みなさまこんにちは☆彡

 

お元気でいらっしゃいますか。

 

先週のことになってしまいましたが、大東文化大学へ講演に行ってきました。

70名くらいの生徒さん、

社会学概論 90分を2コマの特別授業。

 

先生の考えてくださった授業のメインテーマは、

<地球時代の共生社会>。

 

わたしの演題は

<バリアフリーのその先へ!-いのちを楽しむ社会づくりー>

でした。

 

授業のメインテーマ、地球時代の共生社会、、、。

 

いやー、もう、なんっていい言葉だと思ってね!

 

だってもう

 

「これしかない」

 

って感じじゃん?

 

わたしは、生活に24時間介助を要する障害当事者で

しかも 生活保護受給者で

 

でも 講演家で

シンガーソングライターで

作家で

ファンクラブがある「女性の個人」です。

 

もう、いったいこの人なんなんだ?????と思うでしょ?

 

わたしも思うよ。

 

でも、特に生活保護の当事者や、

お金のことで困窮している当事者のかたなんかは、

それらの要素を「恥(世間様に恥ずかしい)」とか、

「人様の税金で生きていて『申し訳ない』」とか

思い詰めて

言えないでいるかたが多いけど

 

結局

 

どんな人生 どんな経済的な状況に今ある人も、

家庭の状況に生まれた人も

 

「じゃあ、なんのために わたしはわたしとして 生まれてきたの?」

 

一生涯苦しむためじゃないし

 

苦しまされるためでもないんだよね。

 

アイツ車いすだからいじめようぜ とか

あの家は生活保護だから仲間外れにしようぜ とか

 

そんなのって もう 古いんだよね。

 

これは、世代が下へ下れば下るほど、共通の感覚として、わかってること。

 

「なんのために

 

社会福祉があるの?」

 

って言えば

 

だれかが困ったら 使うためだし

 

『あなたが』 困ったら 使うためだ。

 

ブラック企業に入っちゃって法外な低所得に陥ったとき。

 

ガンや大病をして失職したとき。

 

親の介護を振りかぶって仕事が立ち行かなくなったとき、、、、。

 

シングルマザーで、お子さんがいて、働くのが困難な状況になったとき。

 

介護制度もそう。

 

生活保護制度もそう。

 

障害や大きな病気の当事者になったときに支給される障害基礎年金もそう。

 

困ったときには

 

わたしも使うけど

 

あなただって どんどん 使うためだ。

 

そして特に介護は、

 

誰かが使えば使うほど

 

働き手として携わる人

 

介護事業所も増えていって

 

そこに働く人の労働環境や福利厚生をよくしようという

意識も高くなるし

 

伴って介助を使う人にもより生活をしやすい質にもっていこうという意識も

 

相互に生まれる。

 

障害=バツじゃないし

貧困=バツじゃないし 

 

いろんな人がそれぞれの立場から生きているから

多様の中で

社会が(勝手に)どんどんよくなろうとして よくなっていくんだよね。

 

リクツではわからないけど

<集合意識>みたいなところで 

 

<共生社会>っていうこの感覚

 

<命を楽しむ>っていうこの感覚が

 

解っている人から

 

本当に 個人の暮らしが 良くなってゆくんだよ。

 

人の助けも お金の豊かさも 拓けてくるの。

 

たとえば

身体的に動けて歩けてトイレ介助もいらなくて一人で何でもできて

もっともっとお金も豊かにあって

 

そうすると

「何がいいのか?」

って考えるとそれは

「人生の自由度が増すこと」

でしかないと思うんだ。

 

でもそれって

妄想するしか

今のわたしでは

「絶対にできないの?」

って自問すると

 

手段はあるんだよね。

 

だから できるんだよね。

 

介助は、社会制度があるんだから、介助さんに頼んだらいいし

 

お金は、ある制度は使えばいいし

それでもまだ 自己実現には まったく足りない と思うのなら

お金がある人からもらえばいい。

 

もちろん、行政の方々とも相談をしながらだけど

わたし ファンクラブできたし(!)

クラウドファンティングチャレンジなんかも

 

「相談なしで勝手にやっちゃった」

じゃなくて

事前に相談に行って

あとね 収入・支出の明細がちゃんと出ていて 毎月申告をしていれば

やみくもに理由なく

あなたは生活保護なんだから

あれもやっちゃだめ これもやっちゃだめ

全部ダメ とは ならないし

 

むしろ 行政の方々だって

友達だって

介助さんだって

ネット上で知り合った人だって

 

自分が本気を賭けて発信していれば

 

みんな味方だよ。

 

みんな敵じゃないよ?

