得られた成果はこうだ。
学んだことはこれだ。
改善点はこれだ。」


と 自分の心の中でだけやる 地味な遊びを 7年くらいずーーーーーーっとやってきたんだけどね。

一度目が、2011年で

二度目が

ゆめコンの日を境目にして
今年と来年だな

という

自分の中の「7年と約3か月の心と行動の流れ」が

繋がって

「繰り返し繰り返し 夢にまで見た なりたかった自分」に なる
神様からの許可をもらった

と 思えたのが わたしは 今年でした。

人生には それに別に(そのことばに)
縛られることはないのだけれど 

でもやっぱり その人の「天命」みたいなのが

だれにでも ひとつはぜったいにある(・v・)と私は思ってるのね。

それで、やっぱりそれは、私の場合は、私であること だと思ってる。

朝霧 裕という芸名(?ペンネーム?)を自分でつけて
歌と執筆の表現活動で世に出る、私になったこと。

「ああ、本当はやりたいのにあきらめる(たとえば、介助さんがいないからとかで)、
という選択をしなくてよかった。
朝霧を、守ってあげられてよかった。
長かったけど、途中で、止めなくてよかった。」

と 今年の今月ほど(^▽^)

人生で思ったことはなくって。

ほんと。

「朝霧 裕です!\(・v・)/」

って 一番はじめて人前で言い出したとき18歳か19歳で(18だったかも)

そのトシじゃ バンドとか 歌手になりたいとかって 親だとか年長の方から見たら

「10代の夢」じゃん?


ほんと その日 その時 その瞬間に 
「なんであんた本名じゃだめなの?(-▽ー)」とか
「うたはへただからやめとけ。お前、蚊の無くような声なんだから」とか
両親にハナで笑われてから

自分で自分に よくがんばった・・・ ・・・と思うまで 20年かかった。


でも別に年数賛辞をしたいわけじゃなくって
(だってわたしこんなトシまで生きてられるのが奇跡だし)

「ああ、よかった。
ほんとうに、生きてきてよかった。」
って

年齢が何歳だろうが 身体的になんだろうが

だれもが 苦労を経なくても

ほんともっともっと頻度高く思えるような 喜びを受け取れるような
社会づくり そういったものが もしあるならば

そこにわたしは 参加して 生きていたい。

自分の見たい世界 居たい世界を 作り出した結果 それがまた誰かの生きる力へ

なっていく人生を選びたい。

選んできたし、これからも。

なんかね

「人生の本流を生きる」

っていうワードが 子宮の真ん中 丹田の真ん中 胃のふよりやや下(-▽ー)にずっとあって

心があったかい。

腹くくってもうあとは神様にお任せ。


こんな気持ちで、生きているこの頃です。

 

朝霧 裕エッセイ「バリアフリーのその先へ!-車いすの3.11」(岩波書店)

「自分を生きたい」すべての人に届きますように!

 

自分の生きたい世界を創る。セルフセラピー、量子力学、見えない世界

制度内の介助以外の仲間をつくる。

そんな思いや話題に関心があるかた、

オンラインサロン形式のファンクラブ。わたしではなく、みんなが主役です。

★朝霧 裕オフィシャルファンクラブ「陽の下会」はこちらから★