 

<共生社会>って

 

身体の不自由は介助さんの人力やハイテク機械(たとえば電動車いす)の力で補えばいいし

 

お金の不自由は、福祉制度を使えばいいし

 

それでも足らなきゃある人からもらえばいいし(たとえばクラウドファンティングとか)

 

そうやって

 

「手を分ける」

 

ってことなんだよね。

 

自分の困難を(たとえばお金ないとか、就労困難とか、自分には障害や難病がある、とかも)「恥ずかしい」と思ってるうちは

もうほんとに

にっちもさっちもいかないところまで本当に追い詰められるけど

 

恥ずかしかろうがなんだろうが

 

「私、生きるからね。」

 

って 決めて 自分の心の手

 

そして他者の手を がちっと握れるようになったら

 

あとは もう自動操縦、自動書記。

 

もう すべて 神様のみぞ知るところ。

 

必ずね 「ひっぱられる感覚」があるからね

 

そこに乗って

 

他者の手を(自分が不快感・「気持ち悪さ」を感じたとき以外は)

 

はねつけて突っぱねなければ

 

必ずや

 

親 行政 介助さん 時として友人知人

 

全部敵 ぜんぶ

「ほんとはどう思ってるんだろう?」

「ほんとはわたしのことキライなのかも?」

「口ではああ言っていたけど ほんとはイヤだったんじゃないかな」

そんなふうに

 

<信じられなかった>世界が

 

ぜんぶ真逆に反転して

 

ぜんぶ「味方」になるからね。

 

わたしね 人が人として 一番最初に

生きてきてやらなきゃいけない 唯一のことは

自分の赤ちゃんのときや 小さいこどものときの写真を

引っ張り出してきて 見てさ

 

この子を幸せにすること。

 

だと思うんだ、ほんとこれ、命がけで。

 

それで

人生でなにがしかあって

「私なんか価値がない」とか

「私なんかどうせ愛されてないんです」とか

「仲間を募って死んでしまいたいんです」とか

 

別にだれが何を言っていても「その人はその人」だから別にいいとは思うけど

 

「自分で自分を 低く見ること 貶めること」って

 

この子を殺すことだよ?

自分で この子を つねったり蹴っ飛ばしたりしてんだよ?

 

できるの?

 

、、、って 聞いてみればいいと思う。

 

「誰かのために」「人のために」は

自分が満ちれば絶対勝手にできるようにこれまた自動操縦でなるから

 

まず 幸せは 自分から。

 

それを 自分に

許可してあげられる人が増えた上に 作っていくものが<共生社会>です。

 

「わたしだって辛くても耐えてこんなに我慢してるんだから、

あんただって、ちょっとくらい我慢しなさいよ!」

「わたしだって幸せじゃないのに、

障害当事者や生活保護のあんたたちが幸せだなんて

ムカつくのよね」

という

<相互我慢>とは 逆の社会です。

 

「わたしも今幸せだから

まわりの人にもどんどん幸せになってほしいんだよね」

人も思いもお金もどんどん皇かに循環していく社会です。

いま「滑らかに」って打とうとしたら

なぜか「皇」←この字が出てきました。

 

わたしは ほんといままだミリオネアではないけれど

「自分がどんな人間でありたいか」

「どんな社会をつくりたいか」

 

と 考えた時に

「わたしだってこんなに大変でかわいそうなんだから

あんたなんか、もっとかわいそうでいなさいよ」

という社会が社会であるならば

 

それってヘドが出るわね

 

と 人生の暗闇期(わたしへの虐待がうちの中であったときね、もう昔ね)に

常々考えていたので

 

「共生社会」

「(障害のある人もない人もすべての人が)いのちを楽しむ生き方・ありかた」

「仕事ってなに?なんのために、それをするの?」

などのことについて

 

もうとにかく 考えて考えて考えてそしてここに書くことが趣味で仕事です。

 

障害のあるなしに関係なく

 

多くの人が っていうか だれよりわたし自身が

 

不自由で不幸なまま死なないで 生きていることの喜びに触れられる社会づくりに

 

この身を捧げたい、、、っていうか すでに捧げていると思っています☆(自分でそう決めた時点で。)

 

同じように 自分のこどものころの写真を見て

 

過去のその日そのときが如何なる状況だったとしても

 

「この子を幸せにする。」

 

 

決めて生きようとしている人に わたしのそばにはいてほしい。

 

いつもありがとう。

 

大東文化大学の松崎先生 生徒のみなさま 本当にお世話になり、ありがとうございました!!!

スライドの送り出しを授業2コマも!(>v<)ばっちりやってくださいました

りほちゃんも、本当にありがとうございました。母校で今度はりほちゃんもお話しに立てるように

心から応援しています!

 

これはわたしの赤ちゃんのときの写真(・v・)

わたしが、生きて幸せになることは、

この子を、幸せにすること。この子を、殴ったり蹴ったり意地悪をして泣かせたり、殺さないこと。

この子の命を、守ること。「わたしが、わたしと両想い」であること。↓

 

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